第5代将軍綱吉(つなよし)(1646〜1709)の勅額門(ちょくがくもん)です。常憲院(じょうけんいん)とは綱吉の院号です。
勅額門とは天皇直筆の額を賜(たまわ)った門ということですが、現在はありませんでした。綱吉は生類憐(しょうるい・あわれ)みの令(れい)をだした犬公方(いぬくぼう)として有名ですが、その治世は江戸幕府も安泰(あんたい)となり、町人文化も大きく開花・発展しました。文化の面からは元禄(げんろく)時代と呼ばれています。
1690(元禄 3. 7.)湯島聖堂(ゆしま・せいどう)が建てられたり、1702(元禄15.12.)赤穂浪士(あこう・ろうし)の討ち入りがあったり、井原西鶴(いはら・さいかく)(1642〜1693)・松尾芭蕉(まつお・ばしょう)(1644〜1694)や近松門左衛門(ちかまつ・もんざえもん)(1653〜1724)もこのころの人でした。1682(天和 2.12.)八百屋お七(しち)の火事もありました。
寛永寺の徳川家の霊廟は回廊・拝殿・本殿・奥の院などほとんどが明治維新後の解体や戦災で失われました。他に第4代将軍家綱(いえつな)の厳有院(げんゆういん)霊廟勅額門が現存しています。参考:第7代将軍家継の有章院霊廟二天門(増上寺)
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