拝殿(1999年4月13日撮影) | 本殿(1999年6月13日撮影) |
この社殿は、1637(寛永14)江戸城二の丸に造営された東照宮(とうしょうぐう)の遺構(いこう)です。とは言っても、日光(にっこう)・久能山(くのうざん)とともに三大東照宮と呼ばれ、同じ川越にある仙波(せんば)東照宮とは全く異なります。江戸城の東照宮はやがて空宮となり、多くの書籍ではなくなったと書かれているのですが……。1656(明暦 2)川越城内の三芳野神社の外宮として縮小し移築されていました。さらに1872(明治 5)ここ川越市宮下町の氷川神社内の八坂神社社殿として移築になったものです。
建立当初の規模は大きかったようですが、今は縮小されています。内陣(ないじん)の格天井(ごうてんじょう)の板絵や枡組(ますぐみ)などに造営当初の面影(おもかげ)が残されているそうです。
本殿の裏側(1999年6月13日撮影) |
社殿は平面的には凸型になっています。裏側から見た右の写真でその形をお分かりいただけると思います。
立て札には「屋根は銅板本葺(ほんぶき)入母屋造(いりもやづくり)、建坪(たてつぼ)六坪八合(二二・八四m2)、拝殿の部分は桁行(げたゆき)三間、張間(はりま)二間で廻縁を廻(めぐ)らし、本殿は桁行二間、張間三間と細長く突出た平面である」とあります。
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