PDD図書館管理番号 0000.0000.0156.00 新字新かなに変換している 雪 渡 り 宮沢賢治:作   その一(小狐の紺三郎)  雪がすっかり凍って大理石よりも堅くなり、空も冷たい滑らかな青い石の板で出来 ているらしいのです。 「堅雪かんこ、しみ雪かんこ。」  お日様がまっ白に燃えて百合(ユリ)の匂(ニオイ)を撒(マ)きちらし又雪をぎらぎら照らし ました。  木なんかみんなザラメを掛けたように霜(シモ)でぴかぴかしています。 「堅雪かんこ、凍(シ)み雪かんこ。」四郎とかん子とは小さな雪沓(ユキグツ)をはいてキッ クキックキック、野原に出ました。  こんな面白い日が、またとあるでしょうか。いつもは歩けない黍(キビ)の畑の中で も、すすきで一杯(イッパイ)だった野原の上でも、すきな方へどこ迄でも行けるのです。 平らなことはまるで一枚の板です。そしてそれが沢山(タクサン)の小さな小さな鏡のよう にキラキラ光るのです。 「堅雪かんこ、凍み雪かんこ。」  二人は森の近くまで来ました。大きな柏(カシワ)の木は枝も埋まるくらい立派な透き とおった氷柱(ツララ)を下げて重そうに身体(カラダ)を曲げて居(オ)りました。 「堅雪かんこ、凍み雪かんこ。狐の子ぁ、嫁ぃほしい、ほしい。」と二人は森へ向い て高く叫びました。  しばらくしいんとしましたので、二人はも一度叫ぼうとして息をのみこんだとき、 森の中から、 「凍み雪しんしん、堅雪かんかん。」と云いながら、キシリキシリ雪をふんで白い狐 の子が出て来ました。  四郎は少しぎょっとしてかん子をうしろにかばって、しっかり足をふんばって叫び ました。 「狐こんこん白狐、お嫁ほしけりゃ、とってやろよ。」  すると狐がまだまるで小さいくせに、銀の針のようなおひげをピンと一つひねって 云いました。 「四郎はしんこ、かん子はかんこ、おらはお嫁はいらないよ。」  四郎が笑って云いました。 「狐こんこん、狐の子、お嫁がいらなきゃ餅(モチ)やろか。」すると狐の子も頭を二つ 三つ振って面白そうに云いました。 「四郎はしんこ、かん子はかんこ、黍の団子(ダンゴ)をおれやろか。」  かん子もあんまり面白いので、四郎のうしろにかくれたまゝそっと歌いました。 「狐こんこん狐の子、狐の団子は兎(ウサ)のくそ。」  すると小狐紺三郎は笑って云いました。 「いゝえ、決してそんなことはありません。あなた方のような立派なお方が、兎の茶 色の団子なんか召しあがるもんですか。私らは全体いままで人をだますなんて、あん まりむじつの罪をきせられていたのです。」  四郎がおどろいて尋(タズ)ねました。 「そいじゃ、きつねが人をだますなんて偽(ウソ)かしら。」  紺三郎が熱心に云いました。 「偽ですとも。けだし最もひどい偽です。だまされたという人は大抵(タイテイ)お酒に酔っ たり、臆病(オクビョウ)でくるくるしたりした人です。面白いですよ。甚兵衛さんがこの 前、月夜の晩、私たちのお家の前に坐(スワ)って一晩じょうるりをやりましたよ。私ら はみんな出て見たのです。」  四郎が叫びました。 「甚兵衛さんならじょうるりじゃないや。きっと浪花(ナニワ)ぶしだぜ。」  子狐紺三郎はなるほどという顔をして、 「えゝ、そうかもしれません。とにかくお団子をおあがりなさい。私のさしあげるの は、ちゃんと私が畑を作って播(マ)いて、草をとって刈(カ)って、叩(タタ)いて粉にして、 練ってむして、お砂糖をかけたのです。いかゞですか。一皿さしあげましょう。」と 云いました。  と四郎が笑って、 「紺三郎さん、僕らは丁度いまね、お餅をたべて来たんだからおなかが減(ヘ)らない んだよ。この次におよばれしようか。」  子狐の紺三郎が嬉(ウレ)しがって、みじかい腕をばたばたして云いました。 「そうですか。そんなら今度幻燈(ゲントウ)会のときさしあげましょう。幻燈会にきっ といらっしゃい。この次の雪の凍った月夜の晩です。八時からはじめますから、入場 券をあげて置きましょう。何枚あげましょうか。」 「そんなら五枚お呉(ク)れ。」と四郎が云いました。 「五枚ですか。あなた方が二枚にあとの三枚はどなたですか。」と紺三郎が云いまし た。 「兄さんたちだ。」と四郎が答えますと、 「兄さんたちは十一歳以下ですか。」と紺三郎が又尋ねました。 「いや小兄(チイニイ)さんは四年生だからね、八つの四つで十二歳。」と四郎が云いまし た。  すると紺三郎は尤(モット)もらしく又おひげを一つひねって云いました。 「それでは残念ですが兄さんたちはお断(コト)わりです。あなた方だけでいらっしゃい。 特別席をとって置きますから、面白いですよ。幻燈は第一が『お酒をのむべからず。』 これはあなたの村の太右衛門さんと、清作さんがお酒をのんでとうとう目がくらんで、 野原にあるへんてこなおまんじゅうや、おそばを食べようとした所です。私も写真に 中にうつっています。第二が『わなに注意せよ。』これは私共のこん兵衛が野原でわ なにかかったのを画いたのです。絵です。写真ではありません。第三が『火を軽べつ すべからず。』これは私共のこん助が、あなたのお家へ行って尻尾(シッポ)を焼いた景 色です。ぜひおいで下さい。」  二人は悦(ヨロコ)んでうなづきました。  狐は可笑(オカ)しそうに口を曲げて、キックキックトントンキックキックトントンと 足ぶみをはじめて、しっぽと頭を振ってしばらく考えていましたが、やっと思いつい たらしく、両手を振って調子をとりながら歌いはじめました。   「凍み雪しんこ、堅雪かんこ、      野原のまんじゅうはポッポッポッ。    酔ってひょろひょろ太右衛門が、      去年、三十八、たべた。    凍み雪しんこ、堅雪かんこ、      野原のおそばはホッホッホッ。    酔ってひょろひょろ清作が、      去年十三ばいたべた。」  四郎もかん子もすっかり釣り込まれて、もう狐と一緒(イッショ)に踊っています。  キック、キック、トントン。キック、キック、トントン。キック、キック、キック、 キック、トントントン。  四郎が歌いました。 「狐こんこん狐の子、去年狐のこん兵衛が、ひだりの足をわなに入れ、こんこんばた ばたこんこんこん。」  かん子が歌いました。 「狐こんこん狐の子、去年のこん助が、焼いた魚を取ろとして、おしりに火がつき、 きゃんきゃんきゃん。」  キック、キック、トントン。キック、キック、トントン。キック、キック、キック、 キックトントントン。  そして三人は踊りながらだんだん林の中にはいって行きました。赤い封蝋<*>(フウロウ) 細工のほうの木の芽が、風に吹かれてピッカリピッカリと光り、林の中の雪には藍(ア イ)色の木の影がいちめん網になって落ちて、日光のあたる所には銀の百合(ユリ)が咲い たように見えました。  すると子狐紺三郎が云いました。 「鹿(シカ)の子もよびましょうか。鹿の子はそりゃ笛がうまいんですよ。」  四郎とかん子とは手を叩いてよろこびました。そこで三人は一緒に叫びました。 「堅雪かんこ、凍み雪かんこ、鹿の子ぁ嫁ぃほしい、ほしい。」  すると向うで、 「北風ぴいぴい風三郎、西風どうどう又三郎。」と細い、いゝ声がしました。  狐の子の紺三郎がいかにもばかにしたように、口を尖らして云いました。 「あれは鹿の子です。あいつは臆病ですから、とてもこっちへ来そうにありません。 けれどもう一遍(イッペン)叫んでみましょうか。」  そこで三人は又叫びました。 「堅雪かんこ、凍み雪かんこ、鹿の子ぁ嫁ほしい、ほしい。」  すると今度はずうっと遠くで風の音か笛の声か、又は鹿の子の歌か、こんなように 聞えました。  「北風ぴいぴい、かんこかんこ     西風どうどう、どっこどっこ。」  狐は又ひげをひねって云いました。 「雪が柔かになるといけませんからもうお帰りなさい。今度月夜に雪が凍ったら、きっ とおいで下さい。さっきの幻燈をやりますから。」  そこで四郎とかん子とは 「堅雪かんこ、凍み雪しんこ。」と歌いながら銀の雪を渡っておうちへ帰りました。 「堅雪かんこ、凍み雪しんこ。」 <*>「蝋」は「虫」偏に「臘」-「月」 (『愛国婦人』大正十年十二月)   その二(狐小学校の幻燈会)  青白い大きな十五夜のお月様がしずかに氷(ヒ)の上山(カミヤマ)から登りました。  雪はチカチカ青く光り、そして今日も寒水石(カンミズイシ)のように堅く凍りました。  四郎は狐の紺三郎との約束を思い出して、妹のかん子にそっと云いました。 「今夜狐の幻燈会なんだね。行こうか。」  するとかん子は、 「行きましょう。行きましょう。狐こんこん狐の子、こんこん狐の紺三郎。」と、は ねあがって高く叫んでしまいました。  すると二番目の兄さんの二郎が、 「お前たちは狐のとこへ遊びに行くのかい。僕も行きたいな。」と云いました。  四郎は困ってしまって肩をすくめて云いました。 「大(オオ)兄さん、だって、狐の幻燈会は十一歳までですよ、入場券に書いてあるんだ もの。」  二郎が云いました。 「どれ、ちょっとお見せ、ははあ、学校生徒の父兄にあらずして、十二歳以上の来賓 (ライヒン)は入場をお断わり申し候(ソウロウ) 狐なんて仲々うまくやってるね。僕はいけな いんだね。仕方ないや、お前たちいくんならお餅を持っていっておやりよ。そら、こ の鏡餅がいゝだろう。」  四郎とかん子はそこで小さな雪沓をはいてお餅をかついで外に出ました。  兄弟の一郎二郎三郎は戸口に並んで立って、 「行っておいで。大人の狐にあったら、急いで目をつぶるんだよ。そら、僕ら囃(ハヤ) してやろうか。堅雪かんこ、凍み雪しんこ、狐の子ぁ嫁ぃほしいほしい。」と叫びま した。  お月様は空に高く登り、森は青白いけむりに包まれています。二人はもう森の入口 に来ました。  すると胸にどんぐりのきしょうをつけた白い小さな狐の子が立っていて云いました。 「今晩は。お早うございます。入場券はお持ちですか。」 「持っています。」二人はそれを出しました。 「さあ、どうぞあちらへ。」狐の子が尤(モット)もらしくからだを曲げて、眼をパチパ チしながら林の奥を手で教えました。  林の中には月の光が、青い棒を何本も、斜めに投げ込んだように射して居りました。 その中のあき地に二人は来ました。  見るともう狐の学校生徒が沢山集まって、栗の皮をぶっつけ合ったり、すもうをとっ たり、殊(コト)におかしいのは小さな小さな鼠(ネズミ)位の狐の子が大きな子供の狐の肩 車(カタグルマ)に乗ってお星様を取ろうとしているのです。  みんなの前の木の枝に白い一枚の敷布がさがっていました。  不意にうしろで、 「今晩は、よくおいでゞした。先日は失礼しました。」という声がしますので、四郎 とかん子とはびっくりして振り向いて見ると紺三郎です。  紺三郎なんかまるで立派な燕尾服(エンビフク)を着て水仙(スイセン)の花を胸につけて、まっ 白なはんけちでしきりにその尖ったお口を拭いているのです。  四郎は一寸お辞儀(ジギ)をして云いました。 「この間は失敬。それから今晩はありがとう。このお餅をみんなであがって下さい。」  狐の学校生徒はみんなこっちを見ています。  紺三郎は胸を一杯に張ってすまして餅を受けとりました。 「これはどうもおみやげを戴(イタダ)いて済(ス)みません。どうかごゆるりとなすって 下さい。もうすぐ幻燈もはじまります。私は一寸失礼いたします。」  紺三郎はお餅を持って向うへ行きました。  狐の学校生徒は声をそろえて叫びました。 「堅雪かんこ、凍み雪しんこ、硬(カタ)いお餅はかったらこ、白いお餅はべったらこ。」  幕の横に、 「寄贈、お餅沢山、人の四郎氏、人のかん子氏」と大きな札が出ました。狐の生徒は 悦んで手をパチパチ叩きました。  その時ピーと笛が鳴りました。  紺三郎がエヘンエヘンとせきばらいをしながら幕の横から出て来て丁寧(テイネイ)にお 辞儀をしました。みんなはしんとなりました。 「今夜は美しい天気です。お月様はまるで真珠(シンジュ)のお皿です。お星さまは野原 の露がキラキラ固まったようです。さて只今(タダイマ)から幻燈会をやります。みなさ んは瞬(マタタキ)や、くしゃみをしないで目をまんまろに開いて見ていて下さい。  それから今夜は大切な二人のお客さまがありますから、どなたも静かにしないとい けません。決してそっちの方へ栗の皮を投げたりしてはなりません。開会の辞です。」  みんなは悦んでパチパチ手を叩きました。そして四郎がかん子にそっと云いました。 「紺三郎さんはうまいんだね。」  笛がピーと鳴りました。 『お酒をのむべからず』大きな字が幕にうつりました。そしてそれが消えて写真がう つりました。  一人のお酒に酔った人間のおじいさんが何かおかしな円いものをつかんでいる景色 です。  みんなは足ぶみをして歌いました。   キックキックトントンキックキックトントン    凍み雪しんこ、堅雪かんこ、        野原のまんじゅうはぽっぽっぽ    酔ってひょろひょろ太右衛門が        去年、三十八たべた。    キックキックキックキックトントントン。  写真が消えました。四郎はそっとかん子に云いました。 「あの歌は紺三郎さんのだよ。」  別の写真がうつりました。一人のお酒に酔った若い者が、ほうの木の葉でこしらえ たお椀(ワン)のようなものに顔をつっ込んで、何か喰(タ)べています。紺三郎さんが白 い袴(ハカマ)をはいて、向うで見ているけしきです。  みんな足踏みをして歌いました。   キックキックトントン、キックキック、トントン、    凍み雪しんこ、堅雪かんこ、        野原のおそばはぽっぽっぽ    酔ってひょろひょろ清作が        去年十三ばい食べた。    キック、キック、キック、キック、トン、トン、トン。  写真が消えて一寸やすみになりました。  可愛らしい狐の女の子が黍団子(キビダンゴ)をのせたお皿を二つ持って来ました。  四郎はすっかり弱ってしまいました。なぜってたった今、太右衛門と清作との悪い ものを知らないで喰べたのを見ているのですから。  それに狐の学校生徒がみんなこっちを向いて、「食うだろうか。ね、食うだろう か。」なんてひそひそ話し合っているのです。かん子ははずかしくてお皿を手に持っ たまゝ、まっ赤になってしまいました。すると四郎が決心して云いました。 「ね、喰べよう。お喰べよ。僕は紺三郎さんが僕らを欺(ダマ)すなんて思わないよ。」 そして二人は黍団子をみんな喰べました。そのおいしいことは頬(ホ)っぺたも落ちそ うです。狐の学校生徒はもう、あんまり悦んでみんな踊りあがってしまいました。 キックキックトントン、キックキックトントン。  「ひるはカンカン日のひかり  よるはツンツン月あかり、  たとえからだを、さかれても  狐の生徒はうそ云うな。」 キックキックトントン、キックキックトントン。  「ひるはカンカン日のひかり  よるはツンツン月あかり  たとえこゞえて倒れても  狐の生徒はぬすまない。」 キックキックトントン、キックキックトントン。  「ひるはカンカン日のひかり  よるはツンツン月あかり  たとえからだがちぎれても  狐の生徒はそねまない。」 キックキックトントン、キックキックトントン。  四郎もかん子もあんまり嬉(ウレ)しくて涙がこぼれました。  笛がピーとなりました。 『わなを軽べつすべからず』と大きな字がうつり、それが消えて絵がうつりました。 狐のこん兵衛がわなに左足をとられた景色です。 「狐こんこん狐の子、去年狐のこん兵衛が 左の足をわなに入れ、こんこんばたばた               こんこんこん。」 とみんなが歌いました。  四郎がそっとかん子に云いました。 「僕の作った歌だねい。」  絵が消えて『火を軽べつすべからず』という字があらわれました。それも消えて絵 がうつりました。狐のこん助が焼いたお魚を取ろうとして、しっぽに火がついた所で す。  狐の生徒がみな叫びました。 「狐こんこん狐の子、去年狐のこん助が 焼いたお魚を取ろとしておしりに火がつき                きゃんきゃんきゃん。」  笛がピーとなり幕は明るくなって、紺三郎が又出て来て云いました。 「みなさん。今晩の幻燈はこれでおしまいです。今夜みなさん深く心に留めなければ ならないことがあります。それは狐のこしらえたものを、賢いすこしも酔わない人間 のお子さんが、喰べて下すったという事です。そこでみなさんはこれからも、大人に なっても、うそをつかず人をそねまず、私共狐の今迄の悪い評判をすっかり無くして しまうだろうと思います。閉会の辞です。」  狐の生徒はみんな感動して両手をあげたりワーッと立ちあがりました。そしてキラ キラ涙をこぼしたのです。  紺三郎が二人の前に来て、丁寧におじぎをして云いました。 「それでは、さようなら。今夜のご恩は決して忘れません。」二人もおじぎをしてう ちの方へ帰りました。狐の生徒たちが追いかけて来て二人のふところやかくしに、ど んぐりだの栗だの、青びかりの石だのを入れて、 「そら、あげますよ。」「そら、取って下さい。」なんて云って、風の様に逃げ帰っ て行きます。  紺三郎は笑って見ていました。  二人は森を出て野原を行きました。  その青白い雪の野原のまん中で、三人の黒い影が向うから来るのが見えました。そ れは迎えに来た兄さん達でした。 (『愛国婦人』大正十一年一月)