PDD図書館管理番号 0000.0000.0165.00 新字新かなに変換している ( ) はひらがなのルビ 注文の多い料理店 宮沢賢治:作 二人の若い紳士(シンシ)が、すっかりイギリスの兵隊のかたちをして、 ぴかぴかする鉄砲をかついで、白熊(シロクマ)のような犬を二疋(ヒキ)つれて、 だいぶ山奥の、木の葉のかさかさしてとこを、こんなことを言いながら、 あるいておりました。 「ぜんたい、ここらの山は怪(ケ)しからんね。鳥も獣(ケダモノ)も一疋も居 やがらん。なんでも構(カマ)わないから、早くタンタァーンと、やって見 たいもんだなあ。」 「鹿(シカ)の黄いろな横っ腹なんぞに、二三発お見舞もうしたら、ずいぶ ん痛快だろうねえ。くるくるまわって、それからどたっと倒れるだろう ねえ。」 それはだいぶの山奥でした。案内してきた専門の鉄砲打ちも、ちょっ とまごついて、どこかへ行ってしまったくらいの山奥でした。 それに、あんまり山が物凄(モノスゴ)いので、その白熊のような犬が、 二疋いっしょにめまいを起こして、しばらく唸(ウナ)って、それから泡(ア ワ)を吐(ハ)いて死んでしまいました。 「じつにぼくは、二千四百円の損害だ。」と一人の紳士が、その犬の眼 (マ)ぶたを、ちょっとかえしてみて言いました。 「ぼくは二千八百円の損害だ。」と、もひとりが、くやしそうに、あた まをまげて言いました。 はじめの紳士は、すこし顔いろを悪くして、じっと、もひとりの紳士 の、顔つきを見ながら言いました。 「ぼくはもう戻(モド)ろうとおもう。」 「さあ、ぼくもちょうど寒くはなったし腹は空(ス)いてきたし戻ろうと おもう。」 「そいじゃ、これで切りあげよう。なあに戻りに、昨日の宿屋で、山鳥 を拾円も買って帰ればいい。」 「兎(ウサギ)もでていたねえ。そうすれば結局おんなじこった。では帰ろ うじゃないか。」 ところがどうも困ったことは、どっちへ行けば戻れるのか、いっこう 見当がつかなくなっていました。 風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごと んごとんと鳴りました。 「どうも腹が空いた。さっきから横っ腹が痛くてたまらないんだ。」 「ぼくもそうだ。もうあんまりあるきたくないな。」 「あるきたくないよ。ああ困ったなあ、何かたべたいなあ。」 「食べたいもんだなあ。」 二人の紳士は、ざわざわ鳴るすすきの中で、こんなことを言いました。 その時ふとうしろを見ますと、立派な一軒の西洋造(ヅク)りの家があ りました。 そして玄関には、 ┌─────────────┐ │ │ │ RESTAURANT │ │ │ │ 西 洋 料 理 店 │ │ │ │WILDCAT HOUSE│ │ │ │ 山 猫 軒 │ │ │ └─────────────┘ という札がでていました。 「君、ちょうどいい。ここはこれでなかなか開けてるんだ。入ろうじゃ ないか。」 「おや、こんなとこにおかしいね。しかしとにかく何か食事ができるん だろう。」 「もちろんできるさ。看板(カンバン)にそう書いてあるじゃないか。」 「入ろうじゃないか。ぼくはもう何か食べたくて倒れそうなんだ。」 二人は玄関に立ちました。玄関は白い瀬戸の煉瓦(レンガ)で組んで、実 に立派なもんです。 そして硝子(ガラス)の開き戸がたって、そこに金文字でこう書いてあり ました。 「どなたもどうかお入りください。決してご遠慮(エンリョ)はありま せん。」 二人はそこで、ひどくよろこんで言いました。 「こいつはどうだ、やっぱり世の中はうまくできてるねえ、きょうは一 日なんぎしたけれど、こんどはこんないいこともある。このうちは料理 店だけれどもただでご馳走(チソウ)するんだぜ。」 「どうもそうらしい。決してご遠慮はありませんというのはその意味 だ。」 二人は戸を押して、なかへ入りました。そこはすぐ廊下(ロウカ)になっ ていました。その硝子戸の裏側には、金文字でこうなっていました。 「ことに肥(フト)ったお方や若いお方は、大歓迎いたします。」 二人は大歓迎というので、もう大よろこびです。 「君、ぼくらは大歓迎にあたっているのだ。」 「ぼくらは両方兼ねてるから。」 ずんずん廊下を進んで行きますと、こんどは水いろのペンキ塗(ヌ)り の扉(トビラ)がありました。 「どうも変な家だ。どうしてこんなにたくさん戸があるのだろう。」 「これはロシア式だ。寒いとこや山の中はみんなこうさ。」 そして二人はその扉をあけようとしますと、上に黄いろな字でこう書 いてありました。 「当軒(トウケン)は注文の多い料理店ですからどうかそこはご承知く ださい。」 「なかなかはやってるんだ。こんな山の中で。」 「それぁそうだ。見たまえ、東京の大きな料理屋だって大通りにはすく ないだろう。」 二人は言いながら、その扉をあけました。するとその裏側に、 「注文はずいぶん多いでしょうがどうか一々こらえて下さい。」 「これはぜんたいどういうんだ。」ひとりの紳士は顔をしかめました。 「うん、これはきっと注文があまり多くて支度が手間取るけれどもごめ ん下さいと斯(コ)ういうことだ。」 「そうだろう。早くどこか室の中にはいりたいもんだな。」 「そしてテーブルに座(スワ)りたいもんだな。」 ところがどうもうるさいことは、また扉が一つありました。そしてそ のわきに鏡がかかって、その下には長い柄(エ)のついたブラシが置いて あったのです。 扉には赤い字で、 「お客さまがた、ここで髪(カミ)をきちんとして、それからはきも のの泥(ドロ)を落してください。」と書いてありました。 「これはどうも尤(モット)もだ。僕もさっき玄関で、山のなかだとおもっ て見くびったんだよ。」 「作法(サホウ)の厳(キビ)しい家だ。きっとよほど偉い人たちが、たびたび 来るんだ。」 そこで二人は、きれいに髪をけずって、靴(クツ)の泥を落しました。 そしたら、どうです。ブラシを板の上に置くや否(イナ)や、そいつがぼ うっとかすんで無くなって、風がどうっと室の中に入って来ました。 二人はびっくりして、互によりそって、扉をがたんと開けて、次の室 へ入って行きました。早く何か暖いものでもたべて、元気をつけて置か ないと、もう途方(トホウ)もないことになってしまうと、二人とも思った のでした。 扉の内側に、また変なことが書いてありました。 「鉄砲と弾丸(タマ)をここへ置いてください。」 見るとすぐ横に黒い台がありました。 「なるほど、鉄砲を持ってものを食うと言う法はない。」 「いや、よほど偉いひとが始終来ているんだ。」 二人は鉄砲をはずし、帯皮を解いて、それを台の上に置きました。 また黒い扉がありました。 「どうか帽子と外套(ガイトウ)と靴をおとり下さい。」 「どうだ、とるか。」 「仕方ない、とろう。たしかによっぽどえらいひとなんだ。奥に来てい るのは。」 二人は帽子とオーバーコートを釘(クギ)にかけ、靴をぬいでぺたぺた あるいて扉の中にはいりました。 扉の裏側には、 「ネクタイピン、カフスボタン、眼鏡(メガネ)、財布(サイフ)、その 他金物類、ことに尖ったものは、みんなここに置いてください。」 と書いてありました。扉のすぐ横には黒塗りの立派な金庫も、ちゃん と口をあけて置いてありました。鍵(カギ)まで添えてあったのです。 「ははあ、何かの料理に電気をつかうと見えるね。金気(カナケ)のものは あぶない。ことに尖ったものはあぶないと斯(コ)う言うんだろう。」 「そうだろう。して見ると勘定(カンジョウ)は帰りにここで払うのだろう か。」 「どうもそうらしい。」 「そうだ。きっと。」 二人はめがねをはずしたり、カフスボタンをとったり、もんな金庫の 中に入れて、ぱちんと錠をかけました。 すこし行きますとまた扉があって、その前に硝子(ガラス)の壷(ツボ)が 一つありました。扉には斯う書いてありました。 「壷のなかのクリームを顔や手足にすっかり塗ってください。」 みるとたしかに壷のなかのものは牛乳のクリームでした。 「クリームをぬれというのはどういうんだ。」 「これはね、外がひじょうに寒いだろう。室のなかがあんまり暖いとひ びがきれるから、その予防なんだ。どうも奥には、よほどえらいひとが きている。こんなとこで、案外ぼくらは、貴族とちかづきになるかも知 れないよ。」 二人は壷のクリームを、顔に塗って手に塗ってそれから靴下をぬいで 足に塗りました。それでもまだ残っていましたから、それは二人ともめ いめいこっそり顔へ塗るふりをしながら食べました。 それから大急ぎで扉をあけますと、その裏側には、 「クリームをよく塗りましたか、耳にもよく塗りましたか。」 と書いてあって、ちいさなクリームの壷がここにも置いてありました。 「そうそう、ぼくは耳に塗らなかった。あぶなく耳にひびを切らすとこ だった。ここの主人はじつに用意周到(シュウトウ)だね。」 「ああ、細かいとこまでよく気がつくよ。ところでぼくは早く何か食べ たいんだが、どうも斯うどこまでも廊下じゃ仕方ないね。」 するとすぐその前に次の戸がありました。 「料理はもうすぐできます。 十五分とお待たせいたしません。 すぐたべられます。 早くあなたの頭に瓶(ビン)の中の香水をよく振りかけてくださ い。」 そして戸の前には金ピカの香水の瓶が置いてありました。 二人はその香水を、頭へぱちゃぱちゃ振りかけました。 ところがその香水は、どうも酢(ス)のような匂(ニオイ)がするのでした。 「この香水はへんに酢くさい。どうしたんだろう。」 「まちがえたんだ。下女(ゲジョ)が風邪(カゼ)でも引いてまちがえて入れ たんだ。」 二人は扉をあけて中にはいりました。 扉の裏側には、大きな字で斯う書いてありました。 「いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう。お気の毒でした。 もうこれだけです。どうかからだ中に、壷の中の塩をたくさん よくもみ込んでください。」 なるほど立派な青い瀬戸の塩壷は置いてありましたが、こんどという こんどは二人ともぎょっとしてお互にクリームをたくさん塗った顔を見 合せました。 「どうもおかしいぜ。」 「ぼくもおかしいとおもう。」 「沢山の注文というのは、向うがこっちへ注文してるんだよ。」 「だからさ、西洋料理店というのは、ぼくの考えるところでは、西洋料 理を、来た人にたべさせるのではなくて、来た人を西洋料理にして、食 べてやる家(ウチ)とこういうことなんだ。これは、その、つ、つ、つ、つ まり、ぼ、ぼ、ぼくらが……。」がたがたがたがた、ふるえだしてもう ものが言えませんでした。 「その、ぼ、ぼくらが……、うわあ。」がたがたがたがたふるえだして、 もうものが言えませんでした。 「遁(ニ)げ……。」がたがたしながら一人の紳士はうしろの戸を押そう としましたが、どうです、戸はもう一分(イチブ)も動きませんでした。 奥の方にはまだ一枚扉があって、大きなかぎ穴が二つつき、銀いろの ホークとナイフの形が切りだしてあって、 「いや、わざわざご苦労です。 大へん結構にできました。 さあさあおなかにおはいりください。」 と書いてありました。おまけにかぎ穴からはきょろきょろ二つの青い 眼玉(メダマ)がこっちをのぞいています。 「うわあ。」がたがたがたがた。 「うわあ。」がたがたがたがた。 ふたりは泣き出しました。 すると戸の中では、こそこそこんなことを言っています。 「だめだよ。もう気がついたよ。塩をもみこまないようだよ。」 「あたりまえさ。親分の書きようがまずいんだ。あすこへ、いろいろ注 文が多くてうるさかったでしょう、お気の毒でしたなんて、間抜(マヌ)け たことを書いたもんだ。」 「どっちでもいいよ。どうせぼくらには、骨も分けて呉(ク)れやしない んだ。」 「それはそうだ。けれどももしここへあいつらがはいって来なかったら、 それはぼくらの責任だぜ。」 「呼ぼうか、呼ぼう。おい、お客さん方、早くいらっしゃい。いらっしゃ い。いらっしゃい。お皿も洗ってありますし、菜っ葉ももうよく塩でも んで置きました。あとはあなたがたと、菜っ葉をうまくとりあわせて、 まっ白なお皿にのせる丈(ダケ)です。はやくいらっしゃい。」 「へい、いらっしゃい、いらっしゃい。それともサラドはお嫌(キラ)いで すか。そんならこれから火を起してフライにしてあげましょうか。とに かくはやくいらっしゃい。」 二人はあんまり心を痛めたために、顔がまるでくしゃくしゃの紙屑(カ ミクズ)のようになり、お互にその顔を見合せ、ぶるぶるふるえ、声もな く泣きました。 中ではふっふっとわらってまた叫んでいます。 「いらっしゃい、いらっしゃい。そんなに泣いては折角(セッカク)のクリー ムが流れるじゃありませんか。へい、ただいま。じきもってまいります。 さあ、早くいらっしゃい。」 「早くいらっしゃい。親方がもうナフキンをかけて、ナイフをもって、 舌なめずりして、お客さま方を待っていられます。」 二人は泣いて泣いて泣いて泣いて泣きました。 そのときうしろからいきなり、 「わん、わん、ぐわあ。」という声がして、あの白熊のような犬が二疋、 扉をつきやぶって室の中に飛び込んできました。鍵穴の眼玉はたちまち なくなり、犬どもはううとうなってしばらく室の中をくるくる廻(マワ)っ ていましたが、また一声、 「わん。」と高く吠(ホ)えて、いきなり次の扉に飛びつきました。戸は がたりとひらき、犬どもは吸い込まれるように飛んで行きました。 その扉の向うのまっくらやみのなかで、 「にゃあお、くわあ、ごろごろ。」という声がして、それからがさがさ 鳴りました。 室はけむりのように消え、二人は寒さにぶるぶるふるえて、草の中に 立っていました。 見ると、上着や靴や財布やネクタイピンは、あっちの枝にぶらさがっ たり、こっちの根もとにちらばったりしています。風がどうと吹いてき て、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました。 犬がふうとうなって戻ってきました。 そしてうしろからは、 「旦那(ダンナ)あ、旦那あ」と叫ぶものがあります。 二人は俄(ニワ)かに元気がついて、 「おおい、おおい、ここだぞ、早く来い。」と叫びました。 簑帽子(ミノボウシ)をかぶった専門の猟師が、草をざわざわ分けてやって きました。 そこで二人はやっと安心しました。 そして猟師のもってきた団子(ダンゴ)をたべ、途中で十円だけ山鳥を 買って東京に帰りました。 しかし、さっき一ぺん紙くずのようになった二人の顔だけは、東京に 帰っても、お湯に入っても、もうもとのとおりになおりませんでした。 大正十三年十二月『注文の多い料理店』