大正天皇のお墓は、上円下方墳(じょうえん・かほう・ふん)ですが、かなり全体の高さがあり、近くで見上げると逆に上部の円墳は見えません。また、離れて見ようとすると鳥居や樹木で隠れてしまいます。丸い石でおおわれているという話ですが……。
意図的にそう設計されているようです。向かって右手には貞明(ていめい)皇后の多摩東陵(たまとうりょう)があります。
【大正 天皇】1879(明治12)〜1926.12.25(大正15)
第123代天皇。名は明宮(はるのみや)・嘉仁(よしひと)。明治天皇の第3皇子、母は柳原光愛の娘愛子(なるこ)。
皇后は貞明皇后、迪宮(みちのみや)裕仁(ひろひと)親王(昭和天皇)・秩父宮雍仁(やすひと)親王・高松宮宣仁(のぶひと)親王・三笠宮崇仁(たかひと)親王の父。
1889(明治22)立太子。
1900(明治33)九条道孝公爵の娘節子(さだこ)(貞明皇后)と結婚。
1912. 7.30(明治45)明治天皇の死とともに践祚(せんそ)。
1915.11.10(大正 4)京都御所で即位の大礼を挙行。
病弱・脳病により、1921.11.25(大正10)皇太子裕仁親王(昭和天皇)を摂政に任命。
葉山御用邸で崩御(ほうぎょ)。◎1927. 2. 8(昭和 2)ここに埋葬されました。
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