【荊軻】(?〜BC.227)
中国、戦国時代の刺客(しかく)(暗殺者)です。「衛(えい)の人」と書かれていることが多いですが、どうやら「斉(せい)の人」のようです。
読書や剣劇が大好きでした。衛に移り慶卿(けいけい)と称(しょう)され、燕(えん)に行き、燕王喜(き)の太子丹(たん)の客となり、荊卿(けいけい)と称されました。
丹の命令で秦王政(せい)(のちの始皇帝)を刺殺(しさつ)しようとして、秦から亡命した将軍樊於期(はん・おき)の首と燕の地図を携(たずさ)えて秦の都咸陽(かんよう)(陝西省西安の北西郊)に赴(おもむ)きましたが、失敗して殺されました。赤の丸が抱き止められている荊軻、青の丸が箱に入れられている樊将軍の首(フタが開いています)、緑の丸が逃げている秦王です。
◎暗殺に赴く際、易水(えきすい)のほとりで丹との別れに荊軻が詠(えい)じた『易水送別の歌』「風蕭蕭兮易水寒、壮士一去兮不復還(風(かぜ)蕭蕭(しょうしょう)として易水(えきすい)寒(さむ)し、壮士(そうし)ひとたび去(さ)って復(また)還(かえ)らず)」で知られています(『史記』刺客列伝)。
戦国の七雄(しちゆう) 秦 BC.207滅亡 楚 BC.223滅亡 燕 BC.222滅亡 斉(田斉) BC.221滅亡 趙 BC.222滅亡 魏 BC.225滅亡 韓 BC.230滅亡
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