埼玉県上尾市平方の橘神社に奉納されている直径1メートルくらいの水雷です。
リベットがあったりして古そうなので日清・日露戦争当時のものかと思いましたが、近くにいた地元の人によれば日中戦争のときのものだそうです。水雷は地雷に対する言葉で、広義には魚雷(ぎょらい)・機雷(きらい)・爆雷(ばくらい)なども含みます。
水雷の背面にも前面と同じようにフックをかける所が3ヶ所ありますから、一方を海底に沈めた重りに繋(つな)ぎ、他方を浮きに繋いで、海中に固定する敷設水雷のようです。このような一枚の写真からでも、昔ならリベットの数などから大きさを算出し、火薬を想定して破壊能力を求めることをしたかも知れません。
NHKによれば、1950年代、アメリカのネバダ核実験場にジャパニーズ・ビレッジという一群の日本家屋が建設され、計器などを入れて核実験を行ないデータを収集したそうです。そのデータと広島・長崎の被爆者データとを照合して、通常の核実験では得られない、核爆弾の人間に対する殺傷能力の基礎データを求めたそうです。
これって被爆者にもう一度被爆させる行為に等しいと私には思えます。人体実験とどのくらい違うのでしょうか。恐ろしい話です。日本だって、地下鉄サリン事件の被害者データはどうなっているのでしょうか。確か、自衛隊もサリンを作ったって言ってましたよね。
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