午砲とは明治から大正にかけて庶民に正午を知らせた号砲(ごうほう)のことです。江戸時代の時の鐘(ときのかね)に代え、1871(明治 4. 9. 9)から皇居内旧本丸で毎日正午に空砲を打ち鳴らしていました。当時、現在の東京都の区部の大部分で聞こえたそうです。
1929. 5. 1(昭和 4)午砲はサイレンに切り換えられ、1938. 9.(昭和13)まで行われていました。
その音から「どん」と呼ばれて親しまれ、やがてお昼も「どん」と呼ぶようになったそうです。
夏目漱石も『坊っちゃん』に「先生と大きな声をされると、腹の減った時に丸の内で午砲(どん)を聞いた様な気がする」と書いています。お昼という時間のせいもあるのでしょうが、お腹(なか)に響いたようですね。でも死語になりつつある、土曜などの半日出勤を意味する「半ドン」の「ドン」は、オランダ語の日曜日ゾンダッハ(zondag)がなまったものです。江戸時代には太陰暦を使用していましたので日曜日などありませんから、休日・祭日として受け入れられた言葉です。「博多どんたく」も同じくゾンダッハがなまったものです。
号砲に使用された大砲は現在、江戸東京たてもの園に保管されています。
江戸東京たてもの園は東京都小金井市(こがねいし)桜町の都立小金井公園の中にありますが、江戸東京博物館の分館です。旧称は都立武蔵野郷土館で、1993(平成 5)江戸東京たてもの園として開園しました。休園日は月曜日です。
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