『高麗(こうらい)大蔵経(だいぞうきょう)』とも『高麗蔵(こうらいぞう)』とも呼ばれている仏典の集大成の版木です。符仁寺(ふにんじ)に所蔵されていた初彫本『大蔵経』1076部・5048巻は、1231[高宗18]モンゴル軍(蒙古軍(もうこぐん))が朝鮮に侵入し、1232[高宗19]焼失してしまいました。高宗はモンゴル軍の退散を祈願(きがん)して江華島(こうかとう)に大蔵都監本司を、南海・晋州などに分司を設置し、1236[高宗23]から再び開版に着手し1251[高宗38]1511部・6802巻(一説に1524部・6558巻)の81258板が完成しました。
現在、ここ海印寺(かいいんじ)に保管されているものがそれです。
経板の大きさは約24センチ×69センチ、厚さ約3.8センチ。板面は両面に刻字されており、上下に線を引き、1面23行・1行14字、板の端に経名・巻数・張数、さらに千字文ごとに函号(かんごう)が刻まれています。両端には曲らぬように角木をつけ、四面角を銅で装飾し、全面にうるしが塗られています。
はじめ江華島に板堂を建立して奉安(ほうあん)していましたが、のち江華島の禅源寺に移蔵され、1398年ソウルの支天寺に臨時奉安され、さらに海印寺に移されています。この版木で刷られた『大蔵経』は日本にも多数請来され、その内の『増上寺(ぞうじょうじ)所蔵本』は『大正新脩(しんしゅう)大蔵経』の底本となっています。
◎1259年高麗はモンゴル軍に服属し元の属国となってしまいました。日本への元寇(蒙古襲来)では、高麗軍はモンゴル軍に荷担(かたん)して日本に侵攻しようとしましたが、今度は日本が神仏にすがって加持祈祷(かじきとう)を行いました。
1392年、高麗は李成桂(り・せいけい)によって滅ぼされ、李氏朝鮮が建国されました。
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