高麗山(こまさん)聖天院勝楽寺(しょうらくじ)は、高麗王若光(こまのこきし・じゃっこう)の菩提(ぼだい)を弔(とむら)うため、王の侍念僧勝楽と弟子が開いたお寺です。本尊は王の守護仏であった聖天尊(歓喜天(かんぎてん))です。7世紀の朝鮮半島では唐(とう)と新羅(しらぎ)の連合軍が 660年に百済(くだら)を滅ぼしています。 663年には百済と同盟していた日本も白村江(はくすきのえ,ハクソンコウ)の戦いで敗退します。 668年には北朝鮮から満州(中国東北部)にあった高句麗(こうくり)も滅亡します。
この時、百済の民だけでなく、高句麗の一族も日本に多数渡来し、ここ高麗郷(こまごう)などに移住しました。若光は高麗郡の郡司(ぐんじ)になっています。
山門の前にある2本の柱は将軍標(しょうぐんひょう)です。また、山門を入った右には朝鮮様式の若光の墓があります。近くには若光を祀(まつ)る高麗神社(こまじんじゃ)もあります。
【高麗】
当時、日本では高句麗を「高麗(こま)」と呼んでいましたが、同じ朝鮮に 918年「高麗(こうらい)」という王朝が誕生してしまいました。現在ではどちらも「こま(高麗)」と呼びます。まぎらわしいですね。
有名な好太王(こうたいおう)(広開土王(こうかいどおう))の石碑は、高句麗の王のものです。この王は 400年ころに日本と戦い、朝鮮半島から撃退しています。【将軍標】
天下大将軍(左)と地下女将軍(右)と標(しる)され、柱の上部にはそれぞれ男(左)と女(右)の顔が彫刻されています。
災忌防除(さいきぼうじょ)・悪魔退治(あくまたいじ)・家内安全(かないあんぜん)を祈願したものだそうです。絵馬(えま)も「馬」ではなく「将軍標(28.9KB)」でした。
韓国・朝鮮の村にはいたる所に建てられているそうです。日本でいえば道祖神(どうそじん)のようなものでしょうか。
寺院関連の索引に戻る |