PDD図書館管理番号 0000.0000.0159.00 新字新かなに変換している ざしき童子のはなし 宮沢賢治:作  ぼくらの方の、ざしき童子(ボッコ)のはなしです。  あかるいひるま、みんなが山へはたらきに出て、こどもがふたり、庭であそんで居 (オ)りました。大きな家にたれも居(イ)ませんでしたから、そこらはしんとしています。  ところが家の、どこかのざしきで、ざわっざわっと箒(ホウキ)の音がしたのです。  ふたりのこどもは、おたがい肩にしっかりと手を組みあって、こっそり行ってみま したが、どのざしきにもたれも居ず、刀の箱もひっそりとして、かきねの檜葉(ヒバ) が、いよいよ青く見えるきり、たれもどこにも居ませんでした。  ざわっざわっと箒の音がきこえます。  とおくの百舌(モズ)の声なのか、北上川の瀬の音か、どこかで豆を箕(ミ)にかけるの か、ふたりでいろいろ考えながら、だまって聴(キ)いてみましたが、やっぱりどれで もないようでした。  たしかにどこかで、ざわっざわっと箒の音がきこえたのです。  も一どこっそり、ざしきをのぞいてみましたが、どのざしきにもたれも居ず、たゞ お日さまの光ばかり、そこらいちめん、あかるく降(フ)って居りました。  こんなのがざしき童子です。 「大道(デエドウ)めぐり、大道めぐり。」  一生けん命、こう叫びながら、ちょうど十人の子供らが、両手をつないで円(マル)く なり、ぐるぐるぐるぐる、座敷のなかをまわっていました。どの子もみんな、そのう ちのお振舞(フルマイ)によばれて来たのです。  ぐるぐるぐるぐる、まわってあそんで居りました。  そしたらいつか、十一人になりました。  ひとりも知らない顔がなく、ひとりもおんなじ顔がなく、それでもやっぱり、どう 数えても十一人だけ居りました。その殖(フ)えた一人がざしきぼっこなのだぞと、大 人が出て来て云いました。  けれどもたれが殖えたのか、とにかくみんな、自分だけは、何(ドウ)だってざしき ぼっこだないと、一生けん命眼を張って、きちんと座(スワ)って居りました。  こんなのがざしきぼっこです。  それからまたこういうのです。  ある大きな本家では、いつも旧の八月のはじめに、如来(ニョライ)さまのおまつりで、 分家の子供らをよぶのでしたが、ある年、その中の一人の子が、はしかにかかってや すんでいました。 「如来さんの祭へ行くたい。如来さんの祭へ行くたい。」と、その子は寝ていて、毎 日毎日云いました。 「祭延(ノ)ばすから早くよくなれ。」本家のおばあさんが見舞(ミマイ)に行って、その子 の頭をなでて云いました。  その子は九月によくなりました。  そこでみんなはよばれました。ところがほかの子供らは、いままで祭を延ばされた り、鉛の兎(ウサギ)を見舞にとられたりしたので、何ともおもしろくなくてたまりませ んでした。あいつのためにひどいめにあった。もう今日は来ても何(ドウ)したってあ そばないて、と約束しました。 「おゝ、来たぞ、来たぞ。」みんながざしきであそんでいたとき、にわかに一人が叫 びました。「ようし、かくれろ。」みんなは次の、小さなざしきへかけ込みました。  そしたらどうです。そのざしきのまん中に、今やっと来たばっかりの筈(ハズ)の、 あのはしかをやんだ子が、まるっきり瘠(ヤ)せて青ざめて、泣き出しそうな顔をして、 新しい熊のおもちゃを持って、きちんと座っていたのです。 「ざしきぼっこだ」一人が叫んで遁(ニ)げだしました。みんなもわあっと遁げました。 ざしきぼっこは泣きました。  こんなのがざしきぼっこです。  また、北上川の朗明寺(ロウミョウジ)の淵(フチ)の渡し守(モリ)が、ある日わたしに云いま した。 「旧暦八月十七日の晩に、おらは酒をのんで早く寝た。おおい、おおいと向うで呼ん だ。起きて小屋から出てみたら、お月さまはちょうどそらのてっぺんだ。おらは急い で舟だして、向うの岸に行ってみたらば、紋付(モンツキ)を着て刀をさし、袴(ハカマ)をは いたきれいな子供だ。たった一人で、白緒(シロオ)のぞうりもはいていた。渡るかと云っ たら、たのむと云った。子どもは乗った。舟がまん中ごろに来たとき、おらは見ない ふりしてよく子供を見た。きちんと膝に手を置いて、そらを見ながら座っていた。  お前さん今からどこへ行く、どこから来たってきいたらば、子供はかわいい声で答 えた。そこの笹田(ササダ)のうちにずいぶんながく居たけれど、もうあきたから外(ホカ) へ行くよ。なぜあきたねってきいたらば、子供はだまってわらっていた。どこへ行く ねってまたきいたらば、更木(サラキ)の斎藤へ行くよと云った。岸に着いたら子供はも う居ず、おらは小屋の入口にこしかけていた。夢だかなんだかわからない。けれども きっと本統(ホントウ)だ。それから笹田がおちぶれて、更木の斎藤では病気もすっかり直っ たし、むすこも大学を終ったし、めきめき立派になったから。」  こんなのがざしき童子です。 (『月曜』大正十五年二月)