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神田明神(1997年4月10日撮影)
東京都千代田区外神田2丁目
鳥居
 現在の正式名称は「神田神社」ですが、昔からの名前の神田明神(かんだみょうじん)で親しまれています。神社の御由緒書(20.3KB)の御社名にも両名が書かれていました。

 創建は 730(天平 2)、現在の千代田区大手町の将門塚(しょうもんづか)の地にありました。のちに平将門(たいらのまさかど)も祀られました。徳川家康の江戸城建設・拡大にともない1603(慶長 8)駿河台に、1616(元和 2)現在地に移転しています。でも、移転させようとすると祟(たた)ると恐れられた将門塚は現在もその地に残っています。

神門神門の唐獅子
 神門は社殿より遅れて1975(昭和50)に完成しました。
社殿
 幾度か災害に遭い、現在の社殿は1934(昭和 9)鉄筋コンクリート造りです。

 祭神は大己貴命(おおあなむちのみこと)・少彦名命(すくなひこなのみこと)・平将門です。
 大己貴命は、大国主命(おおくにぬしのみこと)とも呼ばれています。少彦名神と協力して天下を経営し、のちに天照大神(あまてらすおおみかみ)の命に従い国土を天孫(てんそん)瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に譲ったことは「国譲り」の神話として知られています。
 少彦名命は、明治政府によって逆賊である平将門を合祀(ごうし)からはずす目的で1874(明治 7)大洗磯前神社(おおあらい・いそざき・じんじゃ)から招致されました。
 平将門は朝敵とされてしまいましたが、板東(ばんどう)(東国)では敬愛されつづけ、明治時代に合祀から外されそうになった時も氏子や東京庶民によって大反対運動が起こされました。

獅子左獅子右
 ここの狛犬は角もなく、だからと言って唐獅子でもありません。
 限りなくライオンに近い狗(いぬ)といった感じです。スフィンクスのように平行に置かれていますが、狛犬のように阿吽(あうん)の像です。彫刻家の池田勇八氏の作品(1923(昭和 8))です。

 その他に1990(平成 2)獅子山(34.7KB)が再建されました。作年は1862(文久 2)です。

平次とがらっ八の碑
 明神下(の台所町)で有名な銭形平次の石碑(29.7KB)もありました。台座は丸く銭の形をしています。右下の小さなものは通称がらっ八、八五郎の石碑(33.9KB)です。

 神門の裏側には右の写真のように、顔をのぞかせる記念写真用の平次もございます。
 その他、末社も多いので社殿の周りをぐるりと廻って見てください。

銭形平次

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