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悲母観音(ひぼかんのん)(1979年5月30日発売)
狩野芳崖 作 1888(明治21)年筆 (196.0cm×86.5cm)
悲母観音(106KB)
 狩野芳崖(かのう・ほうがい)が死の直前まで筆をとっていたという『悲母観音』です。
 下の部分が少しカットされています。実際の作品ではもっと宙に浮いて見えます。

 悲母観音または慈母観音(じぼかんのん)は、三十三観音(観世音菩薩三十三化身)に入っていません。馬頭観音(ばとうかんのん)などのようにインド生れではなく、中国で生まれた観音さまで、日本にも受け入れられたものです。中国や日本の習俗・風土が必要とした観音さまと言えるでしょう。

 この絵を見て母の慈(いつく)しみを感じない人はいないと思いますが、実は観音さまはすべて男性なのです。よくご覧になると、ちゃあんとヒゲが見えますよ。

【狩野 芳崖】1828(文政11. 1.13)〜1888.11. 5(明治21)
 明治前期に活躍した日本画家です。
 長州豊浦藩(とよらはん)(現在の山口県下関市長府)の絵師狩野晴皐の子で、はじめ父の教えを受け、のち江戸に出て狩野勝川院雅信に師事しました。同門の橋本雅邦(がほう)とともにその英才を謳(うた)われていましたが、しばしば古法を逸脱(いつだつ)し師の不興(ふきょう)を買ったそうです。
 明治初期は伝統芸術が顧(かえり)みられなかったため、生活にも困るありさまでした。
 1884(明治17)内国絵画共進会でフェノロサ・岡倉天心(おかくら・てんしん)に見出され、橋本雅邦とともに日本画の復興に努力。また東京美術学校(現在の東京芸術大学)創設に奔走(ほんそう)し、設立準備中に病気となり、設立の翌年に病死しました。
 従来の狩野派の厳格な筆法に西洋画の色彩美を取り入れた作品で、日本画の近代化に貢献しました。
 他の代表作品は『大鷲』・『不動明王』などです。


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