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巣鴨の庚申塚(1997年9月8日撮影)
 東京都豊島区巣鴨4丁目にある猿田彦(さるたひこ)大神庚申堂です。
 旧中仙道と旧王子道との交差する地で、かつてこのあたりには茶屋があって江戸と板橋宿の間の旅人の休憩所でした。

  庚申塚

 庚申信仰の起源は、中国から伝わった道教の三尸説(さんしせつ)に求めることができる。 それによれば、人の身体にいる三尸という虫が、六〇日に一度訪れる庚申の日の夜に人の罪状を天帝(てんてい)に告げに行くため、人々はこの晩は寝ずに過ごし、寿命が縮められるのを防ぐというものである。
 こうしたことから、室町時代の中頃から庚申待(まち)が行われるようになり、さらに僧侶や修験者の指導によって講集団が組織され、江戸時代になると各地に庚申講がつくられ、その供養のため庚申塔が造立されるようになった。
 さて、江戸時代の文化年間(一八〇四〜一七)に出された地誌「遊歴雑記(ゆうれきざっき)」によると、祠内に納められている庚申塔は明暦三年(一六五七)一月の江戸大火後に造られ、その際文亀二年(一五〇二)造立の高さ八尺の碑は、その下に埋められたとされている。
 その庚申塚は、旧中山道(現地蔵通り)沿いに展開した巣鴨町の北東端、すなわち旧中山道と折戸通りの交差地に位置し、天保年間(一八三〇〜四三)に刊行された「江戸名所図会」では、中山道板橋宿に入る前の立場(休憩所)として描かれている。 現在も都電の庚申塚停留所を下車して参拝する人や、とげぬき地蔵(高岩寺)の縁日帰りに立ち寄る人が跡を絶たない。

  平成八年三月

東京都豊島区教育委員会

 門をくぐってすぐにある左右の庚申塚です。お寺や神社の唐獅子、お稲荷様の狐のような存在です。
 庚申塚の特徴は見ざる(猿)・聞かざる・言わざるが刻まれていることです。人が寝ている間に三尸(さんし)が体から抜けて天帝に罪状を告げに行くのを防ぐという意味でしょう。また申は「さる」であることから日本では猿との関係が深まり、庚申の日には猿田彦神を祀(まつ)るようになりました。猿田彦神はニニギノ尊(みこと)の天孫降臨に際し高千穂の峰へ案内したことから、道案内の神として道祖神ともなっています。
 ここの神様は明治初期に千葉県銚子市にある猿田神社から招致されています。
 なお、猿田彦神が刻まれているのは神道系です。仏教系では青面金剛(しょうめんこんごう)像だそうで、こちらは中国で道教と仏教が習合して日本に伝わったものです。

 庚申堂です。
 この中に、「江戸名所図会」にある庚申塚が祀(まつ)られているそうです。


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