PDD図書館管理番号 0000.0000.0031.10 蜘 蛛 の 糸 芥川龍之介:作 読みで「'イ」とあるのは「ゐ」。         一  或日の事でございます。御釋迦樣(オシャカサマ)は極樂の蓮池(ハスイケ)のふちを、獨りでぶ らぶら御歩きになっていらつしやいました。池の中に咲いてゐる蓮(ハス)の花は、みん な玉のやうにまつ白で、そのまん中にある金色(キンイロ)の蕊(ズ'イ)からは、何とも云へ ない好(ヨ)い匂(ニホヒ)が、絶間なくあたりへ溢(アフ)れて居りましす。極樂は丁度朝なの でございませう。  やがて御釋迦樣はその池のふちに御佇(オタタズ)みになつて、水の面(オモテ)を蔽つてゐ る蓮の葉の間から、ふと下の容子(ヨウス)を御覧になりました。この極樂の蓮池の下は、 丁度地獄の底に當つて居りますから、水晶のやうな水を透き徹して、三途(サンヅ)の河 や針の山の景色が、丁度覗き眼鏡を見るやうに、はつきりと見えるのでございます。  するとその地獄の底に、健<*>陀多(カンダタ)と云ふ男が一人、外の罪人と一しよに蠢 (ウゴメ)いてゐる姿が、御眼に止りました。この健陀多と云ふ男は、人を殺したり家に 火をつけたり、いろいろ惡事を働いた大泥坊でございますが、それでもたつた一つ、 善い事を致した覺えがございます。と申しますのは、或時この男が深い林の中を通り ますと、小さな蜘蛛(クモ)が一匹、路ばたを這つて行くのが見えました。そこで健陀多 は早速足を擧げて、踏み殺さうと致しましたが、「いや、いや、これも小さいながら、 命のあるものに違ひない。その命を無暗にとると云ふ事は、いくら何でも可哀さう だ。」と、かう急に思ひ返して、とうとうその蜘蛛を殺さずに助けてやつたからでご ざいます。 「牛」+「建」  御釋迦樣は地獄の容子を御覧になりながら、この健陀多には蜘蛛を助けた事がある のを御思ひ出しになりました。さうしてそれだけの善い事をした報(ムクイ)には、出來 るなら、この男を地獄から救ひ出してやらうと御考へになりました。幸(サイハヒ)、側を 見ますと、翡翠(ヒス'イ)のやうな色をした蓮の葉の上に、極樂の蜘蛛が一匹、美しい銀 色の糸をかけて居ります。御釋迦樣はその蜘蛛の糸をそつと御手に御取りになつて、 玉のやうな白蓮(シラハス)の間から、遙か下にある地獄の底へ、まつすぐにそれを御下(オ オロ)しなさいました。         二  こちらは地獄の底の血の池で、外の罪人と一しよに、浮いたり沈んだりしてゐた健 陀多(カンダタ)でございます。何しろどちらを見ても、まつ暗で、たまにそのくら暗か らぼんやり浮き上つてゐるものがあると思ひますと、それは恐しい針の山の針が光る のでございますから、その心細さと云つたらございません。その上あたりは墓の中の やうにしんと靜まり返つて、たまに聞えるものと云つては、唯罪人がつく微(カスカ)な 嘆息ばかりでございます。これはここへ落ちて來る程の人間は、もうさまざまな地獄 の責苦(セメク)に疲れはてて、泣聲を出す力さへなくなつてゐるのでございませう。で すからさすが大泥坊の健陀多も、やはり血の池の血に咽(ムセ)びながら、まるで死にか かつた蛙(カハズ)のやうに、唯もがいてばかり居りました。  所が或時の事でございます。何氣(ナニゲ)なく健陀多が頭を擧げて、血の池の空を眺 めますと、そのひつそりとした暗の中を、遠い遠い天上から、銀色の蜘蛛の糸が、ま るで人目にかかるのを恐れるやうに、一すぢ細く光りながら、するすると自分の上へ 垂れて參るのではございませんか。健陀多はこれを見ると、思はず手を拍つて喜びま した。この糸に縋りついて、どこまでものぼつて行けば、きつと地獄からぬけ出せる のに相違ございません。いや、うまく行くと、極樂へはいる事さへも出來ませう。さ うすれば、もう針の山へ追ひ上げられる事もなくなれば、血の池に沈められる事もあ る筈はございません。  かう思ひましたから健陀多は、早速その蜘蛛の糸を兩手でしつかりとつかみながら、 一生懸命に上へ上へとたぐりのぼり始めました。元より大泥坊の事でございますから、 かう云ふ事には昔から、慣れ切つてゐるのでございます。  しかし地獄と極樂との間(アイダ)は、何萬里となくございますから、いくら焦(アセ)つ て見た所で、容易に上へは出られません。稍しばらくのぼる中に、とうとう健陀多も くたびれて、もう一たぐりも上の方へはのぼれなくなつてしまひました。そこで仕方 がございませんから、先(マヅ)一休み休むつもりで、糸の中途にぶら下りながら、遙 かに目の下を見下しました。  すると、一生懸命にのぼつた甲斐があつて、さつきまで自分がゐた血の池は、今で はもう暗の底に何時の間にかかくれて居ります。それからあのぼんやり光つてゐる恐 しい針の山も、足の下になつてしまひました。この分でのぼつて行けば、地獄からぬ け出すのも、存外わけがないかも知れません。健陀多は兩手を蜘蛛の糸にからみなが ら、ここへ來てから何年にも出した事のない聲で、「しめた。しめた。」と笑ひまし た。所がふと氣がつきますと、蜘蛛の糸の下の方には、數限(カズスギリ)もない罪人た ちが、自分ののぼつた後をつけて、まるで蟻の行列のやうに、やはり上へ上へ一心に よぢのぼつて來るではございませんか。健陀多はこれを見ると、驚いたのと恐しいの とで、暫くは唯、莫迦(バカ)のやうに大きな口を開(ア)いた儘、眼ばかり動かして居り ました。自分一人でさへ斷(キ)れさうな、この蜘蛛の糸が、どうしてあれだけの人數 (ニンズ)の重みに堪へる事が出來ませう。もし萬一途中で斷(キ)れたと致しましたら、 折角ここへまでのぼつて來たこの肝腎な自分までも、元の地獄へ逆落(サカオト)しに落ち てしまはなければなりません。そんな事があつたら、大變でございます。が、さう云 ふ中にも、罪人たちは何百となく何千となく、まつ暗な血の池の底から、うようよと 這ひ上つて、細く光つてゐる蜘蛛の糸を、一列になりながら、せつせとのほつて參り ます。今の中にどうかしなければ、糸はまん中から二つに斷れて、落ちてしまふのに 違ひありません。  そこで健陀多(カンダタ)は大きな聲を出して、「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己 (オレ)のものだぞ。お前たちは一體誰に尋(キ)いて、のぼつて來た。下りろ。下りろ。」 と喚(ワメ)きました。  その途端でございます。今まで何ともなかつた蜘蛛の糸が、急に健陀多のぶら下つ てゐる所から、ぷつりと音を立てて斷(キ)れました。ですから、健陀多もたまりませ ん。あつと云ふ間(マ)もなく風を切つて、獨樂(コマ)のやうにくるくるまはりながら、 見る見る中に暗の底へ、まつさかさまに落ちてしまひました。  後には唯極樂の蜘蛛の糸が、きらきらと細く光りながら、月も星もない空の中途に、 短く垂れてゐるばかりでございます。         三  御釋迦樣は極樂の蓮池のふちに立つて、この一部始終をぢつと見ていらしやいまし たが、やがて健陀多(カンダタ)が血の池の底へ石のやうに沈んでしまひますと、悲しさ うな御顏をなさりながら、又ぶらぶら御歩きになり始めました。自分ばかり地獄から ぬけ出さうとする、健陀多の無慈悲な心が、さうしてその心相當な罰をうけて、元の 地獄へ落ちてしまつたのが、御釋迦樣の御目から見ると、淺間しく思召されたのでご ざいませう。  しかし極樂の蓮池の蓮は、少しもそんな事には頓着致しません。その玉のやうな白 い花は、御釋迦樣の御足(オミアシ)のまはりに、ゆらゆら萼(ウテナ)を動かして、そのまん 中にある金色の蕊(ズ'イ)からは、何とも云へない好い匂が、絶間なくあたりへ溢れて 居ります。極樂ももう午に近くなつたのでございませう。 (大正六年十一月)