PDD図書館管理番号 1000.0000.0092.01

西運とお七地蔵尊(1997年3月25日撮影)
東京都目黒区下目黒1丁目 大円寺境内
お七地蔵西運の石碑
鉦
 現在の目黒雅叙園(がじょえん)の場所にはかつて明王院(みょうおういん)というお寺がありました。そこの西運和尚(さいうん・おしょう)は、「八百屋お七(しち)・吉三(きちざ)」の吉三郎(きちさぶろう)だったと言われています。

 吉三はお七が鈴ヶ森(すずがもり)で処刑された後、西運という僧になり全国を行脚(あんぎゃ)し、明王院に入りました。そしてお七の菩提(ぼだい)を弔(とむら)うため、明王院から浅草観音(あさくさ・かんのん)までの往復十里(約40km)を夜から明け方にかけて鉦(かね)を叩き念仏を唱え隔夜日参り一万日の行(ぎょう)を27年5ヶ月かけて成し遂げました。そのとき、お七が夢枕に立ち成仏(じょうぶつ)したことを告げたので「お七地蔵尊(じぞうそん)」(左の写真)を造ったのだそうです。

菩提を弔うとは死後の幸福を祈ることです。
 それにしては新しいように思いますが、初代ではないのでしょう。お地蔵様に向かって右には西運和尚を刻んだ石碑(右上の写真)があります。写真をクリックすると拡大された西運和尚のお姿(24.0KB)が現れます。さらに右側には鉦(右下の写真)もありました。
 西運和尚は行の途中、多くの人達から浄財(じょうざい)の寄進(きしん)を受け、これを基金に行人坂(ぎょうにんざか)に敷石(しきいし)の道を作ったり、目黒川に石の太鼓橋(たいこばし)を架けるなど社会事業も行ったそうです。

 明王院は廃寺となり、阿弥陀堂(28.0KB)(あみだどう)とともに地蔵尊・石碑などもここ、大円寺(44.2KB)(だいえんじ)に移されています。
 江戸三大火事の一つ、1772(明和 9)行人坂火事の火元となった「大円寺」については改めてご紹介するつもりです。

八百屋お七の墓:於七地蔵尊もあります



寺院関連の索引に戻る