鳥居があって左右には石灯籠や狛犬もあって、正に神社って感じがしますが、実は神式の墓所です。ここは江戸幕末の盛岡藩主、南部利剛(なんぶ としひさ)(1827〜1896)の墓所です。真正面の墓石が利剛の、向って左側に添うているのが夫人の墓石です。
南部盛岡藩は、戊辰戦争の際に1868(慶応 4. 5.)仙台藩を中心とする奥羽越列藩同盟(おううえつ・れっぱんどうめい)に参加しました。奥羽25藩と越後6藩が盟約を結び、新政府と抗戦しましたが、結果は9月には敗北。墓碑銘は単に「正三位南部利剛墓」(87.8KB)。当然、神式なので仏式の戒名はありません。
利剛は降伏し、東京に送られ謹慎に処せられています。その後、華族として正三位に叙せられました。ここ、護国寺には陸軍大将武藤信義の墓など鳥居のある墓は他にもたくさんあります。
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