石塔です。
【徳川家重(いえしげ)】1711(宝永 8,正徳元)〜1761(宝暦11. 6.12)
江戸幕府の第9代将軍。8代将軍徳川吉宗(よしむね)の長子、母は大久保忠旧の娘お須磨の方(深徳院)。第10代将軍徳川家治(いえはる)の父。
生まれつき病弱なため、吉宗の次男宗武(田安)・三男宗尹(むねただ)(一橋)との継嗣問題がおきました。若くから酒宴にふけり、言語も不明瞭となり、側用人大岡忠光のみ理解できたそうです。吉宗が没するまでは大御所として政務にあたっていましたが、没後は忠光が実権を握りました。
改葬の時の調査によれば、重度の歯ぎしりにより発音障害があったようですが、復元された容貌は歴代将軍の中でも最も美男子であったそうです。
家重の次男重好が1758(宝暦 8)江戸城清水門内に邸を与えられて御三卿の一つ清水家を創始しました。
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