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稲荷織姫神社(1997年9月22日撮影)
東京都台東区下谷2−13−14 小野照崎神社の末社
鳥居
鳥居の額名が『稲荷神社(14.3KB)』なので織姫神社の方が相殿(あいどの)のようです。
今は稲荷織姫神社(8.6KB)とあわせて呼ばれています。

二神が祀(まつ)られていると向って右が一般に主神です。
また名称の併せ方の順番だけですが、第一勧業銀行(現在のみずほ銀行)は日本風の名称で、東京三菱銀行や三井住友銀行は欧米風といえます。


稲荷織姫神社の全景
左のキツネ額右のキツネ
 左右のキツネとも右を向いています。右側には富士塚と小野照崎神社がありますが、末社の辛さでしょうか。
 でも小野照崎神社は寛永寺の創建が決まったため忍岡から長左衛門稲荷神社の境内に遷座(せんざ)して来たことになっていますから、このお稲荷様の方が先なのに……、人間社会と同じようですね。織姫神社はどのような経過でこちらに遷座なされたのでしょうか。

 いや、人間社会と同じではなくて人間の都合であちらからこちらへと動かされている神様達……。古代の人々はその地に神を感じ神を見たのに、その後の人がその神の地を得るために神々を動かしてしまったのです。神は社(やしろ)という建物に在()らせられるのではなく、古代の人々が神を感じた土地や木や自然に在らせられるのです。「やしろ」の「しろ」は「のりしろ」の「しろ」と同じだそうで場所を意味し、神が宿す場所を「やしろ」と呼ぶのです。神が宿す場所・自然を壊した時、神は死んだと言えるのではないでしょうか。

御手洗
 御手洗(みたらし)には織姫神社の星型の紋(32.5KB)があり、めずらしく本当の雨水が湛えられていました。この御手洗は上の写真で右の石灯籠と右のキツネの間にも写っています。

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