巣鴨の高岩寺で親しまれている「洗い観音」です。以前は、参拝者の具合(ぐあい)の良くないところと同じ場所をタワシでごしごし擦(こす)られていましたが、 今はタワシではなく「晒(さら)し」に変わってしまいました。
ここは、旧中仙道に面していて、さらに進むと1907(明治40)考案の亀の子束子(たわし)本舗があります。高岩寺は1891(明治24)下谷車坂(くるまざか)から現在地に移転して来ていました。タワシの最初はそちらから寄進されたからでは、と考えています。晒しは本来の形に戻ったのでしょう、多分。でも、痛いところをタワシで力を込めてごしごし擦るからこそ、力を込めれば込めるほど、御利益がある気になれるのですが……。
写真からわかるように、洗い観音との間に溝ができてしまいました。晒しで拭くこともお年寄りでは難しくなっています。きっと、その内ただの水かけ観音になってしまうでしょう。
それから、変わったのはタワシだけじゃなく、洗い観音自身も変わったと思うのですが……。最初に見た時の記憶ではもっと摩滅していたような気がします。もしかして、写真にある洗い観音の後ろの戸の中に以前の観音様がいらっしゃるのでは。
・RSさんから、画像が「洗い観音」で二代目であること、明暦の大火により亡くなられた人を屋根やさんがお弔(とむ)いのために作られたものであることをお知らせいただきました。
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