有章院(ゆうしょういん)は江戸幕府の第7代将軍、徳川家継(いえつぐ)(1709〜1716)の院号です。
有章院霊廟(れいびょう)は第7代将軍、徳川吉宗(よしむね)が1717(享保 2)建立したもので、日光の東照宮(とうしょうぐう)に劣らぬといわれるほどの豪華なものでした。しかし、1945. 5.(昭和20)空襲によりこの二天門(にてんもん)を残して焼失しました。土葬されていた遺体は1958(昭和33)発掘し荼毘(だび)にふして徳川将軍墓所に改葬されました。
右が北方を守る多聞天(たもんてん)、左が西方を守る広目天(こうもくてん)です。
南方を守る増長天(ぞうじょうてん)、東方を守る持国天(じこくてん)とともに四天王(してんのう)と呼ばれ、仏教の護法神です。【多聞天】
福徳の名はどんなに遠くても聞こえるということから多聞天と呼ばれますが、毘沙門天(びしゃもんてん)・施財天(せざいてん)とも呼ばれています。
宇宙全世界の中心にそびえ立つという須弥山(しゅみせん)の北面中腹(ちゅうふく)に住しています。一般には甲胄(かっちゅう)を着けた忿怒(ふんぬ)の武将形で、右手に宝棒または鉾(ほこ)、左手に宝塔を捧げ、邪鬼を踏んでいます。
財を授ける財宝の神様(施財天)ということから七福神の毘沙門さまとして知られています。単体でお祀(まつ)りされていると、「毘沙門さま」と呼ばれているようです。
また、夜叉(やしゃ)や羅刹(らせつ)の眷属(けんぞく)を統率しています。【広目天】
通常ではない眼を持つことから広目天と呼ばれますが、とても第三の眼は確認できません(^^;)。
須弥山の西面中腹に住しています。一般に甲胄を身に着け忿怒の形相(ぎょうそう)で、右手に筆、左手に巻き物を持っています。ともにインドの神様です。一般に甲胄をまとった仁王様はインド風、半身裸形(らぎょう)は中国風です。
四天王の増長天・持国天については浅草寺(せんそうじ)の二天門をご覧ください。
門の内側です。
八脚門・切妻(きりづま)造り・銅瓦葺(かわらぶ)きで、朱(しゅ)や金箔(きんぱく)などに、かつての壮大・豪華さがしのばれます。
参考: | 第4代将軍家綱の厳有院霊廟勅額門(寛永寺) |
第5代将軍綱吉の常憲院霊廟勅額門(寛永寺) |
墓所霊廟の索引に戻る |