PDD図書館管理番号 1000.0000.0108.04

春日局(かすがのつぼね)の墓(1997年10月24日撮影)
東京都文京区湯島4丁目 天沢山 麟祥院 墓地
【春日局】1579(天正 7)〜1643(寛永20. 9.14)
 第3代将軍徳川家光(いえみつ)の乳母(うば)。
 明智光秀(あけち・みつひで)の家臣斎藤利三(としみつ)の娘お福(ふく)として生まれ、京都所司代(しょしだい)板倉勝重(かつしげ)(1545〜1624)に推挙されて大奥(おおおく)に入り、大きな勢力をふるうにいたるお話は有名です。
 紫衣(しえ)事件解決のため、1629(寛永 6)幕府の命(めい)で上洛(じょうらく)し、後水尾(ごみずのお)天皇に異例の無位無冠(むいむかん)で拝謁(はいえつ)しています。その際、春日の局号と緋袴(ひばかま)を賜(たまわ)りました。
紫衣事件は朝廷に対して幕府の優位を示した事件です。
 良い意味ではありませんが、今でもOLの人のニック・ネームに「お局(つぼね)さま」とか「○○の局」とか使われたりするルーツの人です。
墓所遠景墓所全景
 墓石に四方から穴が貫通(かんつう)している大変めずらしい形をしています。
 これは局が「黄泉(よみ)からも天下のご政道(せいどう)を見守れる墓」を作ってほしいという遺言によってこのような形に1644(寛永21)建立(こんりゅう)されたものだそうです。
黄泉とは死後の世界のことです。
 右の写真をクリックすると墓石(56.8KB)が拡大表示されます。

 ここ麟祥院(りんしょういん)は、東洋大学の前身である哲学館(てつがくかん)創立の場所でもあります。哲学館は1887(明治20)井上円了(えんりょう)によって創設されました。
 また、1923. 9.(大正12)関東大震災で罹災(りさい)した「中華民国留学生癸亥(きがい)地震遭難の碑(23.2KB)」があります。
 あまり知られていませんが、震災後の社会不安から虐殺にあったのは朝鮮人だけではなかったのです。在日中国人の殺害事件は「大島事件」または「大島町事件」と呼ばれています。前年、政府は日本人労働者保護対策として、大阪方面の来日中国人労働者を多数強制送還するなど、風当たりも強くなっていたときでした。そして、中国人留学生からも多くの犠牲者がでました。
 なお当時、中国政府から日本政府は公式に抗議を受けました。でも朝鮮は日本統治下にあり、朝鮮人は外国人ではなく日本臣民(しんみん)だったはずですが……。阪神淡路大地震でもすぐに思い起こされた難しい問題ですね。

墓所霊廟の索引に戻る