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紅皿の碑(1997年8月15日撮影)
東京都新宿区新宿6−21−11 大聖院境内
紅皿の碑全景
 鷹狩の最中に俄(にわ)か雨にあった太田道灌(おおたどうかん)(1432〜1486)から蓑(みの:当時の雨具)を求められた農家の少女、紅皿(べにざら)は庭に咲いていた山吹(やまぶき)の一枝を差し出しただけでした。その枝には古歌

七重八重(ななえやえ)、花は咲けども山吹の、みのひとつだに無きぞ悲しき
中務卿兼明親王(かねあきらしんのう)( 914〜 987)

の意味が込められていました。家臣から「実の」と「蓑」が懸けられているのだ、と教えられた道灌は、無学を恥じて和歌を勉強し、後に紅皿を江戸城に呼んで和歌の友としたという話です。
 道灌が亡くなった後、紅皿は大久保に庵(いおり)を建てて尼(あま)となり、死後その地に葬(ほおむ)られたそうです。大聖院(だいしょういん)のある新宿6丁目はかつては東大久保と呼ばれていました。

 この碑(いしぶみ)は紅皿の墓ともいわれていますが、中央部(28.0KB)が大きくえぐられていて詳細は不明です。形式から15世紀後半と推測されているようです。

 なお、紅皿には妹があって、美人の姉「紅皿」に対して、妹は村人から「欠け皿」と呼ばれていたという残酷な話も伝わっています。
 また、歌舞伎や説話の『紅皿・欠皿』では、欠皿が美人の姉で、継母(ままはは)と醜(みにく)い異父妹(いふまい)紅皿とに いじめられる話になっていますが、道灌との関係はわかりません。



大聖院の旧住所名:新宿区東大久保2−240
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