東京都豊島区巣鴨4丁目にある猿田彦(さるたひこ)大神庚申堂です。
旧中仙道と旧王子道との交差する地で、かつてこのあたりには茶屋があって江戸と板橋宿の間の旅人の休憩所でした。
庚申塚
庚申信仰の起源は、中国から伝わった道教の三尸説(さんしせつ)に求めることができる。
それによれば、人の身体にいる三尸という虫が、六〇日に一度訪れる庚申の日の夜に人の罪状を天帝(てんてい)に告げに行くため、人々はこの晩は寝ずに過ごし、寿命が縮められるのを防ぐというものである。 平成八年三月
東京都豊島区教育委員会
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門をくぐってすぐにある左右の庚申塚です。お寺や神社の唐獅子、お稲荷様の狐のような存在です。
庚申塚の特徴は見ざる(猿)・聞かざる・言わざるが刻まれていることです。人が寝ている間に三尸(さんし)が体から抜けて天帝に罪状を告げに行くのを防ぐという意味でしょう。また申は「さる」であることから日本では猿との関係が深まり、庚申の日には猿田彦神を祀(まつ)るようになりました。猿田彦神はニニギノ尊(みこと)の天孫降臨に際し高千穂の峰へ案内したことから、道案内の神として道祖神ともなっています。
ここの神様は明治初期に千葉県銚子市にある猿田神社から招致されています。
なお、猿田彦神が刻まれているのは神道系です。仏教系では青面金剛(しょうめんこんごう)像だそうで、こちらは中国で道教と仏教が習合して日本に伝わったものです。
庚申堂です。
この中に、「江戸名所図会」にある庚申塚が祀(まつ)られているそうです。
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