公園は東京都墨田区両国3丁目にあるミニ公園です。門は閉ざされていて、写真ちょい見えの左のくぐり戸から中に入りました。
実際の屋敷は、この公園から手前が邸内で、公園から先が邸外だったそうです。説明図(59.1KB)
公園の中には松坂稲荷大明神があります。しかし、カメラを構えた左手には飯澄稲荷(27.8KB)がありました。説明図が正しく、飯澄稲荷も古ければ邸内にあったことになります。一時、この公園の位置が問題になったことがありますが、結果はどうなったのでしょう。
ここは吉良上野介(こうずけのすけ)義央(よしなか)公の上屋敷跡だそうです。
かつては両国ではなく松坂町と呼ばれていましたので、本所松坂公園といいます。この地は1934. 3.(昭和 9)地元の有志が購入し公園として東京市に寄贈、1950. 9.(昭和25)墨田区に移管されたものです。討ち入りの後は、吉良家の子孫は苦労されたようです。
写真で見てもミニ公園ですね。
左が松坂稲荷大明神(18.2KB)、
中が吉良上野介義央公の追慕碑(30.0KB)、
右が吉良家家臣二十士の碑(36.7KB)です。松坂稲荷大明神は、討ち入り後に地所清めのため遷宮(せんぐう)した兼春稲荷と、1935.12.(昭和10)上野稲荷と合祀し遷座(せんざ)したものです。
ん〜、所払いって感じですね。きっと、地元の有志がやっとの思いで残してくれたような気がします。 感謝!でも、誰が所払いをしたんだ〜。
義央公の「首洗い井戸」。もう枯れています。
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