【鼠小僧 次郎吉(ねずみこぞう・じろきち)】1795(寛政 7)ころ〜1832(天保 3. 8.18)
義賊(ぎぞく)として有名な江戸後期の盗賊です。江戸三座の一つ、中村座の木戸番(きどばん)の長男でした。建具(たてぐ)職人となりましたが、バクチに身をくずしてやがて無宿人(むしゅくにん)となります。
小さな体と身軽(みがる)を生かして、1821(文政 4)ころより大名・武家屋敷を専門に忍び入り、人を傷付けることなく現金だけ盗み去りました。
1825(文政 8)一度は捕(つか)まって、入墨(いれずみ)中追放の刑を受けました。
しかし、また盗みをはじめ、1832(天保 3. 5. 9)日本橋浜町(はまちょう)の松平宮内(くない)少輔(しょうゆう)邸に忍び込んだところを捕縛(ほばく)され、北町奉行所で取り調べを受けました。
同年8月18日、裸馬に乗せられて江戸市中を引き廻(まわ)しののち、鈴ヶ森(すずがもり)で処刑されてさらし首(獄門(ごくもん))になりました。◎義賊であったかどうかは別として、講釈(こうしゃく)や歌舞伎(かぶき)・映画・TVと現在でも庶民の味方として描(えが)かれています。
◆お墓は本所(ほんじょ)回向院(えこういん)にあります。
墓石(88.4KB)での戒名(かいみょう)は教覚速善居士、俗名は中村次良吉となっています。没年は天保二年のように見えるのですが、手元にある資料はすべて天保三年でした。また、戒名や没日が異なっている資料もありますのでご注意ください。
鼠小僧の墓石を削(けず)り取る(44.9KB)と、その業界(?)の人やギャンブル好きの人だけでなく、受験生などには「するりと入れる」ご利益があるといわれています。削る小石まであるのにはビックリ! 今は就職難ですが、就職にもご利益があるといいですね。参照:鬼あざみ清吉の墓
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