手前の石灯籠と重なって見える墓碑が夫人、奥が板垣退助(23.9KB)です。さらにその奥には下の写真の「板垣死すとも、自由は死せず」の石碑があって、「自由民主党/総裁佐藤栄作書」と刻まれています。
この言葉を本人が言ったのではなく、小室案外堂(こむろ・あんがいどう)の演題『板垣死ストモ自由ハ亡ビズ』から誤り広まったのでした。
ここは場所は品川神社の裏で、板垣家の墓のみポツンとありますが、神式の墓ではありません。 おかしいな、と思って調べたら300mも離れた東海寺の墓地でした。 沢庵(たくあん)や賀茂真淵(かものまぶち)などの墓のある大山墓地からもかなり離れています。 増上寺や寛永寺と並ぶ広大なお寺であったことが偲(しの)ばれます。
墓所霊廟の索引に戻る |