浅草(あさくさ)の浅草寺(せんそうじ)の東側にある側門です。門の構造は八脚門(やつあしもん)・切妻造(きりづまづく)り・本瓦葺(ほんかわらぶ)きです。右上の門のみ1997年11月3日撮影。この門の元は、1618(元和 4)東照権現社(とうしょうごんげんしゃ)を浅草寺の境内(けいだい)に勧請(かんじょう)した際に将軍参詣(さんけい)の廟門(びょうもん)として建立(こんりゅう)された随神門(ずいじんもん)です。門の両側には豊岩間戸命(とよいわまどのみこと)・櫛岩間戸命(くしいわまどのみこと)の二神像が安置(あんち)されていました。
東照権現社はその後1631(寛永 8)・1642(寛永19)と火災に遭(あ)い、随神門は火災からまぬがれて残り、また戦災からもまぬがれました。神橋(淡島の石橋)も現存しています。東照権現社はその後、再建されず1649(慶安 2.12.)第3代将軍家光が三社権現(さんじゃごんげん)(現在の浅草神社)を造営(ぞうえい)したおりに合祀(ごうし)されました。
1884(明治17)神仏兼帯を改めた時に、この門の随神は浅草神社(あさくさじんじゃ)に移されて増長天(ぞうじょうてん)・持国天(じこくてん)の二天を安置し、三条実美(さんじょう・さねとみ)(1837〜1891)の筆になる「二天門(にてんもん)」の額が掲(かか)げられました。
現在の増長天・持国天の像は、1957(昭和32)寛永寺から移された江戸初期の作品です。
増長天・持国天は、多聞天(たもんてん)・広目天(こうもくてん)とともに四天王(してんのう)と呼ばれ、仏教の護法神です。彩色(さいしき)が残っていれば区別は簡単なのですが、左が増長天、右が持国天です。【増長天】
宇宙全世界の中心にそびえ立つという須弥山(しゅみせん)の南面中腹(ちゅうふく)に住しています。一般に甲胄(かっちゅう)の上に天衣(てんね)をまとい忿怒(ふんぬ)の武将形で、鉾(ほこ)または剣(つるぎ)を持つ赤身の武神です。
足が速いことで有名な韋駄天(いだてん)は増長天の八大将軍の一つです。
また鳩槃荼(くばんだ)などの鬼神(きしん)も統率しています【持国天】
須弥山の東面中腹に住しています。一般には甲胄を着けた忿怒の武将形に表され、右手に宝珠(ほうじゅ)、左手に剣を持つ青身の武神です。ともにインドの神様です。一般に甲胄をまとった仁王様はインド風、半身裸形(らぎょう)は中国風です。
四天王の多聞天・広目天については増上寺(ぞうじょうじ)の有章院霊廟(ゆうしょういん・れいびょう)二天門をご覧ください。