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舌 切 雀(したきりすずめ)

太宰 治:作

 私はこの「お伽(とぎ)草紙(ぞうし)」という本を、日本の国難打開のために敢闘している人々の寸暇に於()ける慰労のささやかな玩具(がんぐ)として恰好(かっこう)のものたらしむべく、このごろ常に微熱を発している不完全のからだながら、命ぜられては奉公の用事に出動したり、また自分の家の罹災(りさい)の後始末やら何やらしながら、とにかく、そのひまに少しづつ書きすすめて来たのである。瘤取(こぶと)り、浦島さん、カチカチ山、その次に、桃太郎と、舌切雀を書いて、一応この「お伽草紙」を完結させようと私は思っていたのであるが、桃太郎のお話は、あれはもう、ぎりぎりに単純化せられて、日本男児の象徴のようになっていて、物語というよりは詩や歌の趣きさえ呈している。もちろん私も当初に於いては、この桃太郎をも、私の物語に鋳造し直すつもりでいた。すなわち私は、あの鬼ヶ島の鬼というものに、或る種の憎むべき性格を附与してやろうと思っていた。どうしてもあれは、征伐せずには置けぬ醜怪極悪無類の人間として、描写するつもりであった。それに依()って桃太郎の鬼征伐も大いに読者諸君の共鳴を呼び起し、而(しこう)してその戦闘も読む者の手に汗を握らせるほどの真に危機一髪のものたらしめようとたくらんでいた。(未(いま)だ書かぬ自分の作品の計画を語る場合に於いては、作者はたいていこのようにあどけない法螺(ほら)を吹くものである。そんなに、うまくは行きませぬて。)まあさ、とにかく、まあ、聞き給(たま)え。どうせ、気焔(きえん)だがね。とにかく、ひやかさずに聞いてくれ給え。ギリシャ神話に於いて、最も佞悪(ねいあく)醜穢(しゅうわい)の魔物は、やはりあの万蛇頭のメデウサであろう。眉間(みけん)には狐疑(こぎ)の深い皺(しわ)がきざみ込まれ、小さい灰色の眼には浅間(あさま)しい殺意が燃え、真蒼(まっさお)な頬は威嚇(いかく)の怒りに震えて、黒ずんだ薄い唇(くちびる)は嫌悪(けんお)と侮蔑(ぶべつ)にひきつったようにゆがんでいる。そうして長い頭髪の一本一本がことごとく腹の赤い毒蛇である。敵に対してこの無数の毒蛇は、素早く一様に鎌首(かまくび)をもたげ、しゅっしゅっと気味悪い音を立てて手向う。このメデウサの姿をひとめ見た者は、何とも知れずいやな気持になって、そうして、心臓が凍り、からだ全体つめたい石になったという。恐怖というよりは、不快感である。人の肉体よりも、人の心に害を加える。このような魔物は、最も憎むべきものであり、かつまたすみやかに退治しなければならぬものである。それに較(くら)べると、日本の化物は単純で、そうして愛嬌(あいきょう)がある。古寺の大入道や一本足の傘(かさ)の化物などは、たいてい酒飲みの豪傑のために無邪気な舞いをごらんに入れて以(もっ)て豪傑の乙夜(いつや)丑満(うしみつ)の無聊(ぶりょう)を慰めてくれるだけのものである。また、絵本の鬼ヶ島の鬼たちも、図体(ずうたい)ばかり大きくて、猿(さる)に鼻など引掻(ひっか)かれ、あっ! と言ってひっくりかえって降参したりしている。一向におそろしくも何とも無い。善良な性格のもののようにさえ思われる。それでは折角の鬼退治も、甚(はなは)だ気抜けのした物語になるだろう。ここは、どうしてもメデウサの首以上の凄(すご)い、不愉快きわまる魔物を登場させなければならぬところだ。それでなければ読者の手に汗を握らせるわけにはいかぬ。また、征服者の桃太郎が、あまりに強くては、読者はかえって鬼のほうを気の毒に思ったりなどして、その物語に危機一髪の醍醐味(だいごみ)は湧()いて出ない。ジイグフリイドほどの不死身(ふじみ)の大勇者でも、その肩先に一箇所の弱点を持っていたではないか。弁慶にも泣きどころがあったというし、とにかく、完璧(かんぺき)の絶対の強者は、どうも物語には向かない。それに私は、自身が非力のせいか、弱者の心理にはいささか通じているつもりだが、どうも、強者の心理は、あまりつまびらかに知っていない。殊(こと)にも、誰にも絶対に負けぬ完璧の強者なんてのには、いま迄(まで)いちども逢()った事が無いし、また噂(うわさ)にさえ聞いた事が無い。私は多少でも自分で実際に経験した事で無ければ、一行も一字も書けない甚だ空想が貧弱の物語作家である。それで、この桃太郎物語を書くに当っても、そんな見た事も無い絶対不敗の豪傑を登場させるのは何としても不可能なのである。やはり、私の桃太郎は、小さい時から泣虫で、からだが弱くて、はにかみ屋で、さっぱり駄目な男だったのだが、人の心情を破壊し、永遠の絶望と戦慄(せんりつ)と怨嗟(えんさ)の地獄にたたき込む悪辣(あくらつ)無類にして醜怪の妖鬼(ようき)たちに接して、われ非力なりと雖(いえど)もいまは黙視し得ずと敢然立って、黍団子(きびだんご)を腰に、かの妖鬼たちの巣窟(そうくつ)に向って発足する、とでもいうような事になりそうである。またあの、犬、猿、雉(きじ)の三匹の家来も、決して模範的な助力者ではなく、それぞれに困った癖があって、たまには喧嘩(けんか)もはじめるであろうし、ほとんどかの西遊記(さいゆうき)の悟空(ごくう)、八戒(はっかい)、悟浄(ごじょう)の如きもののように書くかも知れない。しかし、私は、カチカチ山の次に、いよいよこの、「私の桃太郎」に取りかかろうとして、突然、ひどく物憂い気持に襲われたのである。せめて、桃太郎の物語一つだけは、このままの単純な形で残して置きたい。これは、もう物語ではない。昔から日本人全部に歌い継がれて来た日本の詩である。物語の筋にどんな矛盾があったって、かまわぬ。この詩の平明濶達(かったつ)の気分を、いまさら、いじくり廻すのは、日本に対してすまぬ。いやしくも桃太郎は、日本一という旗を持っている男である。日本一はおろか日本二も三も経験せぬ作者が、そんな日本一の快男子を描写できる筈(はず)が無い。私は桃太郎のあの「日本一」の旗を思い浮べるに及んで、潔く「私の桃太郎物語」の計画を放棄したのである。
 そうして、すぐつぎに舌切雀の物語を書き、それだけて一応、この「お伽草紙」を結びたいと思い直したわけである。この舌切雀にせよ、また前の瘤取り、浦島さん、カチカチ山、いずれも「日本一」の登場は無いので、私の貴任も軽く、自由に書く事を得たのであるが、どうも、日本一と言う事になると、かりそめにもこの貴い国で第一と言う事になると、いくらお伽噺だからと言っても、出鱈目(でたらめ)な書き方は許されまい。外国の人が見て、なんだ、これが日本一か、などと言ったら、その口惜しさはどんなだろう。だから、私はここにくどいくらいに念を押して置きたいのだ。瘤取りの二老人も浦島さんも、またカチカチ山の狸さんも、決して日本一ではないんだぞ、桃太郎だけが日本一なんだぞ、そうしておれはその桃太郎を書かなかったんだぞ。本当の日本一なんか、もしお前の眼前に現われたら、お前の両眼はまぶしさのためにつぶれるかも知れない。いいか、わかったか。この私の「お伽草紙」に出て来る者は、日本一でも二でも三でも無いし、また、所謂「代表的人物」でも無い。これはただ、太宰という作家がその愚かな経験と貧弱な空想を以て創造した極(きわ)めて凡庸の人物たちばかりである。これらの諸人物を以て、ただちに日本人の軽重を推計せんとするのは、それこそ刻舟求剣のしたり顔なる穿鑿(せんさく)に近い。私は日本を大事にしている。それは言うまでも無い事だが、それゆえ、私は日本一の桃太郎を描写する事は避け、また、他の諸人物の決して日本一ではない所以(ゆえん)をもくどくどと述べて来たのだ。読者もまた、私のこんなへんなこだわり方に大いに賛意を表して下さるのではあるまいかと思われる。太閤(たいこう)でさえ言ったじゃないか。「日本一は、わしではない。」と。
 さて、この舌切雀の主人公は、日本一どころか、逆に、日本で一ばん駄目な男と言ってよいかも知れぬ。だいいち、からだが弱い。からだの弱い男というものは、足の悪い馬よりも、もっと世間的の価値が低いようである。いつも力無い咳(せき)をして、そうして顔色も悪く、朝起きて部屋の障子にはたきを掛け、帚(ほうき)で塵(ちり)を掃き出すと、もう、ぐったりして、あとは、一日一ぱい机の傍(そば)で寝たり起きたり何やら蠢動(しゅんどう)して、夕食をすますと、すぐ自分でさっさと蒲団(ふとん)を敷いて寝てしまう。この男は、既に十数年来こんな情無い生活を続けている。未だ四十歳にもならぬのだが、しかし、よほど前から自分の事を翁(おう)と署名し、また自分の家の者にも「お爺(じい)さん」と呼べと命令している。まあ、世捨人とでも言うべきものであろうか。しかし、世捨人だって、お金が少しでもあるから、世を捨てられるので、一文無しのその日暮しだったら、世を捨てようと思ったって、世の中のほうから追いかけて来て、とても捨て切れるものでない。この「お爺さん」も、いまはこんなささやかな草の庵(いおり)を結んでいるが、もとをただせば大金持の三男坊で、父母の期待にそむいて、これという職業も持たず、ぼんやり晴耕雨読などという生活をしているうちに病気になったりして、このごろは、父母をはじめ親戚(しんせき)一同も、これを病弱の馬鹿の困り者と称してあきらめ、月々の暮しに困らぬ小額の金を仕送りしているというような状態なのである。さればこそ、こんな世捨人みたいな生活も可能なのである。いかに、草の庵とはいえ、まあ、結構な身分と申さざるを得ないであろう。そうして、そんな結構な身分の者に限って、あまりひとの役に立たぬものである。からだが弱いのは事実のようであるが、しかし、寝ているほどの病人では無いのだから、何か一つくらい積極的な仕事の出来ぬわけはない筈である。けれども、このお爺さんは何もしない。本だけは、ずいぶんたくさん読んでいるようだが、読み次第わすれて行くのか、自分の読んだ事を人に語って知らせるというわけでもない。ただ、ぼんやりしている。これだけでも、既に世間的価値がゼロに近いのに、さらにこのお爺さんには子供が無い。結婚してもう十年以上にもなるのだが、未だ世継が無いのである。これでもう完全に彼は、世間人としての義務を何一つ果していない、という事になる。こんな張合いの無い亭主に、よくもまあ十何年も連添うて来た細君というのは、どんな女か、多少の興をそそられる。しかし、その草庵(そうあん)の垣根越(かきねご)しにそっと覗(のぞ)いてみた者は、なあんだ、とがっかりさせられる。実に何とも、つまらない女だ。色がまっくろで、眼はぎょろりとして、手は皺(しわ)だらけで大きく、その手をだらりと前にさげて少し腰をかがめていそがしげに庭を歩いているさまを見ると、「お爺さん」よりも年上ではないかと思われるくらいである。しかし、今年三十三の厄年だという。このひとは、もと「お爺さん」の生家に召使われていたのであるが、病弱のお爺さんの世話を受け持されて、いつしかその生涯を受持つようになってしまったのである。無学である。
「さあ、下着類を皆、脱いでここへ出して下さい。洗います。」と強く命令するように言う。
「この次。」お爺さんは、机に頬杖(ほおづえ)をついて低く答える。お爺さんは、いつも、ひどく低い声で言う。しかも、言葉の後半は、口の中で澱(よど)んで、ああ、とか、うう、とかいうようにしか聞えない。連添うて十何年になるお婆さんにさえ、このお爺さんの言う事がよく聞きとれない。いわんや、他人に於いておや。どうせ世捨人同然のひとなのだから、自分の言う事が他人にわかったって、わからなくたってどうだっていいようなものかも知れないが、定職にも就()かず、読書はしても別段その知識でもって著述などしようとする気配も見えず、そうして結婚後十数年経過しているのに一人の子供ももうけず、そうして、その上、日常の会話に於いてさえ、はっきり言う手数を省いて、後半を口の中でむにゃむにゃ言ってすますとは、その骨惜しみと言おうか何と言おうか、とにかくその消極性は言語に絶するものがあるように思われる。
「早く出して下さいよ。ほら、襦袢(じゅばん)の襟(えり)なんか、油光りしているじゃありませんか。」
「この次。」やはり半分は口の中で、ぼそりと言う。
「え? 何ですって? わかるように言って下さい。」
「この次。」と頬杖をついたまま、にこりともせずお婆さんの顔を、まじまじと見つめながら、こんどはやや明瞭(めいりょう)に言う。「きょうは寒い。」
「もう冬ですもの。きょうだけじゃなく、あしたもあさっても寒いにきまっています。」と子供を叱(しか)るような口調で言い、「そんな工合いに家の中で、じっと炉傍(ろばた)に坐っている人と、井戸端(いどばた)へ出て洗濯している人と、どっちが寒いか知っていますか。」
「わからない。」と幽(かす)かに笑って答える。「お前の井戸端は習慣になっているから。」
「冗談じゃありません。」とお婆さんは顔をしかめて、「私だって何も、洗濯をしに、この世に生れて来たわけじゃないんですよ。」
「そうかい。」と言って、すましている。
「さあ、早く脱いで寄こして下さいよ。代りの下着類はいっさいその押入の中にはいっていますから。」
「風邪(かぜ)をひく。」
「じゃあ、よござんす。」いまいましそうに言い切ってお婆さんは退却する。
 ここは東北の仙台郊外、愛宕山(あたごやま)の麓(ふもと)、広瀬川の急流に臨んだ大竹藪(おおたけやぶ)の中である。仙台地方には昔から、雀が多かったのか、仙台笹(せんだいざさ)とかいう紋所には、雀が二羽図案化されているし、また、芝居の先代萩(せんだいはぎ)には雀が千両役者以上の重要な役として登場するのは誰しもご存じの事と思う。また、昨年、私が仙台地方を旅行した時にも、その土地の一友人から仙台地方の古い童謡として次のような歌を紹介せられた。
  カゴメ カゴメ
カゴノナカノ スズメ
イツ イツ デハル

 この歌は、しかし、仙台地方に限らず、日本全国の子供の遊び歌になっているようであるが、
  カゴノナカノ スズメ

 と一言って、ことさらに籠(かご)の小鳥を雀と限定しているところ、また、デハルという東北の方言が何の不自然な感じも無く插入(そうにゅう)せられている点など、やはりこれは仙台地方の民謡と称しても大過ないのではなかろうかと私には思われた。
 このお爺さんの草庵の周囲の大竹藪にも、無数の雀か住んでいて、朝夕、耳を聾(ろう)せんばかりに騒ぎ立てる。この年の秋の終り、大竹藪に霰(あられ)が爽(さわ)やかな音を立てて走っている朝、庭の土の上に、脚(あし)をくじいて仰向にあがいている小雀をお爺さんは見つけ、黙って拾って、部屋の炉傍に置いて餌(えさ)を与え、雀は脚の怪我(けが)がなおっても、お爺さんの部屋で遊んで、たまに庭先へ飛び降りてみる事もあるが、またすぐ縁にあがって来て、お爺さんの投げ与える餌を啄(ついば)み、糞(ふん)をたれると、お婆さんは、
「あれ汚(きたな)い。」と言って追い、お爺さんは無言で立って懐紙でその縁側の糞をていねいに拭()き取る。日数の経()つにつれて雀にも、甘えていい人と、そうでない人との見わけがついて来た様子で、家にお婆さんひとりしかいない時には、庭先や軒下に避難し、そうしてお爺さんがあらわれると、すぐ飛んで来て、お爺さんの頭の上にちょんと停(とま)ったり、またお爺さんの机の上をはねまわり、硯(すずり)の水をのどを幽(かす)かに鳴らして飲んだり、筆立の中に隠れたり、いろいろに戯れてお爺さんの勉強の邪魔をする。けれども、お爺さんはたいてい知らぬ振りをしている。世にある愛禽家(あいきんか)のように、わが愛禽にへんな気障(きざ)ったらしい名前を附けて、
「ルミや、お前も淋(さび)しいかい。」などという事は言わない。雀がどこで何をしようと、全然無関心の様子を示している。そうして時々、黙ってお勝手から餌を一握り持って来て、ばらりと縁側に撒()いてやる。
 その雀が、いまお婆さんの退場後に、はたはたと軒下から飛んで来て、お爺さんの頬杖ついている机の端にちょんと停る。お爺さんは少しも表情を変えず、黙って雀を見ている。このへんから、そろそろこの小雀の身の上に悲劇がはじまる。
 お爺さんは、しばらく経()ってから一言、「そうか。」と言った。それから深い溜息(ためいき)をついて、机上に本をひろげた。その書物のペエジを一、二枚繰って、それからまた、頬杖をついてぼんやり前方を見ながら、「洗濯をするために生れて来たのではないと言いやがる。あれでも、まだ、色気があると見える。」と呟いて、幽かに苦笑する。
 この時、突然、机上の小雀が人語を発した。
「あなたは、どうなの?」
 お爺さんは格別おどろかず、
「おれか、おれは、そうさな、本当の事を言うために生れて来た。」
「でも、あなたは何も言いやしないじゃないの。」
「世の中の人は皆、嘘(うそ)つきだから、話を交(かわ)すのがいやになったのさ。みんな、嘘ばっかりついている。そうしてさらに恐ろしい事は、その自分の嘘にご自身お気附きになっていない。」
「それは怠(なま)け者(もの)の言いのがれよ。ちょっと学問なんかすると、誰でもそんな工合いに横着な気取り方をしてみたくなるものらしいのね。あなたは、なんにもしてやしないじゃないの。寝ていて人を起こすなかれ、という諺(ことわざ)があったわよ。人の事など言えるがらじゃ無いわ。」
「それもそうだが、」とお爺さんはあわてず、「しかし、おれのような男もあっていいのだ。おれは何もしていないように見えるだろうが、まんざら、そうでもない。おれでなくちゃ出来ない事もある。おれの生きている間、おれの真価の発揮できる時機が来るかどうかわからぬが、しかし、その時が来たら、おれだって大いに働く。その時までは、まあ、沈黙して、読書だ。」
「どうだか。」と雀は小首を傾け、「意気地(いくじ)無しの陰弁慶に限って、よくそんな負け措しみの気焔(きえん)を挙げるものだわ。廃残の御隠居、とでもいうのかしら、あなたのようなよぼよぼの御老体は、かえらぬ昔の夢を、未来の希望と置きかえて、そうしてご自身を慰めているんだわ。お気の毒みたいなものよ。そんなのは気焔にさえなってやしない。変態の愚痴よ。だって、あなたは、何もいい事をしてやしないんだもの。」
「そう言えば、まあ、そんなものかも知れないが、」と老人はいよいよ落ちついて、「しかし、おれだって、いま立派に実行している事が一つある。それは何かって言えば、無慾という事だ。言うは易(やす)くして、行うは難いものだよ。うちのお婆さんなど、おれみたいな者ともう十何年も連添うて来たのだから、いい加減に世間の慾を捨てているかと思っていたら、どうもそうでもないらしい。まだあれで、何か色気があるらしいんだね。それが可笑(おか)しくて、ついひとりで噴()き出したような次第だ。」
 そこへ、ぬっとお婆さんが顔を出す。
「色気なんかありませんよ。おや? あなたは、誰と話をしていたのです。誰か、若い娘さんの声がしていましたがね。あのお客さんは、どこへいらっしゃいました。」
「お客さんか。」お爺さんは、れいに依()って言葉を濁す。
「いいえ、あなたは今たしかに誰かと話をしていましたよ。それも私の悪口をね。まあ、どうでしょう、私にものを言う時には、いつも口ごもって聞きとれないような大儀そうな言い方ばかりする癖に、あの娘さんには、まるで人が変ったみたいにあんな若やいだ声を出して、たいへんごきげんそうに、おしゃべりしていらしたじゃないの。あなたこそ、まだ色気がありますよ。ありすぎて、べたべたです。」
「そうかな。」とお爺さんは、ぼんやり答えて、「しかし、誰もいやしない。」
「からかわないで下さい。」とお婆さんは本気に怒ってしまった様子で、どさんと縁先に腰をおろし、「あなたはいったいこの私を、何だと思っていらっしゃるのです。私はずいぶん今までこらえて来ました。あなたはもう、てんで私を馬鹿にしてしまっているのですもの。そりゃもう私は、育ちもよくないし学問も無いし、あなたのお話相手が出来ないかも知れませんが、でも、あんまりですわ。私だって、若い時からあなたのお家へ奉公にあがってあなたのお世話をさせてもらって、それがまあ、こんな事になって、あなたの親御さんも、あれならばなかなかしっかり者だし、せがれと一緒にさせても、−−」
「嘘ばかり。」
「おや、どこが嘘なのです。私が、どんな嘘をつきました。だって、そうじゃありませんか。あの頃、あなたの気心を一ばんよく知っていたのは私じゃありませんか。私でなくちゃ駄目だったんです。だから私が、一生あなたのめんどうを見てあげる事になったんじゃありませんか。どこが、どんな工合いに嘘なのです。それを聞かして下さい。」と顔色を変えてつめ寄る。
「みんな嘘さ。あの頃の、お前の色気ったら無かったぜ。それだけさ。」
「それは、いったい、どんな意味です。私には、わかりゃしません。馬鹿にしないで下さい。私はあなたの為(ため)を思って、あなたと一緒になったのですよ。色気も何もありゃしません。あなたもずいぶん下品な事を言いますね。ぜんたい私が、あなたのような人と一緒になったばかりに、朝夕どんなに淋しい思いをしているか、あなたはご存じ無いのです。たまには、優しい言葉の一つも掛けてくれるものです。他の夫婦をごらんなさい。どんなに貧之をしていても、夕食の時などには楽しそうに世間話をして笑い合っているじゃありませんか。私は決して慾張り女ではないんです。あなたのためなら、どんな事でも忍んで見せます。ただ、時たま、あなたから優しい言葉の一つも掛けてもらえたら、私はそれで満足なのですよ。」
「つまらない事を言う。そらぞらしい。もういい加減あきらめているかと思ったら、まだ、そんなきまりきった泣き言を並べて、局面転換を計ろうとしている。だめですよ。お前の言う事なんざ、みんなごまかしだ。その時々の安易な気分本位だ。おれをこんな無口な男にさせたのは、お前です。夕食の時の世間話なんて、たいていは近所の人の品評じゃないか。悪口じゃないか。それも、れいの安易な気分本位で、やたらと人の陰口をきく。おれはいままで、お前が人をほめたのを聞いた事がない。おれだって、弱い心を持っている。お前にまきこまれて、つい人の品評をしたくなる。おれには、それがこわいのだ。だから、もう誰とも口をきくまいと思った。お前たちには、ひとの悪いところばかり眼について、自分自身のおそろしさにまるで気がついていないのだからな。おれは、ひとがこわい。」
「わかりました。あなたは、私にあきたのでしょう。こんな婆が、鼻について来たのでしょう。私には、わかっていますよ。さっきのお客さんは、どうしました。どこに隠れているのです。たしかに若い女の声でしたわね。あんな若いのが出来たら、私のような婆さんと話をするのがいやになるのも、もっともです。なんだい、無慾だの何だのと悟り顔なんかしていても、相手が若い女だと、すぐもうわくわくして、声まで変って、ぺちゃくちゃとお喋(しゃべ)りをはじめるのだからいやになります。」
「それなら、それでよい。」
「よかありませんよ。あのお客さんは、どこにいるのてす。私だって、挨拶(あいさつ)を申さなければ、お客さんに失礼ですよ。こう見えても、私はこの家の主婦ですからね、挨拶をさせて下さいよ。あんまり私を踏みつけにしては、だめです。」
「これだ。」とお爺さんは、机上で遊んでいる雀のほうを顎(あご)でしゃくって見せる。
「え? 冗談じゃない。雀がものを言いますか。」
「言う。しかも、なかなか気のきいた事を言う。」
「どこまでも、そんなに意地悪く私をからかうのですね。じゃあ、よござんす。」矢庭(やにわ)に腕をのばして、机上の小雀をむずと掴<*>(つか)み、「そんな気のきいた事を言わせないように、舌をむしり取ってしまいましょう。あなたは、ふだんからどうもこの雀を可愛(かわい)がりすぎます。私には、それがいやらしくて仕様が無かったんですよ。ちょうどいい塩梅(あんばい)だ。あなたが、あの若い女のお客さんを逃がしてしまったのなら、身代りにこの雀の舌を抜きます。いい気味だ。」掌中の雀の嘴(くちばし)をこじあけて、小さい菜の花びらほどの舌をきゅっとむしり取った。
<*>掴:手偏+「國」:補助3259
 雀は、はたはたと空高く飛び去る。
 お爺さんは、無言で雀の行方(ゆくえ)を眺(なが)めている。
 そうして、その翌日から、お爺さんの大竹薮探索がはじまるわけである。
  シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ
シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ

 毎日毎日、雪が降り続ける。それでもお爺さんは何かに憑()かれたみたいに、深い大竹薮の中を捜しまわる。薮の中には、雀は千も万もいる。その中から、舌を抜かれた小雀を捜し出すのは、至難の事のように思われるが、しかし、お爺さんは異様な熱心さを以(もっ)て、毎日毎日探索する。
  シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ
シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ

 お爺さんにとって、こんな、がむしゃらな情熱を以て行動するのは、その生涯に於いて、いちども無かったように見受けられた。お爺さんの胸中に眠らされていた何物かが、この時はじめて頭をもたげたようにも見えるが、しかし、それは何であるか、筆者(太宰)にもわからない。自分の家にいながら、他人の家にいるような浮かない気分になっているひとが、ふっと自分の一ばん気楽な性格に遭()い、之(これ)を追い求める。恋、と言ってしまえば、それっきりであるが、しかし、一般にあっさり言われている心、恋、という言葉に依ってあらわされる心理よりは、このお爺さんの気持は、はるかに侘(わび)しいものであるかも知れない。お爺さんは夢中で探(さが)した。生れてはじめての執拗(しつよう)な積極性である。
  シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ
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オヤドハ ドコダ

 まさか、これを口に出して歌いながら捜し歩いていたわけではない。しかし、風が自分の耳元にそのようにひそひそ囁(ささや)き、そうして、いつのまにやら自分の胸中に於いても、その変てこな歌ともお念仏ともつかぬ文句が一歩一歩竹薮の下の雪を踏みわけて行くのと同時に湧()いて出て、耳元の風の囁きと合致する、というような工合いなのである。
 或る夜、この仙台地方でも珍らしいほどの大雪があり、次の日はからりと晴れて、まぶしいくらいの銀世界が現出し、お爺さんは、この朝早く、藁靴(わらぐつ)をはいて、相も変らず竹藪をさまよい歩き、
  シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ
シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ

 竹に積った大きい雪のかたまりが、突然、どさりとお爺さんの頭上に落下し、打ちどころが悪かったのかお爺さんは失神して雪の上に倒れる。夢幻の境のうちに、さまざまの声の囁きが聞えて来る。
「可哀(かわい)そうに、とうとう死んでしまったじゃないの。」
「なに、死にやしない。気が遠くなっただけだよ。」
「でも、こうしていつまでも雪の上に倒れていると、こごえて死んでしまうわよ。」
「それはそうだ。どうにかしなくちゃいけない。困った事になった。こんな事にならないうちに、あの子が早く出て行ってやればよかったのに。いったい、あの子は、どうしたのだ。」
「お照さん?」
「そう、誰かにいたずらされて口に怪我(けが)をしたようだが、あれから、さっぱりこのへんに姿を見せんじゃないか。」
「寝ているのよ。舌を抜かれてしまったので、なんにも言えず、ただ、ぽろぽろ涙を流して泣いているわよ。」
「そうか、舌を抜かれてしまったのか。ひどい悪戯(いたずら)をするやつもあったものだなあ。」
「ええ、それはね、このひとのおかみさんよ。悪いおかみさんではないんだけれど、あの日は虫のいどころがへんだったのでしょう、いきなり、お照さんの舌をひきむしってしまったの。」
「お前、見てたのかい?」
「ええ、おそろしかったわ。人間って、あんな工合いに出し抜けにむごい事をするものなのね。」
「やきもちだろう。おれもこのひとの家の事はよく知っているけれど、どうもこのひとは、おかみさんを馬鹿にしすぎていたよ。おかみさんを可愛がりすぎるのも見ちゃおられないものだが、あんなに無愛想なのもよろしくない。それをまたお照さんはいいことにして、いやにこの旦那(だんな)といちゃついていたからね。まあ、みんな悪い。ほって置け。」
「あら、あなたこそ、やきもちを焼いているんじゃない? あなたは、お照さんを好きだったのでしょう? 隠したってだめよ。この大竹薮で一ばんの美声家はお照さんだって、いつか溜息をついて言ってたじゃないの。」
「やきもちを焼くなんてそんな下品な事をするおれではない。が、しかし、少くともお前よりはお照のほうが声が佳()くて、しかも美人だ。」
「ひどいわ。」
「喧嘩(けんか)はおよし、つまらない。それよりも、このひとを、いったいどうするの? ほって置いたら死にますよ。可哀想に。どんなにお照さんに逢いたいのか、毎日毎日この竹藪を捜して歩いて、そうしてとうとうこんな有様になってしまって、気の毒じゃないの。このひとは、きっと、実(じつ)のあるひとだわ。」
「なに、ばかだよ。いいとしをして雀の子のあとを追い廻すなんて、呆(あき)れたばかだよ。」
「そんな事を言わないで、ね、逢わしてあげましょうよ。お照さんだって、このひとに逢いたがっているらしいわ。でも、もう舌を抜かれて口がきけないのだからねえ、このひとがお照さんを捜しているという事を言って聞かせてあげても、藪のあの奥で寝たまま、ぽろぽろ涙を流しているばかりなのよ。このひとも可哀想だけれども、お照さんだって、そりゃ可哀想よ。ね、あたしたちの力で何とかしてあげましょうよ。」
「おれは、いやだ。おれはどうも色恋の沙汰(さた)には同情を持てないたちでねえ。」
「色恋じゃないわ。あなたには、わからない。ね、みなさん、何とかして逢わせてあげたいものだわねえ。こんな事は、理窟(りくつ)じゃないんですもの。」
「そうとも、そうとも。おれが引受けた。なに、わけはない。神さまにたのむんだ。理窟抜きで、なんとかして他の者のために尽してやりたいと思った時には、神さまにたのむのが一ばんいいのだ。おれのおやじがいつかそう言って教えてくれた。そんな時には神さまは、どんな事でも叶(かな)えて下さるそうだ。まあ、みんな、ちょっとここで待っていてくれ。おれはこれから、鎮守の森の神さまにたのんで来るから。」
 お爺さんが、ふっと眼の覚()めたところは、竹の柱の小綺麗(こぎれい)な座敷である。起き上ってあたりを見廻していると、すっと襖(ふすま)があいて、身長二尺くらいのお人形さんが出て来て、
「あら、おめざめ?」
「ああ、」とお爺さんは鷹揚(おうよう)に笑い、「ここはどこだろう。」
「すずめのお宿。」とそのお人形さんみたいな可愛い女の子が、お爺さんの前にお行儀よく坐り、まんまるい眼をぱちくりさせて答える。
「そう。」とお爺さんは落ちついて首肯(うなず)き、「お前は、それでは、あの、舌切雀?」
「いいえ、お照さんは奥の間で寝ています。私は、お鈴。お照さんとは一ばんの仲良し。」
「そうか。それでは、あの、舌を抜かれた小雀の名は、お照というの?」
「ええ、とても優しい、いいかたよ。早く逢っておあげなさい。可哀想に口がきけなくなって、毎日ぽろぽろ涙を流して泣いています。」
「逢いましょう。」とお爺さんは立ち上り、「どこに寝ているのですか。」
「ご案内します。」お鈴さんは、はらりと長い袖(そで)を振って立ち、縁側に出る。お爺さんは、青竹の狭い縁を滑らぬように、用心しながらそっと渡る。
「ここです、おはいり下さい。」
 お鈴さんに連れられて、奥の一間にはいる。あかるい部屋だ。庭には小さい笹が一めんに生()え繁(しげ)り、その笹の間を浅い水が素早く流れている。
 お照さんは小さい赤い絹蒲団(きぬぶとん)を掛けて寝ていた。お鈴さんよりも、さらに上品な美しいお人形さんで、少し顔色が青かった。大きい眼でお爺さんの顔をじっと見つめて、そうして、ぽろぽろと涙を流した。
 お爺さんはその枕元(まくらもと)にあぐらをかいて坐って、何も言わず、庭を走り流れる清水(しみず)を見ている。お鈴さんは、そっと席をはずした。
 何も言わなくてもよかった。お爺さんは、幽(かす)かに溜息(ためいき)をついた。憂鬱(ゆううつ)の溜息ではなかった。お爺さんは、生れてはじめて心の平安を経験したのだ。そのよろこびが、幽かな溜息となってあらわれたのである。
 お鈴さんは静かにお酒とお肴(さかな)を持ち運んで来て、
「ごゆっくり。」と言って立ち去る。
 お爺さんはお酒をひとつ手酌で飲んで、また庭の清水を眺める。お爺さんは、所謂(いわゆる)お酒飲みではない。一杯だけで、陶然と酔う。箸(はし)を持って、お膳(ぜん)のたけのこを一つだけつまんで食べる。素敵においしい。しかし、お爺さんは、大食いではない。それだけで箸を置く。
 襖があいて、お鈴さんがお酒のおかわりと、別な肴を持って来る。お爺さんの前に坐って、
「いかが?」とお酒をすすめる。
「いや、もうたくさん。しかし、これは、よいお酒だ。」お世辞を言ったのではない。思わず、それが口に出たのだ。
「お気に召しましたか。笹の露です。」
「よすぎる。」
「え?」
「よすぎる。」
 お爺さんとお鈴さんの会話を寝ながら聞いていて、お照さんは微笑(ほほえ)んだ。
「あら、お照さんが笑っているわ。何か言いたいのでしょうけれど。」
 お照さんは首を振った。
「言えなくたって、いいのさ。そうだね?」とお爺さんは、はじめてお照さんのほうを向いて話かける。
 お照さんは、眼をぱちぱちさせて、嬉(うれ)しそうに二、三度うなずく。
「さ、それでは失礼しよう。また来る。」
 お鈴さんは、このあっさりしすぎる訪問客には呆れた様子で、
「まあ、もうお帰りになるの? こごえて死にそうになるまで、竹薮の中を捜し歩いていらして、やっときょう逢えたくせに、優しいお見舞いの言葉一つかけるではなし、−−」
「優しい言葉だけは、ごめんだ。」とお爺さんは苦笑して、もう立ち上る。
「お照さん、いいの? おかえししても。」とお鈴さんはあわててお照さんに尋ねる。
 お照さんは笑って首肯く。
「どっちも、どっちだわね。」とお鈴さんも笑い出して、「それじゃあ、またどうぞいらして下さいね。」
「来ます。」とまじめに答え、座敷から出ようとして、ふと立ちどまり、「ここは、どこだね。」
「竹薮の中です。」
「はて? 竹薮の中に、こんな妙な家があったかしら。」
「あるんです。」と言ってお鈴さんは、お照さんと顔を見合せて微笑み、「でも、普通のひとには見えないんです。竹薮のあの入口のところで、けさのように雪の上に俯伏(うつぶ)していらしたら、私たちは、いつでもここへご案内いたしますわ。」
「それは、ありがたい。」と思わずお世辞で無く言い、青竹の縁側に出る。
 そうしてまた、お鈴さんに連れられて、もとの小綺麗な茶の間にかえると、そこには、大小さまざまの葛籠(つづら)が並べられてある。
「せっかくおいで下さっても、おもてなしも出来なくて恥ずかしゅう存じます。」とお鈴さんは口調を改めて言い、「せめて、雀の里のお土産(みやげ)のおしるしに、この葛籠のうちどれでもお気に召したのをお邪魔でございましょうが、お持ち帰り下さいまし。」
「要()らないよ、そんなもの。」とお爺さんは不機嫌(ふきげん)そうに呟(つぶや)き、そのたくさんの葛籠には目もくれず、「おれの履物(はきもの)はどこにあります。」
「困りますわ。どれか一つ持って帰って下さいよ。」とお鈴さんは泣き声になり、「あとで私は、お照さんに怒られます。」
「怒りゃしない。あの子は、決して怒りゃしない。おれは知っている。ところで、履物はどこにあります。きたない藁靴をはいて来た筈だが。」
「捨てちゃいました。はだしでお帰りになるといいわ。」
「それは、ひどい。」
「それじゃ、何か一つお土産を持ってお帰りになってよ。後生、お願い。」と小さい手を合せる。
 お爺さんは苦笑して、座敷に並べられてある葛籠をちらと見て、
「みんな大きい。大きすぎる。おれは荷物を持って歩くのは、きらいです。ふところにはいるくらいの小さいお土産はありませんか。」
「そんなご無理をおっしやったって、−−」
「そんなら帰る。はだしでもかまわない。荷物はごめんだ。」と言ってお爺さんは、本当にはだしのままで、縁の外に飛び出そうとする気配を示した。
「ちょっと待って、ね、ちょっと。お照さんに聞いて来るわ。」
 はたはたとお鈴さんは奥の間に飛んで行き、そうして、間もなく、稲の穂を口にくわえて帰って来た。
「はい、これは、お照さんの簪(かんざし)。お照さんを忘れないでね。またいらっしやい。」
 ふと、われにかえる。お爺さんは、竹薮の入口に俯伏して寝ていた。なんだ、夢か。しかし、右手には稲の穂が握られてある。真冬の稲の穂は珍らしい。そうして、薔薇(ばら)の花のような、とてもよい薫(かお)りがする。お爺さんはそれを大事そうに家へ持って帰って、自分の机上の筆立に插()す。
「おや、それは何です。」お婆さんは、家で針仕事をしていたが、眼ざとくそれを見つけて問いただす。
「稲の穂。」とれいの口ごもったような調子で言う。
「稲の穂? いまどき珍らしいじゃありませんか。どこから拾って来たのです。」
「拾って来たのじゃない。」と低く言って、お爺さんは書物を開いて黙読をはじめる。
「おかしいじゃありませんか。このごろ毎日、竹藪の中をうろついて、ぼんやり帰って来て、きょうはまた何だか、いやに嬉しそうな顔をしてそんなものを持ち帰り、もったい振って筆立に插したりなんかして、あなたは、何か私に隠していますね。拾ったのでなければ、どうしたのです。ちゃんと教えて下さったっていいじゃありませんか。」
「雀の里から、もらって来た。」お爺さんは、うるさそうに、ぷつんと言う。
 けれども、そんな事で、現実主義のお婆さんを満足させることはとても出来ない。お婆さんは、なおもしつっこく次から次へと詰問する。嘘を言う事の出来ないお爺さんは、仕方なく自分の不思議な経験をありのままに答える。
「まあ、そんな事、本気であなたは言っているのですか。」とお婆さんは、最後に呆(あき)れて笑い出した。
 お爺さんは、もう答えない。頬杖(ほおづえ)ついて、ぼんやり書物に眼をそそいでいる。
「そんな出鱈目(でたらめ)を、この私が信じると思っておいでなのですか。嘘にきまっていますさ。私は知っていますよ。こないだから、そう、こないだ、ほら、あの、若い娘のお客さんが来た頃から、あなたはまるで違う人になってしまいました。妙にそわそわして、そうして溜息ばかりついて、まるでそれこそ恋のやっこみたいです。みっともない。いいとしをしてさ。隠したって駄目ですよ。私にはわかっているのですから。いったい、その娘は、どこに住んでいるのです。まさか、藪の中ではないでしょう。私はだまされませんよ。薮の中に、小さいお家があって、そこにお人形みたいな可愛い娘さんがいて、うっふ、そんな子供だましのような事を言って、ごまかそうたって駄目ですよ。もしそれが本当ならば、こんどいらした時にそのお土産の葛籠とかいうものでも一つ持って来て見せて下さいな。出来ないでしょう。どうせ、作りごとなんだから。その不思議な宿の大きい葛籠でも背負って来て下さったら、それを証拠に、私だって本当にしないものでもないが、そんな稲の穂などを持って来て、そのお人形さんの簪だなんて、よくもまあそのような、ばからしい出鱈目が言えたもんだ。男らしくあっさり白状なさいよ。私だって、わけのわからぬ女ではないつもりです。なんのお妾(めかけ)さんの一人や二人。」
「おれは、荷物はいやだ。」
「おや、そうですか。それでは、私が代りにまいりましょうか。どうですか。竹藪の入口で俯伏して居ればいいのでしょう? 私がまいりましょう。それでも、いいのですか。それでもあなたは困りませんか。」
「行くがいい。」
「まあ、図々(ずうずう)しい。嘘にきまっているのに、行くがいいなんて。それでは、本当に私は、やってみますよ。いいのですか。」と言って、お婆さんは意地悪そうに微笑む。
「どうやら、葛籠がほしいようだね。」
「ええ、そうですとも、そうですとも、私はどうせ、慾張りですからね。そのお土産がほしいのですよ。それではこれからちょっと出掛けて、お土産の葛籠の中でも一ばん重い大きいやつを貰(もら)って来ましょう。おほほ。ばからしいが、行って来ましょう。私はあなたのその取り澄(すま)したみたいな顔つきが憎らしくて仕様が無いんです。いまにその贋聖者(にせせいじゃ)のつらの皮をひんむいてごらんにいれます。雪の上に俯伏して居れば雀のお宿に行けるなんて、あははは、馬鹿な事だが、でも、どれ、それではひとつお言葉に従って、ちょっと行ってまいりましょうか。あとで、あれは嘘だなどと言っても、ききませんよ。」
 お婆さんは、乗りかかった舟、お針の道具を片づけて庭へ下り、積雪を踏みわけて竹薮の中へはいる。
 それから、どのようなことになったか、筆者も知らない。
 たそがれ時、重い大きい葛籠を背負い、雪の上に俯伏したまま、お婆さんは冷くなっていた。葛籠が重くて起き上れず、そのまま凍死したものと見える。そうして、葛籠の中には、燦然(さんぜん)たる金貨が一ぱいつまっていたという。
 この金貨のおかげかどうか、お爺さんは、のち間もなく仕官して、やがて一国の宰相の地位にまで昇ったという。世人はこれを、雀大臣と呼んで、この出世も、かれの往年の雀に対する愛情の結実であるという工合いに取沙汰(とりざた)したが、しかし、お爺さんは、そのようなお世辞を聞く度毎(たびごと)に、幽かに苦笑して、「いや、女房のおかげです。あれには、苦労をかけました。」と言ったそうだ。
[以 上]