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千姫の墓(1998年2月19日撮影)
東京都文京区小石川3−23−6 無量山 伝通院 墓地
【千姫(せんひめ)】1597(慶長 2)〜1666(寛文 6. 2. 6)
第2代将軍徳川秀忠(ひでただ)の長女、徳川家康(いえやす)の孫娘です。
1603(慶長 8)大坂に入城し7歳で豊臣秀頼(ひでより)と結婚しました。まさに政略結婚です。
1615(慶長20. 5.)大坂落城の際に救出され、翌年、伊勢国(三重県)桑名城主本多忠政(ただまさ)の子忠刻(ただとき)に再婚。忠刻は1617(元和 3)播磨(はりま)国(兵庫県)10万石を与えられました。1626(寛永 3)忠刻の死後、落飾(らくしょく)して天樹院(てんじゅいん)と称し江戸に帰り竹橋御殿に住みました。
落飾とは出家することです。
大坂落城の際、一説に千姫は石見国(島根県)津和野(3万石)城主坂崎出羽守(でわのかみ)直盛(なおもり)に助けられて城を出ました。でも、坂崎が醜男(ぶおとこ)だったので家康が約束した婚約を破り、美男の忠刻に再婚したといわれています。
しかし実際には堀内主水(もんど)という武士が千姫を大坂城から連れ出しています。また忠政の妻は家康の長男信康(のぶやす)の娘熊姫(くまひめ)で、千姫の従姉妹(いとこ)でした。その熊姫から忠刻の嫁にと申し入れがあったのだそうです。
それでも坂崎が千姫を奪還しようとしたのは、自分が世話をした京都の公卿家との縁組みを無視されたためといいます。
いろいろ俗説の多い人でした。