青銅製の宝塔は当然、明治のもので、向って右側の14代将軍家茂(いえもち)公と並んで祀(まつ)られました。 唯一、菊の御紋があるそうですが、気がつきませんでした。 【和宮(かずのみや)】1846(弘化 3.閏5.10)〜1877. 9. 2(明治10) 多くは語りませんが、単なる悲劇のヒロインではなく、夫である将軍家茂の没後も江戸城に留まり、朝幕交渉の斡旋(あっせん)・江戸城明け渡し・徳川の家名存続などに隠れた功(いさお)があったといわれています。
青銅製の宝塔は当然、明治のもので、向って右側の14代将軍家茂(いえもち)公と並んで祀(まつ)られました。 唯一、菊の御紋があるそうですが、気がつきませんでした。
【和宮(かずのみや)】1846(弘化 3.閏5.10)〜1877. 9. 2(明治10) 多くは語りませんが、単なる悲劇のヒロインではなく、夫である将軍家茂の没後も江戸城に留まり、朝幕交渉の斡旋(あっせん)・江戸城明け渡し・徳川の家名存続などに隠れた功(いさお)があったといわれています。