地蔵坊は八百屋お七の恋人だったという説があります。お七の恋人は吉三説が有名ですが、本当は佐兵衛が恋人で吉三郎は放火をそそのかしたならず者だったともいわれ、その佐兵衛がのちに地蔵坊正元というお坊さんになったのだそうです。真実のほどは分かりません。
1番目 ◎1番目は1708(宝永 5)建立した品川区南品川3丁目の品川寺(ほんせんじ)。旧東海道沿いにあります。
笠がないので、お顔(23.7KB)が良く拝見できます。
お顔や姿がそっくりなのに笠だけがばらばらだから、こちらの笠のない方が本来のお姿と思うのですが、根拠はありません(^^;)。
(1997年10月30日撮影)
2番目 ◎2番目は1710(宝永 7)建立した台東区東浅草2丁目(入谷)の東禅寺。
はじめ奥州街道の入口山谷(さんや)にあったが、1928(昭和 3)都市計画により現在地に移されたもの。
なぜかお顔が赤い(13.8KB)。イタズラでなければいいが……。
(1997年11月3日撮影)
3番目 ◎3番目は1712(正徳 2)建立した新宿区新宿2丁目の太宗寺。
ここは甲州街道沿いにあります。
笠が小さく、1番目の品川寺と同様こちらもお顔がよく拝見できます。
でも、バックが赤いマンション……(沈黙)。
(1997年8月15日撮影)
4番目 ◎4番目は1714(正徳 4)建立した豊島区巣鴨3丁目の真性寺。
ここは旧中仙道沿いです。3番目と書いてあるものがありますが、巡拝の順番が3番目だそうです。
明治になって下谷から巣鴨に移ってきた高岩寺の著名な「とげぬき地蔵」とは違い、本家本元の「巣鴨のお地蔵さん」。
でも、笠が大きく御尊顔(ごそんがん)が拝めません!
(1997年9月10日撮影)
5番目 ◎5番目は1717(享保 2)建立した江東区白河一丁目の霊厳寺。
ここは水戸街道沿いです。こちらもお顔(19.9KB)がよく拝見できます。
蓮華(れんげ)の台座には腐食による穴(25.8KB)が空いていました。
もう、ビル余り現象が発生しているのに、市民の生活を犠牲にする、震災を名目にした都市整備などと無意味な建築に公金をかけるより、こんな所(文化)に使ってほしいものです。ゼネコンに金が入らないから、こんな事を言っていても無駄かぁ〜。
(1997年11月6日撮影)
6番目は消滅 ◎6番目は1720(享保 5)建立した江東区の永代寺。
千葉街道沿いにあったという事ですが、明治初年に深川八幡の別当寺だった永代寺は廃寺となり消滅。学校で習った例の「廃仏棄釈」によって、お地蔵様は川口(埼玉県)の鋳物(いもの)業者に破壊されてしまいました。
その跡地には1878(明治11)深川不動尊が移転して来ています。写真がないので、この写真は6番目の名乗りをあげている台東区上野桜木2丁目の浄名院の地蔵。日露戦役の戦没者を弔うため1906(明治39)建立されたお地蔵様なのでお顔が全く違う。
(1997年8月16日撮影)
上記5つのお寺の説明の立て札(24.6KB)には6番目が全て消滅と書かれているだけで、浄名院の名前はありませんでした。江東区富岡1丁目(深川不動尊の仲見世)に今も永代寺はありますが、富岡八幡宮の別当寺であった永代寺の塔頭(たっちゅう)の吉祥院が1896(明治29)永代寺の名称を継承したものです。
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