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紫式部(48.8KB)
ムラサキシキブ

1999.09.30
文責:獨 澄旻

 当館が「タメになる」と言われると、私はあんまり嬉しくないのです。「役に立つ」と言われると、非常に嬉しいのです。
 私だけかもしれませんが、これらの言葉には微妙に異なるニュアンスを感じるのです。
 「タメになる」には情報の受け手の(無批判で感情的な)受動性が強く感じられます。また、「役立てる」という言葉があるように、「役に立つ」にはなにかをしようとする能動性が感じられるのです。
 いままで受動的だったTVは、これからインターラクティブになるそうですが、視聴者は能動的になれるでしょうか? たとえば、「都会に住みますか? 田舎暮らししますか?」などは一見、選択できる項目と思われます。でも、「田舎を都会化させる」が切り捨てられていますし、「都会を田舎化させる」までは思いも及ばないでしょう。結局、チャンネルを選ぶと同じ程度の能動性でしかありません。
 で問題は、そのような誤魔化し的な能動性ではない、自我に目覚めた自主的な創造性のある能動性を育成する環境をつくらなければならないと思うのです。決められた選択肢の中からしか選べない、しかもそれで満足させられてしまう、それでは封建制の社会に逆戻りではありませんか。経済不況からの脱却さえできないのも、政界や経済界の人に選ぶ選択肢を与えられていないからです。つまり、トップ・トップとえばっていたって、TVゲームのように与えられた選択肢を選んできただけで、なにも新しいことを考えてきた訳じゃあないのです。
 「田舎を都会化させる」や「都会を田舎化させる」のように選択肢から選ぶのではない自由な思考ができる風土、一部のものが儲けようとして囲い込まれた檻から開放された環境、それが私の思う、いえ願う未来なのです。
 20世紀は資本に対しての戦いでした。そして、21世紀は情報に対して戦いが始まります。それは、いまだ金儲けというベールを脱ぎ捨てられない亡霊との戦いなのです。なんてことは横柄な私が言うまでもなく、皆さん、ご存知のことですよね。
 「戦い」って言ったって「奪い合い」じぁあないですよ、それは気付いてくださいね。

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