本行寺は通称月見寺と呼ばれ、景勝の地でした。
山門の写真をクリックすると絵画風に変換した画像(37.3KB)が現れます(ちょっと遊んでみました)。ここ日暮里(にっぽり)は、日が暮れるのを忘れてしまう里という意味で、べつにいろいろな花の花見寺(修性院・青雲寺)や雪見寺(浄光寺)などもあります。江戸時代には文人が集(つど)い、また近郊の行楽地として賑(にぎ)わったそうです。近くには今でも富士山が見えるという富士見坂(17.4KB)があります。
武蔵(むさし)の国を知りつくしていた太田道灌(どうかん)は、眺めがよいという地の利を利用してここに斥候台(せっこうだい)を築いています。物見塚として残っていたそうですが、現在は1750(寛延 3)に建てられた「道灌丘之碑(82.6KB)」(左の写真)が残るのみです。この寺の二十世の住職日桓上人(にっかん・しょうにん)は一瓢の俳号をもつ俳人で、小林一茶らと交遊がありました。右の写真の句碑(陽炎(かげろう)や道灌どのの物見塚)は新しいようです。
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