ここの八幡宮(はちまんぐう)は、文明年間(1469〜1487)に太田道灌(おおた・どうかん)が江戸城築城に際して 鎌倉の鶴岡八幡宮から勧請(かんじょう)して創建した、 その名も市谷亀ヶ岡八幡宮です。
JR市ヶ谷駅のホームからもビルの合間にやっと見ることができます。
上左の写真の銅鳥居は1804(文化元.12.)建立の明神型(みょうじんがた)です。 下中の写真の扁額(へんがく)が掲げられていますが、播磨国(はりまのくに)姫路(ひめじ)15万石の酒井家11代当主雅楽頭忠道の書によるもので、 よく見ると「八」の字が八幡宮の神の使いである一対の鳩(はと)になっています。
また新宿区の有形文化財である軍配団扇(ぐんばいうちわ)は、太田道灌のものと伝えられています。お隣りは防衛庁・陸上自衛隊駐屯地(ちゅうとんち)ですが、 かつては陸軍士官学校があって学生がよく参拝(さんぱい)に来ていたという話です。 でも第二次世界大戦後、お隣りは極東軍事裁判所になってしまいましたから、 一体どこに「八紘一宇(はっこういちう)」の石碑は隠されていたのでしょうか。 元麻布(もとあざふ)の善福寺(ぜんぷくじ)のハリスの記念碑とは違う次元の話だと思うのですが……、恐いお話です。
江戸時代には、江戸の町に九つあった時の鐘(かね)の一つがありました。
時の鐘 浅草寺(せんそうじ) 神田石町(こくちょう) 本所横川町 芝切通し 上野大仏下(寛永寺) 市谷八幡 目白不動 赤坂田町 新宿天龍寺
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