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伝馬町牢屋敷跡(大安楽寺,十思公園)

東京都中央区日本橋小伝馬町


 ここの牢屋敷は、1677(延宝 5)常磐橋(ときわばし)門外からここに移されて、1875(明治 8)市ヶ谷監獄ができるまで使用されましたが、もう当時のものは何も残されていません。
 敷地は2,677坪で、現在の十思(じっし)公園・十思小学校のあたりにあったそうです。中には五百石以上の旗本が入る揚がり座敷、御家人・大名の家来・僧侶・医者などの揚()がり屋、一般町人の大牢のほか、無宿人の二間牢、百姓牢、女牢などがありました。
 「地獄の沙汰(さた)も金次第(しだい)」の「地獄」は、あの世の地獄ではなくここの事でした。

受刑者を弔(とむら)うために明治初年に創建された新高野山大安楽寺。(1997年5月29日撮影)
大安楽寺戦没・殉難牢屋敷跡の碑

十思(じっし)公園。(1997年10月31日撮影)
時の鐘
 公園の中には石町(こくちょう)にあった時の鐘(かね)が残されています。石町は現在の日本橋室町4丁目あたりです。
 伝馬町で処刑が行われる時はこの鐘の音が合図になったそうで、鐘撞(かねつ)きの辻源七という男はそんな時、わざと遅らせて鐘を撞いたとの事です。

 今はお昼ともなれば、近くのOLやサラリーマンの戸外ランチや日向ぼっこの場所になっています。


鐘楼松陰先生終焉之地の碑
 安政の大獄で処刑された吉田松陰(しょういん)の「松陰先生終焉(しゅうえん)之地」碑や、「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも/とどめおかまし大和魂」碑(31.1KB)もあります。

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