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                    PDD図書館管理番号       0001.0000.6861.02

                 人   名   辞   典    《れ》       編集:獨  澄旻

-------- れ ----------------------------------------------------
れいぜい ためすけ
	冷泉 為相
	1263(弘長 3)
	1328(嘉暦 3. 7.17)
	◇鎌倉後期の歌人。父は御子左家(ミコヒダリケ)藤原為家(タメイエ)、
	母は阿仏尼(アブツニ)。為秀の父。藤原定家の孫。冷泉家の祖。
	 相伝の家領播磨国細川荘を異母兄為氏(タメウジ)(二条)らと争
	い、御子左家は三家に分裂。鎌倉に下り、幕府に訴えて勝訴す
	る。
	 はじめ京極家の祖となった異母兄為教の勢力下にあったが、
	やがて独立し鎌倉を中心に活動。
	(2)生年は1260(文応 1)。
	(6)「冷泉家」の項:生年は1263。
れいぜい ためちか
	冷泉 為恭
	⇒おかだ ためちか(岡田 為恭)
れいぜい ためむら
	冷泉 為村
	1712(正徳 2)
	1774(安永 3)
	◇江戸中期の公卿・歌人。為久の子。冷泉家の中興の祖。
	 霊元法皇から古今伝授を受ける。
れざのふ
	レザノフ
	1764
	1807(文化 4)
	◇ロシアの実業家・江戸後期に来日した使節。名は Nikolay 
	Petrovich Rezanov。
	 1804(文化元. 9.)日本人の漂流民を送って長崎に来航し、通
	商を要求したが、翌年幕府に拒絶されカムチャツカに退去。
	 1806(文化 3)と1807(文化 4)、部下に樺太(カラフト)・択捉(エトロ
	フ)を襲撃させる。
	(*)1764(宝暦14,明和元)。
れんげつに
	蓮月尼
	⇒おおたがき れんげつ(太田垣 蓮月)
れんにょ
	蓮如
	1415(応永22. 2.25)
	1499(明応 8. 3.25)
	◇室町中期の浄土真宗の僧。真宗中興の祖。童名は布袋丸、諱
	(イミナ)は兼寿、諡号(シゴウ)は慧燈大師(明治15年)。京都東山大
	谷の生れ。本願寺第七代存如(ゾンニョ)の長男、母は祖父巧如の
	下女、実如の父。
	 17歳で広橋兼郷の猶子となり、天台宗青蓮院(ショウレンイン)で得
	度し尊応に学ぶ。父の伴をして親鸞の遺跡を迎拝する。1457
	(康正 3. 6.18)父が死去し本願寺第八代となる。
	 1465(寛正 6. 1. 9)比叡山延暦寺の衆徒の襲撃に遭い(寛正
	の法難)、京都東山大谷の御影堂を追われ近江に逃れる。
	 1471(文明 3. 7.)越前(福井県)吉崎に赴き、御坊を建てる。
	1474(文明 6)吉崎坊舎が焼失、1475(文明 7)吉崎を退去し、河
	内出口に至る。
	 1480(文明12)京都山科に本願寺御影堂を上棟、1481(文明13)
	山科本願寺阿弥陀堂を上棟。
	 1483(文明15. 8.)天台宗から独立。1489年、世代を第8子5
	男の実如に譲る。
	 1496(明応 5)大坂に石山本願寺を建立し翌年11月完成。
	 山科本願寺で死去。
	 『正信偈(ショウシンゲ)』・『三帖和讃』・『御文(オフミ)』などを
	刊行、平易な文章と耳に入りやすい言葉で宗義を説いた。『領
	解文(リョウゲモン)』などを著す。
	◆蓮如忌[ 3.25]。
	(*)1489(長享 3,延徳元)。
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