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【 】は傍点を示す。

浦島さん

太宰 治:作

 浦島太郎という人は、丹後(たんご)の水江(みずのえ)とかいうところに実在していたようである。丹後といえば、いまの京都府の北部である。あの北海岸の某寒村に、いまもなお、太郎をまつった神社があるとかいう話を聞いた事がある。私はその辺に行ってみた事が無いけれども、人の話に依()ると、何だかひどく荒涼たる海浜らしい。そこにわが浦島太郎が住んでいた。もちろん、ひとり暮しをしていたわけではない。父も母もある。弟も妹もある。また、おおぜいの召使いもいる。つまり、この海岸で有名な、旧家の長男であったわけである。旧家の長男というものには、昔も今も一貫した或る特徴があるようだ。趣味性、すなわち、之(これ)である。善()く言えば、風流。悪く言えば、道楽。しかし、道楽とは言っても、女狂いや酒びたりの所謂(いわゆる)、放蕩(ほうとう)とは大いに趣きを異にしている。下品にがぶがぶ大酒を飲んで素姓の悪い女にひっかかり、親兄弟の顔に泥を塗るというような荒(すさ)んだ放蕩者は、次男、三男に多く見掛けられるようである。長男にはそんな野蛮性が無い。先祖伝来の所謂恆産(こうさん)があるものだから、おのずから恆心も生じて、なかなか礼儀正しいものである。つまり、長男の道楽は、次男三男の酒乱の如(ごと)くムキなものではなく、ほんの片手間の遊びである。そうして、その遊びに依って、旧家の長男にふさわしいゆかしさを人に認めてもらい、みずからもその生活の品位にうっとりする事が出来たら、それでもうすべて満足なのである。
「兄さんには冒険心が無いから、駄目ね。」とことし十六のお転婆(てんば)の妹が言う。「ケチだわ。」
「いや、そうじゃない。」と十八の乱暴者の弟が反対して、「男振りがよすぎるんだよ。」
 この弟は、色が黒くて、ぶおとこである。
 浦島太郎は、弟妹たちのそんな無遠慮な批評を聞いても、別に怒りもせず、ただ苦笑して、
「好奇心を爆発させるのも冒険、また、好奇心を抑制するのも、やっぱり冒険、どちらも危険さ。人には、宿命というものがあるんだよ。」と何の事やら、わけのわからんような事を悟り澄ましたみたいな口調で言い、両腕をうしろに組み、ひとり家を出て、あちらこちら海岸を逍遙(しょうよう)し、
  苅薦(かりごも)の
乱れ出()づ
見ゆ
海人(あま)の釣船

 などと、れいの風流めいた詩句の断片を口ずさみ、
「人は、なぜお互い批評し合わなければ、生きて行けないのだろう。」という素朴の疑問に就()いて鷹揚(おうよう)に首を振って考え、「砂浜の萩(はぎ)の花も、這()い寄る小蟹(こがに)も、入江に休む鴈(かり)も、何もこの私を批評しない。人間も、須(すべから)くかくあるべきだ。人おのおの、生きる流儀を持っている。その流儀を、お互い尊敬し合って行く事が出来ぬものか。誰にも迷惑をかけないように努めて上品な暮しをしているのに、それでも人は、何のかのと言う。うるさいものだ。」と幽(かす)かな溜息(ためいき)をつく。
「もし、もし、浦島さん。」とその時、足許(あしもと)で小さい声。
 これが、れいの問題の亀(かめ)である。別段、物識(ものし)り振るわけではないが、亀にもいろいろの種類がある。淡水に住むものと、鹹水(かんすい)に住むものとは、おのずからその形状も異っているようだ。弁天様の池畔(ちはん)などで、ぐったり寝そべって甲羅(こうら)を干しているのは、あれは、いしがめとでもいうのであろうか、絵本には時々、浦島さんが、あの石亀の背に乗って小手(こて)をかざし、はるか竜宮を眺(なが)めている絵があるようだが、あんな亀は、海へ這入(はい)ったとたんに鹹水にむせて頓死(とんし)するだろう。しかし、お祝言(しゅうげん)の時などの島台の、れいの蓬莱山(ほうらいさん)、尉姥(じょうば)の身辺に鶴(つる)と一緒に侍(はべ)って、鶴は千年、亀は万年とか言われて目出度(めでた)がられているのは、どうやらこの石亀のようで、すっぽん、たいまいなどのいる島台はあまり見かけられない。それゆえ、絵本の画伯もつい、(蓬莱も竜宮も、同じ様な場所なんだから)浦島さんの案内役も、この石亀に違いないと思い込むのも無理のない事である。しかしどうも、あの爪(つめ)の生()えたぶざいくな手で水を掻()き、海底深くもぐって行くのは、不自然のように思われる。ここはどうしても、たいまいの手のような広い鰭状(ひれじょう)の手で悠々(ゆうゆう)と水を掻きわけてもらわなくてはならぬところだ。しかしまた、いや決して物識り振るわけではないが、ここにもう一つ困った問題がある。たいまいの産地は、本邦では、小笠原(おがさわら)、琉球(りゅうきゅう)、台湾などの南の諸地方だという話を聞いている。丹後の北海岸、すなわち日本海のあの辺の浜には、たいまいは、遺憾ながら這()い上って来そうも無い。それでは、いっそ浦島さんを小笠原か、琉球のひとにしようかとも思ったが、しかし、浦島さんは昔から丹後の水江の人ときまっているらしく、その上、丹後の北海岸には浦島神社が現存しているようだから、いかにお伽噺(とぎばなし)は絵空事(えそらごと)ときまっているとは言え、日本の歴史を尊重するという理由からでも、そんなあまりの軽々しい出鱈目(でたらめ)は許されない。どうしても、これは、小笠原か琉球のたいまいに、日本海までおいでになってもらわなければならぬ。しかしまた、それは困る、と生物学者のほうから抗議が出て、とかく文学者というものには科学精神が欠如している、などと軽蔑(けいべつ)せられるのも不本意である。そこで、私は考えた。たいまいの他(ほか)に、掌の鰭状を為()している鹹水産の亀は、無いものか。赤海亀、とかいうものが無かったか。十年ほど前、(私も、としをとったものだ)沼津の海浜の宿で一夏を送った事があったけれども、あの時、あの浜に、甲羅の直径五尺ちかい海亀があがったといって、漁師たちが騒いで、私もたしかにこの眼で見た。赤海亀、という名前だったと記憶する。あれだ。あれにしよう。沼津の浜にあがったのならば、まあ、ぐるりと日本海のほうにまわって、丹後の浜においでになってもらっても、そんなに生物学界の大騒ぎにはなるまいだろうと思われる。それでも潮流がどうのこうのとか言って騒ぐのだったら、もう、私は知らぬ。その、おいでになるわけのない場所に出現したのが、不思議さ、ただの海亀ではあるまい、と言って澄ます事にしよう。科学精神とかいうものも、あんまり、あてになるものじゃないんだ。定理、公理も仮説じゃないか。威張っちゃいけねえ。ところで、その赤海亀は、(赤海亀という名は、ながったらしくて舌にもつれるから、以下、単に亀と呼称する)頸(くび)を伸ばして浦島さんを見上げ、
「もし、もし。」と呼び、「無理もねえよ。わかるさ。」と言った。浦島は驚き、
「なんだ、お前。こないだ助けてやった亀ではないか。まだ、こんなところに、うろついていたのか。」
 これがつまり、子供のなぶる亀を見て、浦島さんは可哀想(かわいそう)にと言って買いとり海へ放してやったという、あの亀なのである。
「うろついていたのか、とは情無い。恨むぜ、若旦那(わかだんな)。私は、こう見えても、あなたに御恩がえしをしたくて、あれから毎日毎晩、この浜へ来て若旦那のおいでを待っていたのだ。」
「それは、浅慮というものだ。或いは、無謀とも言えるかも知れない。また子供たちに見つかったら、どうする。こんどは、生きては帰られまい。」
「気取っていやがる。また捕(つか)まえられたら、また若旦那に買ってもらうつもりさ。浅慮で悪うござんしたね。私は、どうしたって若旦那に、もう一度お目にかかりたかったんだから仕様がねえ。この仕様がねえ、というところが惚()れた弱味よ。心意気を買ってくんな。」
 浦島は苦笑して、
「身勝手な奴(やつ)だ。」と呟(つぶや)く。亀は聞きとがめて、
「なあんだ、若旦那。自家撞着(じかどうちゃく)していますぜ。さっきご自分で批評がきらいだなんておっしゃってた癖に、ご自分では、私の事を浅慮だの無謀だの、こんどは身勝手だの、さかんに批評してやがるじゃないか。若旦那こそ身勝手だ。私には私の生きる流儀があるんですからね。ちっとは、みとめて下さいよ。」と見事に逆襲した。
 浦島は赤面し、
「私のは批評ではない、これは、訓戒というものだ。諷諌(ふうかん)、といってもよかろう。諷諌、耳に逆うもその行を利す、というわけのものだ。」ともっともらしい事を言ってごまかした。
「気取らなけれあ、いい人なんだが。」と亀は小声で言い、「いや、もう私は、何も言わん。私のこの甲羅の上に腰かけて下さい。」
 浦島は呆(あき)れ、
「お前は、まあ、何を言い出すのです。私はそんな野蛮な事はきらいです。亀の甲羅に腰かけるなどは、それは狂態と言ってよかろう。決して風流の仕草ではない。」
「どうだっていいじゃないか、そんな事は。こっちは、先日のお礼として、これから竜宮城へ御案内しようとしているだけだ。さあ早く私の甲羅に乗って下さい。」
「何、竜宮?」と言って噴()き出し、「おふざけでない。お前はお酒でも飲んで酔っているのだろう。とんでもないことを言い出す。竜宮というのは昔から、歌に詠()まれ、また神仙譚(しんせんたん)として伝えられていますが、あれはこの世には無いもの、ね、わかりますか? あれは、吉来、私たち風流人の美しい夢、あこがれ、と言ってもいいでしょう。」上品すぎて、少しきざな口調になった。
 こんどは亀のほうで噴き出して、
「たまらねえ。風流の講釈は、あとでゆっくり伺いますから、まあ、私の言う事を信じてとにかく私の甲羅に乗って下さい。あなたはどうも冒険の味を知らないからいけない。」
「おや、お前もやっぱり、うちの妹と同じ様な失礼な事を言うね。いかにも私は、冒険というものはあまり好きでない。たとえば、あれは、曲芸のようなものだ。派手なようでも、やはり下品(げぼん)だ。邪道、と言っていいかも知れない。宿命に対する諦観(ていかん)が無い。伝統に就()いての教養が無い。めくら蛇(へび)におじず、とでもいうような形だ。私ども正統の風流の士のいたく顰蹙(ひんしゅく)するところのものだ。軽蔑している、と言っていいかも知れない。私は先人のおだやかな道を、まっすぐに歩いて行きたい。」
「ぷ!」と亀はまた噴き出し、「その先人の道こそ、冒険の道じゃありませんか。いや、冒険なんて下手(へた)な言葉を使うから何か血なまぐさくて不衛生な無頼漢みたいな感じがして来るけれども、信じる力とでも言い直したらどうでしょう。あの谷の向う側にたしかに美しい花が咲いていると信じ得た人だけが、何の躊躇(ちゅうちょ)もなく藤蔓(ふじづる)にすがって向う側に渡って行きます。それを人は曲芸かと思って、或いは喝采(かっさい)し、或いは何の人気取りめがと顰蹙します。しかし、それは絶対に曲芸師の綱渡りとは違っているのです。藤蔓にすがって谷を渡っている人は、ただ向う側の花を見たいだけなのです。自分がいま冒険をしているなんて、そんな卑俗な見栄(みえ)みたいなものは持ってやしないんです。なんの冒険が自慢になるものですか。ばかばかしい。信じているのです。花のある事を信じ切っているのです。そんな姿を、まあ、仮に冒険と呼んでいるだけです。あなたに冒険心が無いというのは、あなたには信じる能力が無いという事です。信じる事は、下品(げぼん)ですか。信じる事は、邪道ですか。どうも、あなたがた紳士は、信じない事を誇りにして生きているのだから、しまつが悪いや。それはね、頭のよさじゃないんですよ。もっと卑しいものなのですよ。吝嗇(りんしょく)というものです。損をしたくないという事ばかり考えている証拠ですよ。御安心なさい。誰も、あなたに、ものをねだりやしませんよ。人の深切(しんせつ)をさえ、あなたたちは素直に受け取る事を知らないんだからなあ。あとのお返しが大変だ、なんてね。いや、どうも、風流の士なんてのは、ケチなもんだ。」
「ひどい事を言う。妹や弟にさんざん言われて、浜へ出ると、こんどは助けてやった亀にまで同じ様な失敬な批評を加えられる。どうも、われとわが身に伝統の誇りを自覚していない奴は、好き勝手な事を言うものだ。一種のヤケと言ってよかろう。私には何でもよくわかっているのだ。私の口から言うべき事では無いが、お前たちの宿命と私の宿命には、たいへんな階級の差がある。生れた時から、もう違っているのだ。私のせいではない。それは天から与えられたものだ。しかし、お前たちには、それがよっぽど口惜(くや)しいらしい。何のかのと言って、私の宿命をお前たちの宿命にまで引き下げようとしているが、しかし、天の配剤、人事の及ばざるところさ。お前は私を竜宮へ連れて行くなどと大法螺(おおぼら)を吹いて、私と対等の附合いをしようとたくらんでいるらしいが、もういい、私には何もかもよくわかっているのだから、あまり悪あがきしないでさっさと海の底のお前の住居へ帰れ。なんだ、せっかく私が助けてやったのに、また子供たちに捕まったら何にもならぬ。お前たちこそ、人の深切を素直に受け取る法を知らぬ。」
「えへへ、」と亀は不敵に笑い、「せっかく助けてやったは恐れいる。紳士は、これだから、いやさ。自分がひとに深切を施すのは、たいへんの美徳で、そうして内心いささか報恩などを期待しているくせに、ひとの深切には、いやもうひどい警戒で、あいつと対等の附合いになってはかなわぬなどと考えているんだから、げっそりしますよ。それじゃ私だって言いますが、あなたが私を助けてくれたのは、私が亀で、そうして、いじめている相手は子供だったからでしょう。亀と子供じゃあ、その間にはいって仲裁しても、あとくされがありませんからね。それに、子供たちには、五文のお金でも大金ですからね。しかし、まあ、五文とは値切ったものだ。私は、も少し出すかと思った。あなたのケチには、呆れましたよ。私のからだの値段が、たった五文かと思ったら、私は情無かったね。それにしてもあの時、相手が亀と子供だったから、あなたは五文でも出して仲裁したんだ。まあ、気まぐれだね。しかし、あの時の相手が亀と子供でなく、まあ、たとえば荒くれた漁師が病気の乞食(こじき)をいじめていたのだったら、あなたは五文はおろか、一文だって出さず、いや、ただ顔をしかめて急ぎ足で通り過ぎたに違いないんだ。あなたたちは、人生の切実の姿を見せつけられるのを、とても、いやがるからね。それこそ御自身の高級な宿命に、糞尿(ふんにょう)を浴びせられたような気がするらしい。あなたたちの深切は、遊びだ。享楽だ。亀だから助けたんだ。子供だからお金をやったんだ。荒くれた漁師と病気の乞食の場合は、まっぴらなんだ。実生活の生臭い風にお顔を撫()でられるのが、とてもとても、いやなんだ。お手を、よごすのがいやなのさ。なんてね、こんなのを、聞いたふうの事、と言うんですよ、浦島さん。あなたは怒りゃしませんね。だって、私はあなたを好きなんだもの、いや、怒るかな? あなたのように上流の宿命を持っているお方たちは、私たち下賤(げせん)のものに好かれる事をさえ不名誉だと思っているらしいのだから始末がわるい。殊(こと)に私は亀なんだからな。亀に好かれたんじゃあ気味がわるいか、しかし、まあ勘弁して下さいよ、好き嫌(きら)いは理窟(りくつ)じゃ無いんだ。あなたに助けられたから好きというわけでも無いし、あなたが風流人だから好きというのでも無い。ただ、ふっと好きなんだ。好きだから、あなたの悪口を言って、あなたをからかってみたくなるんだ。これがつまり私たち爬虫類(はちゅうるい)の愛情の表現の仕方なのさ。どうもね、爬虫類だからね、蛇の親類なんだからね、信用のないのも無理がねえよ。しかし私は、エデンの園の蛇じゃない、はばかりながら日本の亀だ。あなたに竜宮行きをそそのかして堕落させようなんて、たくらんでいるんじゃねえのだ。心意気を買ってくんな。私はただ、あなたと一緒に遊びたいのだ。竜宮へ行って遊びたいのだ。あの国には、うるさい批評なんか無いのだ。みんな、のんびり暮しているよ。だから、遊ぶにはもって来いのところなんだ。私は陸にもこうして上って来れるし、また海の底へも、もぐって行けるから、両方の暮しを比較して眺(なが)める事が出来るのだが、どうも、陸上の生活は騒がしい。お互い批評が多すぎるよ。陸上生活の会話の全部が、人の悪口か、でなければ自分の広告だ。うんざりするよ。私もちょいちょいこうして陸に上って来たお蔭(かげ)で、陸上生活に少しかぶれて、それこそ聞いたふうの批評なんかを口にするようになって、どうもこれはとんでもない悪影響を受けたものだと思いながらも、この批評癖にも、やめられぬ味がありまして、批評の無い竜宮城の暮しにもちょっと退屈を感ずるようになったのです。どうも、悪い癖を覚えたものです。文明病の一種ですかね。いまでは私は、自分が海の魚だか陸の虫だか、わからなくなりましたよ。たとえばあの、鳥だか獣だかわからぬ蝙蝠(こうもり)のようなものですね。悲しき性(さが)になりました。まあ海底の異端者とでもいったようなところですかね。だんだん故郷の竜宮城にも居にくくなりましてね、しかし、あそこは遊ぶには、いいところだ、それだけは保証します。信じて下さい。歌と舞いと、美食と酒の国です。あなたたち風流人には、もって来いの国です。あなたは、さっき批評はいやだとつくづく慨歎していたではありませんか。竜宮には批評はありませんよ。」

 浦島は亀の驚くべき饒舌(じょうぜつ)に閉口し切っていたが、しかし、その最後の一言に、ふと心をひかれた。
「本当になあ、そんな国があったらなあ。」
「あれ、まだ疑っていやがる。私は嘘(うそ)をついているのじゃありません。なぜ私を信じないんです。怒りますよ。実行しないで、ただ、あこがれて溜息(ためいき)をついているのが風流人ですか。いやらしいものだ。」
 性温厚の浦島も、そんなにまでひどく罵倒(ばとう)されては、このまま引下るわけにも行かなくなった。
「それじゃまあ仕方が無い。」と苦笑しながら、「仰せに随(したが)って、お前の甲羅に腰かけてみるか。」
「言う事すべて気にいらん。」と亀は本気にふくれて、「腰かけて【みる】か、とは何事です。腰かけて【みる】のも、腰かけるのも、結果に於()いては同じじゃないか。疑いながら、ためしに右へ曲るのも、信じて断乎(だんこ)として右へ曲るのも、その運命は同じ事です。どっちにしたって引返すことは出来ないんだ。試みたとたんに、あなたの運命がちゃんときめられてしまうのだ。人生には試みなんて、存在しないんだ。やって【みる】のは、やったのと同じだ。実にあなたたちは、往生際(おうじょうぎわ)が悪い。引返す事が出来るものだと思っている。」
「わかったよ、わかったよ。それでは信じて乗せてもらおう!」
「よし来た。」
 亀の甲羅に浦島が腰をおろしたとみるみる亀の背中はひろがって畳二枚くらい敷けるくらいの大きさになり、ゆらりと動いて海にはいる。汀(みぎわ)から一丁ほど泳いで、それから亀は、
「ちょっと眼をつぶって。」ときびしい口調で命令し、浦島は素直に眼をつぶると夕立ちの如(ごと)き音がして、身辺ほのあたたかく、春風に似て春風よりも少し重たい風が耳朶(じだ)をなぶる。
「水深千尋(せんひろ)。」と亀が言う。
 浦島は船酔いに似た胸苦しさを覚えた。
「吐いてもいいか。」と眼をつぶったまま亀に尋ねる。
「なんだ、ヘどを吐くのか。」と亀は以前の剽軽(ひょうきん)な口調にかえって、「きたねえ船客だな。おや、馬鹿正直に、まだ眼をつぶっていやがる。これだから私は、太郎さんが好きさ。もう眼をあいてもよござんすよ。眼をあいて、よもの景色をごらんになったら、胸の悪いのなんかすぐになおってしまいます。」
 眼をひらけば冥茫模糊(めいぼうもこ)、薄みどり色の奇妙な明るさで、そうしてどこにも影が無く、ただ茫々たるものである。
「竜宮か。」と浦島は寝呆(ねぼ)けているような間()伸びた口調で言った。
「何を言ってるんだ。まだやっと水深千尋じゃないか。竜宮は海底一万尋だ。」
「へええ。」浦島は妙な声を出した。「海ってものは、広いもんだねえ。」
「浜育ちのくせに、山奥の猿(さる)みたいな事を言うなよ。あなたの家の泉水よりは少し広いさ。」
 前後左右どちらを見ても、ただ杳々茫々(ようようぼうぼう)、脚下を覗(のぞ)いてもやはり際限なく薄みどり色のほの明るさが続いているばかりで、上を仰いでも、これまた蒼穹(そうきゅう)に非(あら)ざる洸洋(こうよう)たる大洞(だいどう)、ふたりの話声の他(ほか)には、物音一つ無く、春風に似て春風よりも少しねばっこいような風が浦島の耳朶をくすぐっているだけである。
 浦島はやがて遙(はる)か右上方に幽(かす)かな、一握りの灰を撤()いたくらいの汚点を認めて、
「あれは何だ。雲かね?」と亀に尋ねる。
「冗談言っちやいけねえ。海の中に雲なんか流れていやしねえ。」
「それじゃ何だ。墨汁一滴を落したような感じだ。単なる塵芥(じんかい)かね。」
「間抜けだね、あなたは。見たらわかりそうなものだ。あれは、鯛(たい)の大群じゃないか。」
「へえ? 微々たるものだね。あれでも二、三百匹はいるんだろうね。」
「馬鹿だな。」と亀はせせら笑い、「本気で云っているのか?」
「それじゃあ、二、三千か。」
「しっかりしてくれ。まず、ざっと五、六百万。」
「五、六百万? おどかしちゃいけない。」
 亀はにやにや笑って、
「あれは、鯛じゃないんだ。海の火事だ。ひどい煙だ。あれだけの煙だと、そうさね、日本の国を二十ほど寄せ集めたくらいの広大な場所が燃えている。」
「嘘をつけ。梅の中て火が燃えるもんか。」
「浅慮、浅慮。水の中だって酸素があるんですからね。火の燃えないわけはない。」
「ごまかすな。それは無智な詭弁(きべん)だ。冗談はさて置いて、いったいあの、ゴミのようなものは何だ。やっぱり、鯛かね? まさか、火事じゃあるまい。」
「いや、火事だ。いったい、あなた、陸の世界の無数の河川が昼夜をわかたず、海にそそぎ込んでも、それでも海の水が増しもせず減りもせず、いつも同じ量をちゃんと保って居られるのは、どういうわけか、考えてみた事がありますか。海のほうだって困りますよ。あんなにじゃんじゃん水を注ぎ込まれちゃ、処置に窮しますよ。それでまあ時々、あんな工合いにして不用な水を焼き捨てるのですな。やあ、燃える、燃える、大火事だ。」
「なに、ちっとも煙が広がりゃしない。いったい、あれは、何さ。さっきから、少しも動かないところを見ると、さかなの大群でもなさそうだ。意地わるな冗談なんか云わないで、教えておくれ。」
「それじゃ教えてあげましょう。あれはね、月の影法師です。」
「また、かつぐんじゃないのか?」
「いいえ、海の底には、陸の影法師は何も写りませんが、天体の影法師は、やはり真上から落ちて来ますから写るのです。月の影法師だけでなく、星辰の影法師も皆、写ります。だから、竜宮では、その影法師をたよりに暦を作り、四季を定めます。あの月の影法師は、まんまるより少し欠けていますから、きょうは十三夜かな?」
 真面目(まじめ)な口調でそういうので、浦島も、或いはそうかも知れぬと思ったが、しかし、何だかへんだとも思った。でもまた、見渡す限り、ただ薄みどり色の茫洋乎(ぼうようこ)たる大空洞の片隅(かたすみ)に、幽かな黒一点をとどめているものが、たといそれは嘘にしても月の影法師だと云われて見ると、鯛の大群や火事だと思って眺めるよりは、風流人の浦島にとって、はるかに趣きがあり、郷愁をそそるに足るものがあった。
 そのうちに、あたりは異様に暗くなり、ごうという凄(すさま)じい音と共に烈風の如きものが押し寄せて来て、浦島はもう少しで亀の背中からころげ落ちるところであった。
「ちょっとまた眼をつぶって。」と亀は厳粛な口調で言い、「ここはちょうど、竜宮の入口になっているのです。人間が海の底を探検しても、たいていここが海底のどんづまりだと見極(みきわ)めて引き上げて行くのです。ここを越えて行くのは、人間では、あなたが最初で、また最後かも知れません。」
 くるりと亀はひっくりかえったように、浦島には思われた。ひっくりかえったまま、つまり、腹を上にしたまま泳いで、そうして浦島は亀の甲羅にくっついて、宙返りを半分しかけたような形で、けれどもこぼれ落ちる事もなく、さかさにすっと亀と共に上の方へ進行するような、まことに妙な錯覚を感じたのである。
「眼をあいてごらん。」と亀に言われた時には、しかし、もうそんな、さかさの感じは無く、当り前に亀の甲羅の上に坐って、そうして、亀は下へ下へと泳いでいる。
 あたりは、あけぼのの如き薄明で、脚下にぼんやり白いものが見える。どうも、何だか、山のようだ。塔が連立しているようにも見えるが、塔にしては洪大(こうだい)すぎる。
「あれは何だ。山か。」
「そうです。」
「竜宮の山か。」興奮のため声が嗄(しわが)れていた。
「そうです。」亀は、せっせと泳ぐ。
「まっ白じゃないか。雪が降っているのかしら。」
「どうも、高級な宿命を持っている人は、考える事も違いますね。立派なものだ。海の底にも雪が降ると思っているんだからね。」
「しかし、海の底にも火事があるそうだし、」と浦島は、さっきの仕返しをするつもりで、「雪だって降るだろうさ。何せ、酸素があるんだから。」
「雪と酸素じゃ縁が遠いや。縁があっても、まず、風と桶屋(おけや)ぐらいの関係じゃないか。ばかばかしい。そんな事で私をおさえようたって駄目さ。どうも、お上品なお方たちは、洒落(しゃれ)が下手だ。雪はよいよい帰りはこわいってのはどんなもんだい。あんまり、うまくもねえか。それでも酸素よりはいいだろう。さんそネッと来るか。はくそみたいだ。酸素はどうも、助からねえ。」やはり、口では亀にかなわない。
 浦島は苦笑しながら、
「ところで、あの山は、」と云いかけると、亀はまたあざ笑い、
「ところで、とは大きく出たじゃないか。ところであの山は、雪が降っているのではないのです。あれは真珠の山です。」
「真珠?」と浦島は驚き、「いや、嘘だろう。たとい真珠を十万粒二十万粒積み重ねたって、あれくらいの高い山にはなるまい。」
「十万粒、二十万粒とは、ケチな勘定の仕方だ。竜宮では真珠を一粒二粒なんて、そんなこまかい算(かぞ)え方(かた)はしませんよ。一山(ひとやま)、二山(ふたやま)、とやるね。一山は約三百億粒だとかいう話だが、誰もそれをいちいち算えた事も無い。それを約百万山くらい積み重ねると、まずざっとあれくらいの峯が出来る。真珠の捨場には困っているんだ。もとをただせば、さかなの糞(ふん)だからね。」
 とかくして竜宮の正門に着く。案外に小さい。真珠の山の裾(すそ)に螢光を発してちょこんと立っている。浦島は亀の甲羅(こうら)から降りて、亀に案内をせられ、小腰をかがめてその正門をくぐる。あたりは薄明である。そうして森閑(しんかん)としている。
「静かだね。おそろしいくらいだ。地獄じゃあるまいね。」
「しっかりしてくれ、若旦那(わかだんな)。」と亀は鰭(ひれ)でもって浦島の背中を叩(たたき)き、「王宮というものは皆このように静かなものだよ。丹後の浜の大漁踊りみたいな馬鹿騒ぎを年中やっているのが竜宮だなんて陳腐な空想をしていたんじゃねえのか。あわれなものだ。簡素幽邃(ゆうすい)というのが、あなたたちの風流の極致だろうじゃないか。地獄とは、あさましい。馴れてくると、この薄暗いのが、何とも言えずやわらかく心を休めてくれる。足許(あしもと)に気をつけて下さいよ。滑ってころんだりしては醜態だ。あれ、あなたはまだ草履(ぞうり)をはいているね。脱ぎなさいよ、失礼な。」
 浦島は赤面して草履を脱いだ。はだしで歩くと、足の裏がいやにぬらぬらする。
「何だこの道は。気持が悪い。」
「道じゃない。ここは廊下ですよ。あなたは、もう竜宮城へはいっているのです。」
「そうかね。」と驚いてあたりを見廻したが、壁も柱も何も無い。薄闇(うすやみ)が、ただ漾々(ようよう)と身辺に動いている。
「竜宮には雨も降らなければ、雪も降りません。」と亀はへんに慈愛深げな口調で教える。「だから、陸上の家のようにあんな窮屈な屋根や壁を作る必要は無いのです。」
「でも、門には屋根があったじゃないか。」
「あれは、目じるしです。門だけではなく、乙姫(おとひめ)のお部屋にも、屋根や壁はあります。しかし、それもまた乙姫の尊厳を維持するために作られたもので、雨露を防ぐためのものではありません。」
「そんなものかね。」と浦島はなおもけげんな顔つきで、「その乙姫の部屋というのは、どこにあるの? 見渡したところ冥途(めいど)もかくや、蕭寂(しょうじゃく)たる幽境、一木一草も見当らんじゃないか。」
「どうも田舎者(いなかもの)には困るね。でっかい建物(たてもの)や、ごてごてした装飾には口をあけておったまげても、こんな幽邃の美には一向に感心しない。浦島さん、あなたの上品(じょうぼん)もあてにならんね。もっとも丹後の荒磯(あらいそ)の風流人じゃ無理もないがね。伝統の教養とやらも、聞いて冷汗が出るよ。正統の風流人とはよくも言った。こうして実地に臨んでみると、田舎者まる出しなんだから恐れいる。人真似(ひとまね)こまねの風流ごっこは、まあ、これからは、やめるんだね。」
 亀の毒舌は竜宮に着いたら、何だかまた一段と凄(すご)くなって来た。
 浦島は心細さ限り無く、
「だって、何も見えやしないんだもの。」とほとんど泣き声で言った。
「だから、足許に気をつけなさいって、言ってるじゃありませんか。この廊下は、ただの廊下じゃないんですよ。魚の掛橋ですよ。よく気をつけてごらんなさい。幾億という魚がひしとかたまって、廊下の床(ゆか)みたいな工合いになっているのですよ。」
 浦島はぎょっとして爪先(つまさ)き立った。どうりで、さっきから足の裏がぬらぬらすると思っていた。見ると、なるほど、大小無数の魚どもがすきまもなく背中を並べて、身動きもせず凝()っとしている。
「これは、ひどい。」と浦島は、にわかにおっかなびっくりの歩調になって、「悪い趣味だ。これがすなわち簡素幽邃の美かね。さかなの背中を踏んづけて歩くなんて、野蛮きわまる事じゃないか。だいいちこのさかなたちに気の毒だ。こんな奇妙な風流は、私のような田舎者にはわかりませんねえ。」とさっき田舎者と言われた鬱憤(うっぷん)をここに於いてはらして、ちょっと溜飲(りゅういん)がさがった。
「いいえ、」とその時、足許で細い声がして、「私たちはここに毎日集まって、乙姫さまの琴の音()に聞き惚()れているのです。魚の掛橋は風流のために作っているのではありません。かまわず、どうかお通り下さい。」
「そうですか。」と浦島はひそかに苦笑して、「私はまた、これも竜宮の装飾の一つかと思って。」
「それだけじゃあるまい。」亀はすかさず口をはさんで、「ひょっとしたら、この掛橋も浦島の若旦那を歓迎のために、乙姫さまが特にさかなたちに命じて、」
「あ、これ、」と浦島は狼狽(ろうばい)し、赤面し、「まさか、それほど私は自惚(うぬぼ)れてはいません。でも、ね、お前はこれを廊下の床(ゆか)のかわりだなんていい加減を言うものだから、私も、つい、その、さかなたちが踏まれて痛いかと思ってね。」
「さかなの世界には、床(ゆか)なんてものは必要がありません。これがまあ、陸上の家にたとえたならば、廊下の床(ゆか)にでも当るかと思って私はあんな説明をしてあげたので、決していい加減を言ったんじゃない。なに、さかなたちは痛いなんて思うもんですか。海の底では、あなたのからだだって紙一枚の重さくらいしか無いのですよ。何だか、ご自分のからだが、ふわふわ浮くような気がするでしょう?」
 そう言われてみると、ふわふわするような感じがしないでもない。浦島は、重ね重ね、亀から無用の嘲弄(ちょうろう)を受けているような気がして、いまいましくてならぬ。
「私はもう何も信じる気がしなくなった。これだから私は、冒険というものはいやなんだ。だまされたって、それを看破する法が無いんだからね。ただもう、道案内者の言う事に従っていなければいけない。これはこんなものだと言われたら、それっきりなんだからね。実に、冒険は人を欺く。琴の音()も何も、ちっとも聞えやしないじゃないか。」とついに八つ当りの論法に変じた。
 亀は落ちついて、
「あなたはどうも陸上の平面の生活ばかりしているから、目標は東西南北のいずれかにあるとばかり思っていらっしゃる。しかし、海にはもう二元の方向がある。すなわち、上と下です。あなたはさっきから、乙姫の居所を前方にばかり求めていらっしゃる。ここにあなたの重大なる誤謬(ごびゅう)が存在していたわけだ。なぜ、あなたは頭上を見ないのです。また、脚下を見ないのです。海の世界は浮いて漂っているものです。さっきの正門も、また、あの真珠の山だって、みんな少し浮いて動いているのです。あなた自身がまた上下左右にゆられているので、他の物の動いているのが、わからないだけなのです。あなたは、さっきからずいぶん前方にお進みになったように思っていらっしゃるかも知れないけれど、まあ、同じ位置ですね。かえって後退しているかも知れない。いまは潮の関係で、ずんずんうしろに流されています。そうして、さっきから見ると、百尋(ひゃくひろ)くらいみんな一緒に上方に浮きました。まあ、とにかくこの魚の掛橋をもう少し渡ってみましょう。ほうら、魚の背中もだんだんまばらになって来たでしょう。足を踏みはずさないように気をつけて下さいよ。なに、踏みはずしたって、すとんと落下する気づかいはありませんがね、何せ、あなたも紙一枚の重さなんだから。つまり、この橋は断橋なのです。この廊下を渡っても前方には何も無い。しかし、脚下を見よです。おい、さかなども、少しどけ、若旦那が乙姫さまに逢()いに行くのだ。こいつらは、こうして竜宮城の本丸(ほんまる)の天蓋(てんがい)をなしているようなものです。海月(くらげ)なす漂える天蓋、とでも言ったら、あなたたち風流人は喜びますかね。」
 さかなたちは、静かに無言で左右に散る。かすかに、琴の音が脚下に聞える。日本の琴の音によく似ているが、しかしあれほど強くはなく、もっと柔かで、はかなく、そうしてへんに嫋々(じょうじょう)たる余韻がある。菊の露。薄ごろも。夕空。きぬた。浮寝。きぎす。どれでもない。風流人の浦島にも、何だか見当のつかぬ可憐(かれん)な、たよりない、けれども陸上では聞く事の出来ぬ気高い凄(さび)しさが、その底に流れている。
「不思議な曲ですね。あれは、何という曲ですか。」
 亀もちょっと耳をすまして聞いて、
「聖諦(せいてい)。」と一言、答えた。
「せいてい?」
「神聖の聖の字に、あきらめ。」
「ああ、そう、聖諦。」と呟いて浦島は、はじめて海の底の竜宮の生活に、自分たちの趣味と段違いの崇高なものを感得した。いかにも自分の上品(じょうぼん)などは、あてにならぬ。伝統の教養だの、正統の風流だのと自分が云うのを聞いて亀が冷汗をかくのも無理がない。自分の風流は人真似こまねだ。田舎の山猿にちがいない。
「これからは、お前の言う事は何でも信じるよ。聖諦。なるほどなあ。」浦島は呆然(ぼうぜん)とつっ立ったまま、なおもその不思議な聖諦の曲に耳を傾けた。
「さあ、ここから飛び降りますよ。あぷない事はありません。こうして両腕をひろげて一歩足を踏み出すと、ゆらゆらと気持よく落下します。この魚の掛橋の尽きたところから真っすぐに降りて行くと、ちょうど竜宮の正殿の階段の前に着くのです。さあ、何をぼんやりしているのです。飛び降りますよ、いいですか。」
 亀はゆらゆら沈下する。浦島も気をとり直して、両腕をひろげ、魚の掛橋の外に一歩、足を踏み出すと、すっと下に気持よく吸い込まれ、頬が微風に吹かれているように涼しく、やがてあたりが、緑の樹蔭(こかげ)のような色合いになり、琴の音もいよいよ近くに聞えて来たと思ううちに、亀と並んで正殿の階段の前に立っていた。階段とは言っても、段々が一つづつ分明になっているわけではなく、灰色の鈍く光る小さい珠(たま)の敷きつめられたゆるい傾斜の坂のようなものである。
「これも真珠かね。」と浦島は小声で尋ねる。
 亀は、あわれむような眼で浦島の顔を見て、
「珠を見れば、何でも真珠だ。真珠は、捨てられて、あんなに高い山になっているじゃありませんか。まあ、ちょっとその珠を手で掬(すく)ってごらんなさい。」
 浦島は言われたとおりに両手で珠を掬おうとすると、ひやりと冷い。
「あ、霰(あられ)だ!」
「冗談じゃない。ついでにそれを口の中に入れてごらん。」
 浦島は素直に、その氷のように冷たい珠を、五つ六つ頬張(ほおば)った。
「うまい。」
「そうでしょう? これは、海の桜桃(おうとう)です。これを食べると三百年間、老いる事が無いのです。」
「そうか、いくつ食べても同じ事か。」と風流人の浦島も、ついたしなみを忘れて、もっと掬って食べようという気勢を示した。「私はどうも、老醜というものがきらいでね。死ぬのは、そんなにこわくもないけれど、どうも老醜だけは私の趣味に合わない。もっと、食べて見ようかしら。」
「笑っていますよ。上をごらんなさい。乙姫さまがお迎えに出ています。やあ、きょうはまた一段とお綺麗(きれい)。」
 桜桃の坂の尽きるところに、青い薄布を身にまとった小柄の女性が幽(かす)かに笑いながら立っている。薄布をとおして真白い肌(はだ)が見える。浦島はあわてて眼をそらし、
「乙姫か。」と亀に囁(ささや)く。浦島の顔は真赤である。
「きまっているじゃありませんか。何をへどもどしているのです。さあ、早く御挨拶(ごあいさつ)をなさい。」
 浦島はいよいよまごつき、
「でも、何と言ったらいいんだい。私のようなものが名乗りを挙げてみたって、どうにもならんし、どだいどうも、私たちの訪間は唐突(とうとつ)だよ。意味が無いよ。帰ろうよ。」と上級の宿命の筈(はず)の浦島も、乙姫の前では、すっかり卑屈になって逃支度(にげじたく)をはじめた。
「乙姫さまは、あなたの事なんか、もうとうにご存じですよ。階前万里というじゃありませんか。観念して、ただていねいにお辞儀しておけばいいのです。また、たとい乙姫さまが、あなたの事を何もご存じ無くったって、乙姫さまは警戒なんてケチくさい事はてんで知らないお方ですから、何も斟酌(しんしゃく)には及びません、遊びに来ましたよ、と言えばいい。」
「まさか、そんな失礼な。ああ、笑っていらっしゃる。とにかく、お辞儀をしよう。」
 浦島は、両手が自分の足の爪先にとどくほどのていねいなお辞儀をした。
 亀は、はらはらして、
「ていねいすぎる。いやになるね。あなたは私の恩人じゃないか。も少し威厳のある態度を示して下さいよ。へたへたと最敬礼なんかして、上品(じょうぼん)もくそもあったものじゃない。それ、乙姫さまのお招きだ。行きましょう。さあ、ちゃんと胸を張って、おれは日本一の好男子で、そうして、最上級の風流人だというような顔をして威張って歩くのですよ。あなたは私たちに対してはひどく高慢な乙な構え方をするけれども、女には、からきし意気地(いくじ)が無いんですね。」
「いやいや、高貴なお方には、それ相当の礼を尽さなければ。」と緊張のあまり声がしゃがれて、足がもつれ、よろよろと千鳥足で階段を昇り、見渡すと、そこは万畳敷とでも云っていいくらいの広い座敷になっている。いや、座敷というよりは、庭園と言った方が適切かも知れない。どこから射()して来るのか樹蔭(こかげ)のような緑色の光線を受けて、模糊(もこ)と霞(かす)んでいるその万畳敷とでも言うべき広場には、やはり霰のような小粒の珠が敷きつめられ、ところどころに黒い岩が秩序無くころがっていて、そうしてそれっきりである。屋根はもちろん、柱一本も無く、見渡す限り廃墟(はいきょ)と言っていいくらいの荒涼たる大広場である。気をつけて見ると、それでも小粒の珠のすきまから、ちょいちょい紫色の小さい花が顔を出しているのが見えて、それがまた、かえって淋(さび)しさを添え、これが幽邃の極というのかも知れないが、しかし、よくもまあ、こんな心細いような場所で生活が出来るものだ、と感歎の溜息(ためいき)に似たものがふうと出て、さらにまた思いをあらたにして乙姫の顔をそっと盗み見た。
 乙姫は無言で、くるりとうしろを向き、そろそろと歩き出す。その時はじめて気がついたのであるが、乙姫の背後には、めだかよりも、もっと小さい金色の魚が無数にかたまってぴらぴら泳いで、乙姫が歩けばそのとおりに従って移動し、そのさまは金色の雨がたえず乙姫の身辺に降り注いでいるようにも見えて、さすがにこの世のものならぬ貴(とうと)い気配が感ぜられた。
 乙姫は身にまとっている薄布をなびかせ裸足(はだし)で歩いているが、よく見ると、その青白い小さい足は、下の小粒の珠を踏んではいない。足の裏と珠との間がほんのわずか隙()いている。あの足の裏は、いまだいちども、ものを踏んだ事が無いのかも知れぬ。生れたばかりの赤ん坊の足の裏と同じようにやわらかくて綺麗なのに違いない、と思えば、これという目立った粉飾一つも施していない乙姫のからだが、いよいよ真の気品を有しているものの如く、奥ゆかしく思われて来た。竜宮に来てみてよかった、と次第にこのたびの冒険に感謝したいような気持が起って来て、うっとり乙姫のあとについて歩いていると、
「どうです、悪くないでしょう。」と亀は、低く浦島の耳元に囁き、鰭でもって浦島の横腹をちょこちょことくすぐった。
「ああ、なに、」と浦島は狼狽して、「この花は、この紫の花は綺麗だね。」と別の事を言った。
「これですか。」と亀はつまらなそうに、「これは海の桜桃の花です。ちょっと菫(すみれ)に似ていますね。この花びらを食べると、それは気持よく酔いますよ。竜宮のお酒です。それから、あの岩のようなもの、あれは藻()です。何万年も経()っているので、こんな岩みたいにかたまっていますが、でも、羊羹(ようかん)よりも柔いくらいのものです。あれは、陸上のどんなごちそうよりもおいしいですよ。岩によって一つづつみんな味わいが違います。竜宮ではこの藻を食べて、花びらで酔い、のどが乾(かわ)けば桜挑を含み、乙姫さまの琴の音に聞き惚れ、生きている花吹雪(はなふぶき)のような小魚たちの舞いを眺めて暮しているのです。どうですか、竜宮は歌と舞いと、美食と酒の国だと私はお誘いする時にあなたに申し上げた筈ですが、どうですか、御想像と違いましたか?」
 浦島は答えず、深刻な苦笑をした。
「わかっていますよ。あなたの御想像は、まあドンジャンドンジャンの大騒ぎで、大きなお皿に鯛(たい)のさしみやら鮪(まぐろ)のさしみ、赤い着物を着た娘っ子の手踊り、そうしてやたらに金銀珊瑚(さんご)綾錦(あやにしき)のたぐいが、−−」
「まさか、」と浦島もさすがに少し不愉快そうな顔になり、「私はそれほど卑俗な男ではありません。しかし、私は自分を孤独な男だと思っていた事などありましたが、ここへ来て真に孤独なお方にお目にかかり、私のいままでの気取った生活が恥ずかしくてならないのです。」
「あのかたの事ですか?」と亀は小声で言って無作法に乙姫のほうを顎(あご)でしゃくり、「あのかたは、何も孤独じゃありませんよ。平気なものです。野心があるから、孤独なんて事を気に病むので、他の世界の事なんかてんで問題にしてなかったら、百年千年ひとりでいたって楽なものです。それこそ、れいの批評が気にならない者にとってはね。ところで、あなたは、どこへ行こうてんですか?」
「いや、なに、べつに、」と浦島は、意外の問に驚き、「だって、お前、あのお方が、−−」
「乙姫はべつにあなたを、どこかへ案内しようとしているわけじゃありません。あのかたは、もう、あなたの事なんか忘れていますよ。あのかたは、これからご自分のお部屋に帰るのでしょう。しっかりして下さい。ここが竜宮なんです、この場所が。ほかにどこも、ご案内したいようなところもありません。まあ、ここで、お好きなようにして遊んでいるのですね。これだけじゃ、不足なんですか。」
「いじめないでくれよ。私は、いったいどうしたらいいんだ。」と浦島はべそをかいて、「だって、あのお方がお迎えに出て下さっていたので、ベつに私は自惚れたわけじゃないけど、あのお方のあとについて行くのが礼儀だと思ったんだよ。ベつに不足だなんて考えてやしないよ。それだのに私に何か、別ないやらしい下心でもあるみたいなへんな言い方をするんだもの。お前は、じっさい意地が悪いよ。ひどいじゃないか。私は生れてから、こんなに体裁(ていさい)の悪い思いをした事は無いよ。本当にひどいよ。」
「そんなに気にしちゃいけない。乙姫は、おっとりしたものです。そりゃ、陸上からはるばるたずねて来た珍客ですもの、それにあなたは、私の恩人ですからね、お出迎えするのは当り前ですよ。さらにまた、あなたは、気持はさっぱりしているし、男っぷりは佳()し、と来ているから。いや、これは冗談ですよ、へんにまた自惚れられちゃかなわない。とにかく、乙姫はご自分の家へやって来た珍客を階段まで出迎えて、そうして安心して、あとはあなたのお気の向くままに勝手に幾日でもここで遊んでいらっしゃるようにと、素知らぬ振りしてああしてご自分のお部屋に引き上げて行くというわけのものじゃないんですかね。実は私たちにも、乙姫の考えている事はあまりよく判(わか)らないのです。何せ、どうにも、おっとりしていますから。」
「いや、そう言われてみると、私には、少し判りそうな気がして来たよ。お前の推察も、だいたいに於いて間違いはなさそうだ。つまり、こんなのが、真の貴人の接待法なのかも知れない。客を迎えて客を忘れる。しかも客の身辺には美酒珍味が全く無雑作に並べ置かれてある。歌舞音曲も別段客をもてなそうという露骨な意図でもって行われるのではない。乙姫は誰に聞かせようという心も無くて琴をひく。魚どもは誰に見せようという衒(てら)いも無く自由に嬉々(きき)として舞い遊ぶ。客の讃辞(さんじ)をあてにしない。客もまた、それにことさらに留意して感服したような顔つきをする必要も無い。寝ころんで知らん振りしていたって構わないわけです。主人はもう客の事なんか忘れているのだ。しかも、自由に振舞ってよいという許可は与えられているのだ。食いたければ食うし、食いたくなければ食わなくていいんだ。酔って夢うつつに琴の音を聞いていたって、敢()えて失礼には当らぬわけだ。ああ、客を接待するには、すべからくこのようにありたい。何のかのと、ろくでも無い料理をうるさくすすめて、くだらないお世辞を交換し、おかしくもないのに、矢鱈(やたら)におほほと笑い、まあ! なんて珍らしくもない話に大仰に驚いて見せたり、一から十まで嘘(うそ)ばかりの社交を行い、天晴(あっぱ)れ上流の客あしらいをしているつもりのケチくさい小利口の大馬鹿野郎どもに、この竜宮の鷹揚(おうよう)なもてなし振りを見せてやりたい。あいつらはただ、自分の品位を落しやしないか、それだけを気にしてわくわくして、そうして妙に客を警戒して、ひとりでからまわりして、実意なんてものは爪(つめ)の垢(あか)ほども持ってやしないんだ。なんだい、ありゃ。お酒一ぱいにも、飲ませてやったぞ、いただきましたぞ、というような証文を取りかわしていたんじゃ、かなわない。」
「そう、その調子。」と亀は大喜びで、「しかし、あまりそんなに興奮して心臓麻痺(まひ)なんか起されても困る。ま、この藻の岩に腰をおろして、桜桃の酒でも飲むさ。桜桃の花びらだけでは、はじめての人には少し匂(にお)いが強すぎるかも知れないから、桜桃五、六粒と一緒に舌の上に載せると、しゅっと溶けて適当に爽涼(そうりょう)のお酒になります。まぜ合せの仕方一つで、いろんな味に変化しますから、まあ、ご自分で工夫して、お好きなようなお酒を作ってお飲みなさい。」
 浦島はいま、ちょっと強いお酒を飲みたかった。花びら三枚に、桜桃二粒を添えて舌端に載せるとたちまち口の中一ぱいの美酒、含んでいるだけでも、うっとりする。軽快に喉(のど)をくすぐりながら通過して、体内にぽっと灯(あか)りがともったような嬉(うれ)しい気持になる。
「これはいい。まさに、憂いの玉帚(たまははき)だ。」
「憂い?」と亀はさっそく聞きとがめ、「何か憂鬱(ゆううつ)な事でもあるのですか?」
「いや、べつに、そんなわけではないが、あははは、」とてれ隠しに無理に笑い、それから、ほっと小さな溜息をつき、ちらと乙姫のうしろ姿を眺める。
 乙姫は、ひとりで黙って歩いている。薄みどり色の光線を浴び、すきとおるようなかぐわしい海草のようにも見え、ゆらゆら揺蕩(ようとう)しながらたったひとりで歩いている。
「どこへ行くんだろう。」と思わず呟(つぶや)く。
「お部屋でしょう。」亀は、きまりきっているというような顔つきで、澄まして答える。
「さっきから、お前はお部屋お部屋と言っているが、そのお部屋はいったい、どこにあるの? 何も、どこにも、見えやしないじゃないか。」
 見渡すかぎり平坦(へいたん)の、曠野(こうや)と言っていいくらいの鈍く光る大広間で、御殿(ごてん)らしいものの影は、どこにも無い。
「ずっと向う、乙姫の歩いて行く方角の、ずっと向うに、何か見えませんか。」と亀に言われて、浦島は、眉(まゆ)をひそめてその方向を凝視し、
「ああ、そう言われて見ると、何かあるようだね。」
 ほとんど一里も先と思われるほどの遠方、幽潭(ゆうたん)の底を覗(のぞ)いた時のような何やら朦朧(もうろう)と烟(けむ)ってたゆとうているあたりに、小さな純白の水中花みたいなものが見える。
「あれか。小さいものだね。」
「乙姫がひとりおやすみになるのに、大きい御殿なんか要()らないじゃありませんか。」
「そう言えば、まあ、そうだが、」と浦島はさらに桜桃の酒を調合して飲み、「あのお方は、何かね、いつもあんなに無口なのかね。」
「ええ、そうです。言葉というものは、生きている事の不安から、芽ばえて来たものじゃないですかね。腐った土から赤い毒きのこが生()えて出るように、生命の不安が言葉を醗<*>酵(はっこう)させているのじゃないのですか。よろこびの言葉もあるにはありますが、それにさえなお、いやらしい工夫がほどこされているじゃありませんか。人間は、よろこびの中にさえ、不安を感じているのでしょうかね。人間の言葉はみんな工夫です。気取ったものです。不安の無いところには、何もそんな、いやらしい工夫など必要ないでしょう。私は乙姫が、ものを言ったのを聞いた事が無い。しかし、また、黙っている人によくありがちの、皮裏の陽秋というんですか、そんな胸中ひそかに辛辣(しんらつ)の観察を行うなんて事も、乙姫は決してなさらない。何も考えてやしないんです。ただああして幽かに笑って琴をかき鳴らしたり、またこの広間をふらふら歩きまわって、桜桃の花びらを口に含んだりして遊んでいます。実に、のんびりしたものです。」
<*>醗:「酉」偏+「發」:補助6687

「そうかね。あのお方も、やっぱりこの桜桃の酒を飲むかね。まったく、これは、いいからなあ。これさえあれば、何も要()らない。もっといただいてもいいかしら。」
「ええ、どうぞ。ここへ来て遠慮なんかするのは馬鹿げています。あなたは無限に許されているのです。ついでに何か食べてみたらどうです。目に見える岩すべて珍味です。油っこいのがいいですか。軽くちょっと酸()っぱいようなのがいいですか。どんな味のものでもありますよ。」
「ああ、琴の音が聞える。寝ころんで聞いてもいいんだろうね。」無限に許されているという思想は、実のところ生れてはじめてのものであった。浦島は、風流の身だしなみも何も忘れて、仰向にながながと寝そべり、「ああ、あ、酔って寝ころぶのは、いい気持だ。ついでに何か、食べてみようかな。雉(きじ)の焼肉みたいな味の藻があるかね。」
「あります。」
「それと、それから、桑の実のような味の藻は?」
「あるでしょう。しかしあなたも、妙に野蛮なものを食べるのですね。」
「本性暴露さ。私は田舎者(いなかもの)だよ。」と言葉つきさえ、どこやら変って来て、「これが風流の極致だってさ。」 眼を挙げて見ると、はるか上方に、魚の天蓋(てんがい)がのどかに浮び漂っているのが、青く霞(かす)んで見える。とたちまち、その天蓋から一群の魚がむらむらとわかれて、おのおの銀鱗(ぎんりん)を光らせて満天に雪の降り乱れるように舞い遊ぶ。
 竜宮には夜も昼も無い。いつも五月の朝の如く爽(さわ)やかで、樹蔭のような緑の光線で一ぱいで、浦島は幾日をここで過したか、見当もつかぬ。その間、浦島は、それこそ無限に許されていた。浦島は、乙姫のお部屋にも、はいった。乙姫は何の嫌悪(けんお)も示さなかった。ただ、幽かに笑っている。
 そうして、浦島は、やがて飽きた。許される事に飽きたのかも知れない。陸上の貧しい生活が恋しくなった。お互い他人の批評を気にして、泣いたり怒ったり、ケチにこそこそ暮している陸上の人たちが、たまらなく可憐で、そうして、何だか美しいもののようにさえ思われて来た。
 浦島は乙姫に向って、さようなら、と言った。この突然の暇乞(いとまご)いもまた、無言の微笑でもって許された。つまり、何でも許された。始めから終りまで、許された。乙姫は、竜宮の階段まで見送りに出て、黙って小さい貝殻を差し出す。まばゆい五彩の光を放っているきっちり合った二枚貝である。これが所謂(いわゆる)、竜宮のお土産(みやげ)の玉手箱であった。
 行きはよいよい帰りはこわい。また亀の背に乗って、浦島はぼんやり竜宮から離れた。へんな憂愁が浦島の胸中に湧()いて出る。ああ、お礼を言うのを忘れた。あんないいところは、他に無いのだ。ああ、いつまでも、あそこにいたほうがよかった。しかし、私は陸上の人間だ。どんなに安楽な暮しをしていても、自分の家が、自分の里が、自分の頭の片隅(かたすみ)にこびりついて離れぬ。美酒に酔って眠っても、夢は、故郷の夢なんだからなあ。げっそりするよ。私には、あんないいところで遊ぶ資格は無かった。
「わあ、どうも、いかん。淋しいわい。」と浦島はやけくそに似た大きい声で叫んだ。「なんのわけだかわからないが、どうも、いかん。おい、亀。何とか、また景気のいい悪口でも言ってくれ。お前は、さっきから何も一ことも、ものを言わんじゃないか。」
 亀は先刻から、ただ黙々と鰭(ひれ)を動かしているばかり。
「怒っているのかね。私が竜宮から食い逃げ同様で帰るのを、お前は、怒っているのかね。」
「ひがんじゃいけねえ。陸上の人はこれだからいやさ。帰りたくなったら帰るさ。どうでも、あなたの気の向いたように、とはじめから何度も言ってるじゃないか。」
「でも、何だかお前、元気が無いじゃないか。」
「そう言うあなたこそ、妙にしょんぼりしているぜ。私や、どうも、お迎えはいいけれど、このお見送りってやつは苦手だ。」
「行きはよいよい、かね。」
「洒落(しゃれ)どころじゃありません。どうも、このお見送りってやつは、気のはずまねえものだ。溜息ばかり出て、何を言ってもしらじらしく、いっそもう、この辺でお別れしてしまいたいようなものだ。」
「やっぱり、お前も淋(さび)しいのかね。」浦島は、ほろりとして、「こんどはずいぶん、お前のお世話にもなったね。お礼を言います。」
 亀は返事をせず、なんだそんなこと、と言わぬばかりにちょっと甲羅(こうら)をゆすって、そうしてただ、せっせと泳ぐ。
「あのお方は、やっぱりあそこで、たったひとりで遊んでいるのだろうね。」浦島は、いかにもやるせないような溜息をついて、「私にこんな綺麗な貝をくれたが、これはまさか、食べるものじゃないだろうな。」
 亀はくすくす笑い出し、
「ちょっと竜宮にいるうちに、あなたも、ばかに食い意地が張って来ましたね。それだけは、食べるものでは無いようです。私にもよくわかりませんが、その貝の中に何かはいっているのじゃないんですか?」と亀は、ここに於いて、かのエデンの園の蛇(へび)の如く、何やら人の好奇心をそそるような妙な事を、ふいと言った。やはりこれも、爬虫類(はちゅうるい)共通の宿命なのであろうか。いやいや、そうきめてしまうのは、この善良の亀に対して気の毒だ。亀自身も以前、浦島に向って、「しかし、私は、エデンの園の蛇ではない、はばかりながら日本の亀だ。」と豪語している。信じてやらなけりや可哀想(かわいそう)だ。それにまた、この亀のこれまでの浦島に対する態度から判断しても、決してかのエデンの園の蛇の如く、佞奸(ねいかん)邪智にして、恐ろしい破滅の誘惑を囁くような性質のものでは無いように思われる。それどころか、所謂さつきの鯉(こい)の吹流しの、愛すべき多弁家に過ぎないのではないかと思われる。つまり、何の悪気も無かったのだ。私は、そのように解したい。亀は、さらにまた言葉をつづけて、「でも、その貝は、あけて見ないほうがいいかも知れません。きっとその中には竜宮の精気みたいなものがこもっているのでしょうから。それを陸上であけたら、奇怪な蜃気楼(しんきろう)が立ち昇り、あなたを発狂させたり何かするかも知れないし、或いはまた、海の潮が噴出して大洪水を起す事なども無いとは限らないし、とにかく海底の酸素を陸上に放散させては、どうせ、ろくな事が起らないような気がしますよ。」と真面目(まじめ)に言う。浦島は亀の深切を信じた。
「そうかも知れないね。あんな高貴な竜宮の雰囲気(ふんいき)が、もしこの貝の中にひめられてあるとしたら、陸上の俗悪な空気にふれた時には、戸惑いして、大爆発でも起すかも知れない。まあ、これはこうして、いつまでも大事に、家の宝として保存して置くことにしよう。」
 既に海上に浮ぶ。太陽の光がまぶしい。ふるさとの浜が見える。浦島はいまは一刻も早く、わが家に駈()け込み、父母弟妹、また大勢の使用人たちを集めて、つぶさに竜宮の模様を物語り、冒険とは信じる力だ、この世の風流なんてものはケチくさい猿真似(さるまね)だ、正統というのは、あれは通俗の別称さ、わかるかね、真の上品(じょうぼん)というのは聖諦(せいてい)の境地さ、ただのあきらめじゃ無いぜ、わかるかね、批評なんてうるさいものは無いんだ、無限に許されているんだ、そうしてただ微笑があるだけだ、わかるかね、客を忘れているのだ、わかるまい、などとそれこそ、たったいま聞いて来たふうの新知識を、めちゃ苦茶に振りまわして、そうしてあの現実主義の弟のやつが、もし少しでも疑うような顔つきを見せた時には、すなわちこの竜宮の美しいお土産をあいつの鼻先につきつけて、ぎゃふんと参らせてやろう、と意気込み、亀に別離の挨拶(あいさつ)するのも忘れて汀(みぎわ)に飛び降り、あたふたと生家に向って急げば、
  ドウシタンデショウ モトノサト
ドウシタンデショウ モトノイエ
ミワタスカギリ カレノハラ
ヒトノカゲナク ミチモナク
マツフクカゼノ オトバカリ

 という段どりになるのである。浦島は、さんざん迷った末に、とうとうかの竜宮のお土産の貝殻をあけて見るという事になるのであるが、これに就()いて、あの亀が責任を負う必要はないように思われる。「あけてはならぬ」と言われると、なお、あけて見たい誘惑を感ずると云う人間の弱点は、この浦島の物語に限らず、ギリシャ神諾のパンドラの箱の物語に於いても、それと同様の心理が取りあつかわれているようだ。しかし、あのパンドラの箱の場合は、はじめから神々の復讐(ふくしゅう)が企図せられていたのである。「あけてはならぬ」という一言が、パンドラの好奇心を刺戟(しげき)して、必ずや後日パンドラが、その箱をあけて見るにちがいないという意地悪い予想のもとに「あけるな」という禁制を宣告したのである。それに引きかえ、われわれの善良な亀は、まったくの深切から浦島にそれを言ったのだ。あの時の亀の、余念なさそうな言い方に依()っても、それは信じていいと思う。あの亀は正直者だ。あの亀には責任が無い。それは私も確信をもって証言できるのであるが、さて、もう一つ、ここに妙な腑()に落ちない問題が残っている。浦島は、その竜宮のお土産をあけて見ると、中から白い煙が立ち昇り、たちまち彼は三百歳だかのお爺(じい)さんになって、だから、あけなきゃよかったのに、つまらない事になった、お気の毒に、などというところでおしまいになるのが、一般に伝えられている「浦島さん」物語であるが、私はそれに就いて深い疑念にとらわれている。するとこの竜宮のお土産も、あの人間のもろもろの禍(わざわい)の種の充満したパンドラの箱の如く、乙姫の深刻な復讐、或いは懲罰の意を秘めた贈り物であったのか。あのように何も言わず、ただ微笑して無限に許しているような素振りを見せながらも、皮裏にひそかに峻酷(しゅんこく)の陽秋を蔵していて、浦島のわがままを一つも許さず、厳罰を課する意味であの貝殻を与えたのか。いや、それほど極端の悲観論を称(とな)えずとも、或いは、貴人というものは、しばしば、むごい嘲弄(ちょうろう)を平気でするものであるから、乙姫もまったく無邪気の悪戯(いたずら)のつもりで、こんなひとのわるい冗談をやらかしたのか。いずれにしても、あの真の上品(じょうぼん)の筈(はず)の乙姫が、こんな始末の悪いお土産を与えたとは、不可解きわまる事である。パンドラの箱の中には、疾病(しっぺい)、恐怖、怨恨(えんこん)、哀愁、疑惑、嫉妬(しっと)、憤怒(ふんぬ)、憎悪(ぞうお)、呪詛(じゅそ)、焦慮、後悔、卑屈、貪慾(どんよく)、虚偽、怠惰、暴行などのあらゆる不吉の妖魔(ようま)がはいっていて、パンドラがその箱をそっとあけると同時に、羽蟻(はあり)の大群の如く一斉に飛び出し、この世の隅(すみ)から隅まで残るくまなくはびこるに到(いた)ったという事になっているが、しかし、呆然たるパンドラが、うなだれて、そのからっぽの箱の底を眺めた時、その底の闇(やみ)に一点の星のように輝いている小さな宝石を見つけたというではないか。そうして、その宝石には、なんと、「希望」という字がしたためられていたという。これに依って、パンドラの蒼白(そうはく)の頬にも、幽かに血の色がのぼったという。それ以来、人間は、いかなる苦痛の妖魔に襲われても、この「希望」に依って、勇気を得、困難に堪()え忍ぶ事が出来るようになったという。それに較(くら)べて、この竜宮のお土産は、愛嬌(あいきょう)も何もない。ただ、煙だ。そうして、たちまち三百歳のお爺さんである。よしんば、その「希望」の星が貝殻の底に残っていたとしたところで、浦島さんは既に三百歳である。三百歳のお爺さんに「希望」を与えたって、それは悪ふざけに似ている。どだい、無理だ。それでは、ここで一つ、れいの「聖諦」を与えてみたらどうか。しかし、相手は三百歳である。いまさら、そんな気取ったきざったらしいものを与えなくたって、人間三百歳にもなりゃ、いい加減、諦めているよ。結局、何もかも駄目である。救済の手の差し伸べようが無い。どうにも、これはひどいお土産をもらって来たものだ。しかし、ここで匙(さじ)を投げたら、或いは、日本のお伽噺(とぎばなし)はギリシャ神話よりも残酷である。などと外国人に言われるかも知れない。それはいかにも無念な事だ。また、あのなつかしい竜宮の名誉にかけても、何とかして、この不可解のお土産に、貴い意義を発見したいものである。いかに竜宮の数日が陸上の数百年に当るとは言え、何もその歳月を、ややこしいお土産などにして浦島に持たせてよこさなくてもよさそうなものだ。浦島が竜宮から海の上に浮かび出たとたんに、白髪の三百歳に変化したというのなら、まだ話がわかる。また、乙姫のお情で、浦島をいつまでも青年にして置くつもりだったのならば、そんな危険な「あけてはならぬ」品物を、わざわざ浦島に持たせてよこす必要は無い。竜宮のどこかの隅に捨てて置いたっていいじゃないか。それとも、お前のたれた糞尿(ふんにょう)は、お前が持って帰ったらいいだろう、という意味なのだろうか。それでは、何だかひどく下等な「面当(つらあ)て」みたいだ。まさかあの聖諦の乙姫が、そんな長屋の夫婦喧嘩(げんか)みたいな事をたくらむとは考えられない。どうも、わからぬ。私は、それに就いて永い間、思案した。そうして、このごろに到って、ようやく少しわかって来たような気がして来たのである。
 つまり、私たちは、浦島の三百歳が、浦島にとって不幸であったという先入感に依って誤られて来たのである。絵本にも、浦島は三百歳になって、それから、「実に、悲惨な身の上になったものさ。気の毒だ。」などというような事は書かれていない。
  タチマチ シラガノ オジイサン
 それでおしまいである。気の毒だ、馬鹿だ、などというのは、私たち俗人の勝手な盲断に過ぎない。三百歳になったのは、浦島にとって、決して不幸では【なかった】のだ。
 貝殻の底に、「希望」の星があって、それで救われたなんてのは、考えてみるとちょっと少女趣味で、こしらえものの感じが無くもないような気もするが、浦島は、立ち昇る煙それ自体で救われているのである。貝殻の底には、何も残っていなくたっていい。そんなものは問題でないのだ。曰(いわ)く、
  年月は、人間の救いである。
  忘却は、人間の救いである。
 竜宮の高貴なもてなしも、この素晴らしいお土産に依って、まさに最高潮に達した観がある。思い出は、遠くへだたるほど美しいというではないか。しかも、その三百年の招来をさえ、浦島自身の気分にゆだねた。ここに到っても、浦島は、乙姫から無限の許可を得ていたのである。淋しくなかったら、浦島は、貝穀をあけて見るような事はしないだろう。どう仕様も無く、この貝殻一つに救いを求めた時には、あけるかも知れない。あけたら、たちまち三百年の年月と、忘却である、これ以上の説明はよそう。日本のお伽噺には、このような深い慈悲がある。
 浦島は、それから十年、幸福な老人として生きたという。
[以 上]