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北白川宮能久親王銅像(1997年9月30日撮影)
東京都千代田区北の丸公園内
左景右景
後景柵 記念切手
能久親王(よしひさ・しんのう)】 1847(弘化 4)〜1895.10.28(明治28)

 幼名は満宮(みつのみや)、法名は公現親王。伏見宮邦家親王の第9王子。仁孝天皇の猶子。

 実はこの方、幕末に彰義隊が担ぎ出した上野寛永寺の輪王寺宮公現親王なのです。
 1858(安政 5)輪王寺宮を相続・門跡となられました。
 1868(慶応 4)には将軍慶喜征討の中止を懇願するため、東征大総督となられた有栖川宮(ありすがわのみや)熾仁(たるひと)親王を駿府(すんぷ)に訪ねています。上野戦争では激戦の中、脱出して幕艦長鯨丸に乗って陸奥会津城に入城しました。
 1870(明治 3)還俗(げんぞく)、伏見宮に復帰して軍籍に就き、同年直ちにプロシア留学を命ぜられています。1872(明治 5)留学中に北白川宮第二代を相続しています。
 1877(明治10)帰国し近衛砲兵連隊に配属。1884(明治17)陸軍少将、歩兵第一旅団長。1892(明治25)陸軍中将、第六・第四師団長を歴任。
 日清戦争では開戦後の1895. 1.(明治28)近衛師団長となり、台湾に出征。戦後も台湾守備を命じられ、台南で病没しました。
 死後に陸軍大将を追贈されています。また台湾神社に祀(まつ)られました。でも、お墓は公現親王として輪王寺(東京都台東区の両大師)の歴代輪王寺宮墓地(宮内庁管理)です。

 この像はかつて近衛歩兵第一・第二連隊正門前にありましたが、現在は東京国立近代美術館工芸館(旧近衛師団司令部)の右側にあります。

 切手は死後の1896. 8. 1(明治29)日清戦争戦勝記念に発行された能久親王の肖像です。
 切手の写真はGamaさんから提供を受けたものでPDDではありません
 GamaさんのHP日本切手のコーナーには「明治天皇大婚25年記念」などいろいろ紹介されています。是非ご覧ください。



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