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チャンドラ・ボース像(1998年4月10日撮影)
東京都杉並区堀ノ内3丁目 日蓮宗 頂光山 蓮光寺
ボースの横顔(59.5KB)ボースの正面(73.7KB)蓮光寺の額
蓮光寺
【チャンドラ・ボース】Subhas Chandra Bose(ネタジ・スバシュ・チャンドラ・ボース)(1897〜1945)
 インド反英独立運動の指導者・革命家です。
 カルカッタ大学・ケンブリッジ大学で学び公務員となりました。
 しかし、ガンジーが対英独立運動に立ち上がると、1921(大正10)辞職し国民会議派に入り急進派(左派)として活躍し、カルカッタ市長・1938〜1939(昭和13〜昭和14)同派議長などを歴任します。1939(昭和14)ガンジーと対立し同派の主流派から除名を受け、ベンガル州で前衛ブロック党を組織しました。
 第二次大戦勃発(ぼっぱつ)とともにインドを出国し、1941(昭和16)ナチス・ドイツに渡り、インド独立のためドイツの対英戦争を支持します。さらに、ドイツ潜水艦で1943(昭和18)日本に入国。シンガポールでインド国民軍を組織し日本軍のインパール作戦に従軍(じゅうぐん)。同年10月、日本の支援で発足(ほっそく)した自由インド仮政府(アザド・ヒンド)の首班に就任します。また、東京の大東亜会議(だいとうあかいぎ)にオブザーバーとして参加しています。
 日本軍の敗戦直後、日本経由でソ連(現在のロシア)に潜入(せんにゅう)するためサイゴンを飛び立ち、台湾飛行場で飛行機事故に遭()い死亡しました。
 インド民衆は、ボースの不屈(ふくつ)の精神力から再起を図(はか)っているものと信じ、長い間、彼の死亡を認めなかったそうです。

◎東京都杉並区和田3丁目の蓮光寺にボースの遺骨が安置(あんち)されていて、1975(昭和50)銅像が建立(こんりゅう)されました。
 インドのプラサド大統領ネール首相ガンジー首相もこのお寺を訪問しています。


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