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人 名 辞 典 《おか》 編集:獨 澄旻
-------- おか --------------------------------------------------
おか あさじろう
丘 浅次郎
1868.12.31(明治元.11.19) ????
1944. 5. 2(昭和19)
◇動物学者。静岡県生れ。
1886(明治19)東京大学理科動物学選科に入学、3年間学び、
ドイツに留学。フライブルク大学でワイズマン、ライプチヒ大
学でロイカルトに師事、1894(明治27)帰国。
1895(明治28)山口高等学校(現:山口大学)教授。1897(明治30)
東京師範学校教授。1925(大正14)帝国学士院会員。1929(昭和
4)東京文理科大学(現:筑波大学)の講師を兼任。
1936(昭和11)退官。
(21)誕生日は1868.12.31(明治元.11.18)。
おか えいいちろう
岡 栄一郎
1890.12. 2(明治23)
1966.12.18(昭和41)
◇劇作家。
おか おにたろう《をか おにたらう》
岡 鬼太郎
1872. 9. 3(明治 5. 8. 1)
1943.10.29(昭和18)
◇明治・大正期の小説家・劇作家・演劇評論家。本名は嘉太郎
(ヨシタロウ)、号は鬼吟(オニギン)。旧佐賀藩士岡嘉知の子、洋画家岡
鹿之助の父。東京生れ。
東京府立中学校中退。1892(明治25)慶応義塾大学卒業。
「時事新報」・「報知新聞」・「二六新報」などの新聞記者
を勤め劇評を担当。1908(明治41)記者を辞め、明治座で2世市
川左団次らの演劇改良を援助。1912年、左団次一座が松竹に入
るのに伴い松竹に入社し文芸顧問となる。
(*)1912(明治45,大正元)。
おか きよし
岡 潔
1901. 4.19(明治34)
1978. 3. 1(昭和53)
◇数学者・随筆家。大阪市生れ、郷里は和歌山県。
1925(大正14)京都大学数学科卒業。京都大学講師を経て、フ
ランス留学。1932(昭和 7)広島文理科大学(現:広島大学)助教
授、1937(昭和12)辞任し、故郷紀見村(現:橋本市)で研究生活
に入る。
1949(昭和24)奈良女子大学教授。1951(昭和26)学士院賞受賞。
1953(昭和28)朝日文化賞受賞。1960(昭和35)文化勲章受章。
(8)誕生日は 4.19。
(21)誕生日は 4.19。
(?)誕生日は 3.19。
おか くさたろう
????
生年不詳
没年不詳
◇劇作家・翻訳家。1916(大正 5)ごろまで「新潮」「早稲田文学」
などに執筆している。
おか くにお
岡 邦雄
1890. 1.15(明治23)
1971. 5.22(昭和56)
◇思想家。
おか くまおみ
岡 熊臣
1783(天明 3. 3. 9)
1851(嘉永 4. 8. 6)
◇江戸後期の国学者・神職。石見国鹿足(カノアシ)郡木部村生れ。
父は富長山(トミタケヤマ)八幡宮神職岡忠英。
1816(文化13)家塾桜蔭館を開設。
おか しかのすけ
岡 鹿之助
1898. 7. 2(明治31)
1978. 4.28(昭和53)
◇大正・昭和期の洋画家。東京生れ。岡鬼太郎の長男。
1924(大正13)東京美術学校(現:東京芸術大学)卒業、同年フ
ランスに渡る。1940(昭和15)春陽会会員。1969(昭和44)芸術院
会員。1972(昭和47)文化勲章受章。
おか じょうき
岡 丈紀
生年不詳
1889. 3.(明治22)頃
◇戯作者。本名は河原英吉、別号は河丈紀・琴亭文彦・
風来山人(三世)。
おか せんじん
岡 千仭
1833(天保 4.11. 2)
1914. 2.18(大正 3)
◇漢詩人・漢学者。号は鹿門、通称は啓輔、維新後に千仭と改
める。
おか たかずみ
岡 敬純
1890. 2.11(明治23)
1973.12. 4(昭和48)
◇海軍軍人。山口県生れ。
1911(明治44)海軍兵学校卒業。海軍大学校卒業。
1934(昭和 9)海軍省臨時調査課長。軍務局軍務1課長、軍令
部第3部長を経て1940.10.(昭和15)海軍省軍務局長。1945. 6.
(昭和20)中将で予備役。
戦後、A級戦犯として東京裁判で終身禁錮の判決を受け、
1954(昭和29)仮釈放。
おか ちよひこ
岡 千代彦
1873(明治 6)
1956.10.31(昭和31)
◇労働演芸家。別号は岡拍子木亭。
おか とうり
岡 橙里
1879. 5.19(明治12)
1916.11.14(大正 5)
◇歌人。本名は忠太郎、別号は稲里。
おか はるお
岡 春夫
1917(大正 6)
1970(昭和45)
◇流行歌手。
おか ふもと
岡 麓
1877. 3. 3(明治10)
1951. 9. 7(昭和26)
◇歌人・書家。本名は三郎、別号は三谷(サンコク)(書)・傘谷(サンコ
ク)(俳句)。東京本郷金助町一番地に幕府御殿医岡良節の三男と
して生れる。東京府立第一中学校退学、大八州(オオヤシマ)学校に
入学。
おか らくよう
岡 落葉
1879. 7.19(明治12)
1962. 2. 1(昭和37)
◇画家。本名は悳介。蘭医シーボルトの高弟・長崎鳴滝塾頭・岡
研介の子孫。
おかい しんご
岡井慎吾
1872(明治 5)
1945(昭和20)
◇国語学者。福井県鯖江市出身1872-1945生れ。福井師範卒業。
おかくら かくぞう《をかくら かくざう》
岡倉 覚三
⇒おかくら てんしん(岡倉 天心)
おかくら しろう
岡倉 士朗
1909. 9.24(明治42)
1959. 2.22(昭和34)
◇昭和期の演出家。英語学者岡倉由三郎の3男。東京生れ。立
教大学英文科卒業。
新築地劇団に入る。太平洋戦争後は山本安英の「ぶどうの会」
設立に参加。劇団民芸も演出。
(2)生年は1907(明治40)。
(6)生年は1909。
おかくら てんしん《をかくら てんしん》
岡倉 天心
1862(文久 2.12.26)
1913. 9. 2(大正 2)
◇明治時代の美術評論家・美術史家・詩人・教育家。本名は
覚蔵(角蔵)のち覚三。横浜本町生れ。父勘右衛門は越前国福井
の藩主松平慶永(ヨシナガ)(春嶽)の納戸役で、主命で横浜に来て
石川屋の屋号で生糸の輸出業をしていた。岡倉由三郎(ヨシサブロウ)
の兄。
1872(明治 5)一家で東京へ移る。1877(明治10)東京大学文学
部に入学。翌年、フェノロサ着任。フェノロサとともに日本美
術の復興に尽力。1880(明治13)東京大学卒業、文部省音楽取調
掛になる。1884(明治17)法隆寺夢殿の秘宝救世(グゼ)観音を初
めて開扉(カイヒ)。1886(明治19)美術取調委員としてフェノロサ
とともに欧米に渡る。
1889(明治22)東京美術学校の創立に尽力し、1890(明治23)東
京美術学校校長に就任。非妥協的言行で美術学校内部に排斥騒
動が起こり、1898(明治31)非職処分。同年対抗して橋本雅邦(ガ
ホウ)・横山大観・菱田春草らと日本美術院を創立。1904(明治37)
以降ボストン美術館東洋部長を兼任。
邸宅を茨城の五浦(イヅラ)に構え、1906(明治39)低迷していた
日本美術院の本拠も五浦に移し再興を計った。
新潟県赤倉山荘で病没。
代表作は『東洋の理想(The Ideals of the East』・『茶の
本(The Book of Tea)』。
(2)生年は1862(文久 2)。
(4)生年は1862。
(5)生年は1862(文久 2)。
(6)生年は1862/63。
(11)生年は1862(文久 2)。
(13)生年は1862(文久 2)。
(16)生年は1862(文久 2.12.26)。
◎『東洋の理想』の冒頭の言葉「亜細亜は一なり」。
おかくら よしさぶろう《をかくら よしさぶらう》
岡倉 由三郎
1868(明治元. 2.22)
1936.10.31(昭和11)
◇明治〜昭和期の英文学者・語学者。横浜生れ。東京大学卒業。
岡倉天心の弟。岡倉士朗(シロウ)の父、長女のぶ子は藤森成吉
(セイキチ)の妻。
1891(明治24)朝鮮政府に招かれ日本語学校を設立。1896〜
1925(明治29〜大正14)東京高等師範学校の英語科主任・立教大
学教授。
おかざき せいいちろう
岡崎 清一郎
1900. 9.19(明治33)
1986. 1.28(昭和61)
◇詩人。栃木県足利市生れ。佐野中学校中退。太平洋画会研究
所に学ぶ。
おかざき としお
岡崎 俊夫
1909. 2. 1(明治42)
1959. 5.26(昭和34)
◇中国文学者。
おかざき のぶやす《をかざき のぶやす》
岡崎 信康
⇒とくがわ のぶやす(徳川 信康)
おかざき よしえ
岡崎 義恵
1892.12.27(明治25)
1982. 8. 6(昭和57)
◇国文学者・文芸学者。高知市生れ。東京大学国文科卒業。
おかざきや かんろく
岡崎屋 勘六
1746(延享 3)
1805(文化 2)
◇江戸末期の書家・勘亭流の祖。号は勘亭。江戸中村座の手代。
おかざわ ひでとら
岡沢 秀虎
1902. 5.13(明治35)
1973. 3. 8(昭和48)
◇ロシア文学者。
おがさわら さだ
小笠原 貞
生年不詳
没年不詳
◇小説家。「さだ」とも書く。明治に「青鞜」の会員となる。
おがさわら さだより《をがさはら さだより》
小笠原 貞頼
生年不詳
没年不詳
◇安土桃山時代の武将。小笠原長時の曾孫。
豊臣秀吉の仕え、小田原征伐や朝鮮の役に活躍。
南海を航行中、1593(文禄 2)小笠原諸島を発見。
おがさわら たかお
小笠原 貴雄
1917.10. 8(大正 6)
1974. 2. 1(昭和49)
◇小説家。本名は好彦。
おがさわら ながきよ《をがさはら ながきよ》
小笠原 長清
1162(応保 2)
1242(仁治 3)
◇鎌倉初期の武将・小笠原流の祖。通称は加々美二郎。源義家
の弟義光の子孫。甲斐国小笠原の人。
源頼朝の挙兵で駿河の黄瀬川に会し、平氏討伐で藤原泰衡を
征討。
承久の変などに戦功をたて、阿波の守護となる。
騎射にすぐれ、小笠原流弓術・馬術の祖といわれる。
おがさわら ながとき《をがさはら ながとき》
小笠原 長時
1514(永正11)ころ
1583(天正11. 2.25)
◇室町後期(戦国時代)の武将。幼名は豊松丸・又二郎。長棟の
子。
信濃国筑摩郡府中(松本)城主となる。
武田信虎・信玄と戦って塩尻峠で敗れ、のち越後の上杉謙信
を頼る。
三好長慶(ミヨシ・ナガヨシ)を頼って上洛し、将軍足利義輝に仕え
る。
のち、会津で家臣に殺される。
おがさわら ながひで《をがさはら ながひで》
小笠原 長秀
生年不詳
1425(応永32)
◇室町前期の武将。通称は兵庫助。
故実に通じ、騎射の術にすぐれ、将軍足利義満の指南となる。
武家の礼法を定めたと伝えられる。
◎一説に小笠原貞宗(サダムネ)著『三議一統』も長秀の撰とされる。
おがさわら はくや
小笠原 白也
生年不詳
没年不詳
◇小説家・新聞記者。本名は語咲(ゴサク)。
おがさわら ふみお
小笠原 文夫
1903. 7.10(明治36)
1962. 2.28(昭和37)
◇歌人。本名は文雄。
おかじま つねき
岡島 常樹
1666(寛文 6)
1703(元禄16. 2. 4)
◇江戸中期の赤穂浪士。赤穂藩士、札座勘定奉行、禄高二十石
五人扶持。通称は八十右衛門(ヤソエモン)、戒名は刃袖払剣信士、
吉良家を探索中の変名は郡部八郎(グンブ・ハチロウ)。原惣右衛門(ハ
ラ・ソウエモン)の実弟、岡島善右衛門(ゼンウエモン)の養子。
吉良家討ち入りでは表門隊。毛利(モウリ)甲斐守の麻布(アザブ)
屋敷に預けられ、翌年、榊庄右衛門(サカキ・ショウエモン)の介錯(カイシャク)
で切腹。
おかじま やそえもん
岡島 八十右衛門
⇒おかじま つねき(岡島 常樹)
おがた かめのすけ
尾形 亀之助(尾形 龜之助)
1900.12.12(明治33)
1942.12. 2(昭和17)
◇詩人。宮城県柴田郡大河原町生れ。鎌倉の小学校を終え、仙
台の東北学院に学ぶ。
(1)没日は12. 2。
(3)没日は12.12。
(5)没日は12. 2。
(8)没日は12. 2。
(11)没日は12. 2。
(13)昭和一七年十二月没す。
おかだ かんせん《をかだ かんせん》
岡田 寒泉
1740(元文 5.11. 4)
1816(文化13. 8. 9)
◇江戸後期の儒学者。名は恕(ハカル)、字は子強、通称は清助、
別号は泰斎。江戸生れ。幕府旗本の西丸書院番200石岡田善富
の次男。
兵学を村士淡斎に学び、闇斎学を淡斎の子村士玉水に学ぶ。
老中松平定信の幕政改革に当って柴野栗山(リツザン)につづい
て、1789年小普請から幕府儒官に登用され、さらに登用された
尾藤二洲(ニシュウ)とともに寛政の三博士と称される。大学頭林信
敬(述斎)を助け、「寛政異学の禁」を行なわせる。
定信隠退ののち常陸(ヒタチ)国の代官となる。職務のあい間に
昌平黌(ショウヘイコウ)の教官を勤める。1812(文化 9)代官職を辞し、
寄合となる。
(2)(柴野)栗山・寒泉に加えて,さらに登用された尾藤二洲(良
佐)を〈寛政三博士〉また〈三助〉という。定信退隠ののた'94
常陸の代官職に転じ(この後古賀精里が登用されて三博士のメ
ンバーが変化)……。
(4)「岡田 寒泉」の項に「寛政三博士の一人」とあるが、別項で
は「寛政の三博士」を古賀精里(セイリ)(弥助)・尾藤二洲(ニシュウ)
(良佐)・柴野栗山(リツザン)(彦輔)としている。
(*)1789(天明 9,寛政元)。
おかだ けいすけ《をかだ けいすけ》
岡田 啓介
1868. 2.14(慶応 4. 1.21)
1952.10.17(昭和27)
◇海軍大将・政治家。福井県生れ。迫水久常(サコミズ・ヒサツネ)は娘
婿。
1889(明治22)海軍兵学校卒業、水雷術を専攻。日清戦争に少
尉として参加。1901(明治34)海軍大学校卒業。春日艦の副長と
して日露戦争の日本海海戦に参加。海軍大学校教官・水雷学校
長・春日艦長などを歴任。
1913(大正 2)海軍省人事局長、1920(大正 9)海軍艦政本部長、
1923(大正12)海軍次官。1924(大正13)海軍大将に昇進、12月連
合艦隊司令長官。1926年、横須賀鎮守府司令長官。
1927(昭和 2)田中義一の海軍大臣として入閣、1929(昭和 4)
辞任し海軍参議官。1932(昭和 7)斎藤実内閣の海軍大臣、1933.
1.(昭和 8)辞任。
斎藤内閣の後を受けて1934(昭和 9)首相になる。軍部の進出
を抑えられず、1936(昭和11)二・二六事件で襲撃されたが難を
免れ、事件後辞任。
1944(昭和19)東条秀機内閣打倒の中心となり戦争終結に努力
する。
組閣:1934. 7. 8(昭和 9)、総辞職:1936. 2.29(昭和11)。
(16)誕生日は1868(明治1.1/20)。
(21)誕生日は1868. 2.14(慶応 4. 1.21)。
(*)1926(大正15,昭和元)。
おがた げっこう
尾形 月耕
1859(安政 6. 9.15)
1920.10. 1(大正 9)
◇画家。通称は田井正之助。
おがた けんざん《をがた けんざん》
尾形 乾山
1663(寛文 3)
1743(寛保 3. 6. 2)
◇江戸中期の陶工・画家。名は惟充・深省、通称は新三郎・
権平、号は霊海・扶陸・逃禅・紫翠・乾山・尚古斎・陶隠・
京兆逸民・華洛散人・習静堂。京都の人。京都の呉服商雁金屋
(カリガネヤ)尾形宗謙の3男、尾形光琳(コウリン)の弟。
野々村仁清(ニンセイ)に陶法を学ぶ。書を父宗謙に、画を兄光琳
に学ぶ。
1689(元禄 2)御室仁和寺前に習静堂を建てて住む。1699(元
禄12)京都鳴滝村に開窯。
晩年(享保年間)は上野輪王寺宮公寛法親王に従い江戸に来て、
上野に近い入谷村に窯を築く。
(2)(名)惟允,……。
(6)名は惟充,……。
(16)名は惟充,…….
おかだ けんぞう
岡田 謙三
1902. 9.28(明治35)
1982. 7.25(昭和57)
◇油彩画家。横浜市生れ。
おがた こうあん《をがた こうあん》
緒方 洪庵
1810(文化 7. 7.14)
1863(文久 3. 6.10)
◇江戸末期の医学者・蘭学者。名は章、字は公裁、初め田上
(「馬」偏+「辛」:補助7323)之介のち緒方三平と称し1836(天保 7)
洪庵と改める。備中足守藩士佐伯瀬左衛門惟因の末子。
父に従い大坂の藩邸に赴き、中天遊に蘭方医を学び、1830年
江戸に出て坪井信道・宇田川玄真に蘭学を学び、1836(天保 7)
長崎に赴き蘭医ニーマンに学ぶ。
1838(天保 9)大坂瓦町で適々塾(適塾,緒方塾)を開く。1862
(文久 2)幕府に召され江戸に出て法眼・奥医師兼西洋医学所頭
取となる。
門下に大村益次郎(村田蔵六)・佐野常民・橋本左内・大鳥圭
介・福沢諭吉らがある。
(*)1830(文政13,天保元)。
おがた こうりん《をがた くわうりん》
尾形 光琳
1658
1716(正徳 6. 4. 6)
◇江戸中期の画家。名は惟富・伊亮・方祝、幼名は市之丞、別
号は澗声・寂明・長江軒・青々、道号は日受。京都の人。京都
の呉服商雁金屋(カリガネヤ)尾形宗謙の次男、尾形乾山(ケンザン)の
兄。
はじめ狩野派の山本素軒や住吉具慶に絵を学び、のち本阿弥
光悦・俵屋宗達に私淑。30歳の時に多額の遺産を受け継ぐが、
享楽的な生活と事業の失敗により破産。
40歳ころから画家生活に入る。1701(元禄14)法橋に叙せられ
る。津軽家・姫路藩主酒井家・江戸深川の豪商冬木家らの庇護
を受ける。
(*)1658(明暦 4,万治元)。
◎曾祖父道柏の妻は本阿弥光悦の姉。
おかだ さぶろう《をかだ さぶらう》
岡田 三郎
1890. 2. 4(明治23)
1954. 4.12(昭和29)
◇昭和期の小説家・文芸評論家。北海道松前市の漁師の家に生
れる。
洋画家をめざし一旦太平洋画会研究所にはいるが、兵役など
を経て、1914(大正 3)早稲田大学英文科に入学。
1919(大正 8)博文館に入社。
おかだ さぶろうすけ《をかだ さぶらうすけ》
岡田 三郎助
1869(明治 2. 1.12)
1939. 9.23(昭和14)
◇明治〜昭和期の洋画家。佐賀市生れ。本姓は石尾、幼名は
芳三郎。岡田八千代の夫。
1887(明治20)岡田正蔵の養嗣子となる。
曽山幸彦の大幸館画塾に入門し、曽山の没後は堀江正章に洋
画を学ぶ。1893(明治26)フランスから黒田清輝・久米桂一郎ら
が帰国し、1894(明治27)その経営する「天真道場」に入学し外光
派の技法を学ぶ。1896(明治29)白馬会創立に参加、同年東京美
術学校に西洋画科が新設するに当り助教授となる。1897(明治
30)文部省留学生としてフランスに渡り、ラファエル・コラン
に師事。1902(明治35)帰国して東京美術学校教授。
1912年、藤島武二と本郷絵画研究所を設立。1919(大正 8)帝
国美術院会員。1934(昭和 9)帝室技芸員。1937(昭和12)第一回
文化勲章を受章。
(*)1912(明治45,大正元)。
おかだ さへいじ《をかだ さへいぢ》
岡田 佐平治
1812(文化 9)
1876(明治 9)
◇江戸幕末、遠江国掛川藩(カケガワハン)倉真(クラミ)の大庄屋・掛川
藩士。岡田良一郎(リヨウイチロウ)の父、岡田良平・一木喜徳郎(イチキ・
キトクロウ)の祖父。
1848(嘉永元)安居院庄七の指導を受け、掛川に乙星(オトボシ)
耕地報徳社を創設。
遠江の約200の報徳社をまとめて、1875(明治 8)浜松に遠江
国報徳社を設立。
おかだ さんめんし
岡田 三面子
1868(明治元. 5.29)
1936.11.13(昭和11)
◇俳人・川柳研究家・刑法学者。本名は朝太郎、別号は虚心・
凡夫子・田上四山。
おがた しゅうへい
尾形 周平
1788(天明 8)
1830
◇江戸後期の陶工。名は熊蔵のち周平光吉。仁阿弥道八(ニンアミ・
ドウハチ)の弟または3男。
(2)1788(異)1800〜1830(異)29(天明 8〜天保 1)。生没年は異
説が多く一定しない。
(*)1830(文政13,天保元)。
おかだ しんきち
岡田 真吉
1903.10. 1(明治36)
1964.11.17(昭和39)
◇映画評論家・翻訳家。
おがた たかし
緒方 隆士
1905(明治38)
1938. 4.28(昭和13)
◇小説家。結核で死去。
おがた たけとら《をがた たけとら》
緒方 竹虎
1888(明治21)
1956(昭和31)
◇昭和期の新聞記者・政治家。
早稲田大学卒業後、東京朝日新聞社に入社。1925(大正14)編
集局長、1928(昭和 3)取締役、1934(昭和 9)「東京朝日新聞」主
筆、1936(昭和11)専務取締役を経て、1943(昭和18)副社長で退
社。
1944(昭和19)政界に転身し小磯国昭内閣国務大臣兼情報局総
裁に就任し戦時下の言論統制にあたり、1945. 4.(昭和20)辞職
し鈴木貫太郎内閣の顧問。
太平洋戦争敗戦直後、東久邇稔彦内閣の国務大臣兼内閣書記
官長として敗戦処理に奔走。戦時中の言論統制の責任から公職
追放となり、1951(昭和26)解除。
1952(昭和27)福岡から衆議院議員に当選、第4次吉田茂内閣
官房長官、1953(昭和28)第5次吉田内閣の副総理格国務大臣を
歴任。1954(昭和29)吉田引退のあと自由党総裁に就任。
1955.11.(昭和30)鳩山一郎の民主党と保守合同後、鳩山の次
の自由民主党総裁と目されていたが急逝。
(2)(生)山形県。
(4)福岡県人。
おかだ たけひこ《をかだ たけひこ》
岡田 武彦
1908(明治41)
2004.10.17(平成16)
◇中国哲学者(陽明学)。兵庫県姫路市生れ。
1934(昭和 9)九州帝国大学文学部を卒業。
1958(昭和33)九州大学教授。
1960(昭和35)文学博士。
著書は『王陽明と明末の儒学』など。
おかだ たけまつ
岡田 武松
1874. 8.17(明治 7)
1956. 9. 2(昭和31)
◇明治〜昭和期の気象学者。千葉県布佐出身。
1899(明治32)東京大学理科物理学科卒業後、中央気象台予報
課に勤務。1904(明治37)予報課長、海洋気象台の創設とともに
台長となり、1905(明治38)日本海海戦当時の予報を担当。
1910(明治43)『梅雨論』を著し理学博士。1920(大正 9)神戸
に海洋気象台を創設し初代台長。1923〜1942(大正12〜昭和16)
第4代中央気象台長。
1924(大正13)イギリス王立気象学会よりサイモンズ賞(金杯)
を受賞、1925(大正14)同学会の名誉会員。1931(昭和 6)帝国学
士院会員。1950(昭和25)文化勲章を受章。
◎当時の文部省(竹平町、現在のパレスサイドビルなどの一帯)
にあった関東大震災で被災したイチョウが区画整理で切り倒さ
れそうになった時、岡田が帝都復興局長官清野(セイノ)長太郎に
存続を申し入れ、大手濠緑地(清麻呂公園)に移植され「震災い
ちょう」として現存。
おかだ たつお
岡田 龍夫
1904(明治37)
没年不詳
◇版画家。
おかだ ためちか
岡田 為恭
1823(文政 6)
1864
◇江戸末期の画家。名は晋三・式部、冷泉三郎と自称し冷泉為
恭(レイゼイ・タメチカ)とも。京都の人。狩野永泰の子、狩野永岳の甥。
倉人所衆岡田栄柄の養子となり、近江守従五位下。
政治運動に関係し勤王派の志士に丹波市郊外で首を斬られる。
(*)1864(文久 4,元治元)。
◎和宮降嫁の際の調度品をデザインした。
おかだ ていざぶろう
岡田 貞三郎
1896. 2.29(明治29)
1972. 5. 3(昭和47)
◇編集者。
おかだ ときひこ
岡田 時彦
1903(明治36)
1934(昭和 9)
◇大正・昭和初期の映画俳優。本名は高橋英一。東京生れ。女
優岡田茉莉子の父。
1920(大正 9)谷崎潤一郎の推薦で大正活映の俳優養成所に入
り、同年デビュー。1925(大正14)日活に移り、1929(昭和 4)松
竹に転じる。
おがた とみお
緒方 富雄
1901.11. 3(明治34)
1989. 3.31(平成元)
◇血清学者・医史学者。大阪府生れ。緒方洪庵の曾孫、緒方知
三郎(トモサブロウ)の甥。
1926(大正15)東京大学医学部卒業。1936(昭和11)東京大学助
教授、1949(昭和24)教授、1962(昭和37)退官。
おかだ とみじ
岡田 刀水士
1902.11. 6(明治35)
1970. 9.30(昭和45)
◇詩人。
おがた ともさぶろう
緒方 知三郎
1883. 1.31(明治16)
1973. 8.25(昭和48)
◇大正・昭和期の病理学者。東京都生れ。緒方洪庵の次男惟準
の4男、緒方富雄は甥。
1908(明治41)東京大学医科卒業。ドイツ留学後、1913(大正
2)東京大学助教授、1923(大正12)教授、1943(昭和18)退官。
東京医科専門学校(のち東京医科大学)教授、東京医科大学学長、
1954(昭和29)日本医科大学教授、老人病研究所長。
1957(昭和32)文化勲章を受章。
老人病の研究で知られる。
(2)1928(昭和 3)東大助教授となり'37教授。
(21)13(大2)年東大助教授となり,23〜43(昭18)教授。
おかだ とらじろう
岡田 虎二郎
1872(明治 5. 6.13)
1920.10.17(大正 9)
◇思想家。
おかだ はんこう《をかだ はんかう》
岡田 半江
1782(天明 2)
1846(弘化 3)
◇江戸後期の南画家。名は粛、字は子羽、通称は宇右衛門、号
は独松楼・寒山外史・墨江老樵。大坂生れ。岡田米山人(ベイサン
ジン)の子。
父のあとをついで伊勢国津藩藤堂家に仕え、43歳のとき辞し
て大坂へ帰る。
おかだ ふみこ《をかだ ふみこ》
岡田 史子
1949. 7.23(昭和24)
2005. 4. 3(平成17)
◇漫画家。本名は高田富美子(タカダ・フミコ)。北海道静内町生れ。
おかだ べいさんじん《をかだ べいさんじん》
岡田 米山人
1744
1820(文政 3)
◇江戸後期の文人画家。名は国、字は士彦、通称は彦兵衛、別
号は米翁。大坂の人。岡田半江(ハンコウ)の父。
伊勢国津藩藤堂家に仕える。浦上玉堂と親交があった。
◎代々の米屋に生れたので米山人と号したといわれる。
(2)没年は1820(文政 3)。
(4)没年は1818。
(6)没年は1820。
(16)没年は1820(文政 3)。
(*)1744(寛保 4,延享元)、1818(文化15,文政元)。
おかだ まさし
岡田 正美
1871(明治 4. 3.28)
1923.10.27(大正12)
◇国語学者。号は雲亭。
おかだ みちよ
岡田 美知代
1885. 4.10(明治18)
1968. 1.19(昭和43)
◇小説家・婦人記者。
おかだ もきち
岡田 茂吉
1882(明治15)
1955(昭和30)
◇昭和期の宗教家・世界救世教の教祖。東京浅草の露天商の子。
大本教の信者となり、1926(大正15)神がかりとなる。1930
(昭和 5)支部長。1934(昭和 9)「指圧治療」を始め、弾圧直前の
大本教を脱会し、大日本観音会を創立。1936(昭和11)・1940
(昭和15)2度の特高警察の検挙にあい廃業。
太平洋戦争後の1947(昭和22)日本観音教団として再発足、
1950(昭和25)世界救世教と改称。
おかだ やちよ
岡田 八千代
1883.12. 3(明治16)
1962. 2.10(昭和37)
◇小説家・劇作家・演劇評論家。号は芹影・芹影女・伊達虫子、
旧姓は小山内(オサナイ)。広島県生れ。青踏社の顧問、児童劇団芽
生座の創立者。肺炎により死去。
小山内薫(カオル)の実妹、岡田三郎助(サブロスケ)の妻。
おかだ ゆたか
岡田 温
1870(明治 3)
1949(昭和24)
◇農民指導者。愛媛県生れ。別子銅山鉱毒問題で住友財閥と戦
う。
おがた りゅうすい
緒方 流水
1883. 9.14(明治 6)
没年不詳
◇評論家。名は維岳、別号は風雨楼主人。
おかだ りょういちろう《をかだ りやういちらう》
岡田 良一郎
1839(天保10)
1915(大正 4)
◇明治時代の農政家。遠江国(静岡県)掛川藩士岡田佐平治の子、
岡田良平・一木喜徳郎(イチキ・キトクロウ)の父。
16歳で二宮尊徳の塾に入り四大門人の一人となり、父佐平治
とともに報徳信者となる。
遠江の約200の報徳社をまとめて1876(明治 9)遠江報徳本社
を設立。1878(明治11)掛川農学社を創立。1892(明治25)掛川信
用組合を創設。
(2)掛川農学社を創立…。
(6)掛川農学舎を興して…。
おかだ りょうへい《をかだ りやうへい》
岡田 良平
1864. 6. 7(元治元. 5. 4)
1934. 3.23(昭和 9)
◇明治末〜昭和前期の文部官僚・政治家。静岡県生れ。東京大
学卒業。掛川藩士岡田良一郎の長男、一木喜徳郎(イチキ・キトクロウ)
の実兄。
1887(明治20)帝国大学(現:東京大学)哲学科卒業。
第一高等中学校(第一高等学校の前身)教授を経て、1893(明
治26)文部省に入る。参事官・視学官・書記官兼会計課長・
1900(明治33)実業学務局長・1901(明治34)総務長官。1904〜
1929(明治37〜昭和 4)貴族院勅選議員。1907(明治40)京都大学
総長。
1908(明治41)第2次桂太郎内閣(小松原英太郎文部兼農商務
大臣)の文部次官、寺内正毅・加藤高明・第1次若槻礼二郎内
閣の文部大臣、1929(昭和 4)枢密院顧問官。1930(昭和 5)産業
組合中央会会頭。
(2)没年は1934(昭和 9)。
(4)没年は1934。
(6)「岡田良一郎」の項での、良平の没年は1923。
(21)没年は1934。
おかど かつじ
小門 勝二
1913. 7.15(大正 2)
1977. 2.13(昭和52)
◇随筆家。本名は小山勝治。
おかにし いちゅう
岡西 惟中
1639(寛永16)
1711(正徳元.10.26)
◇江戸前期の俳人。名は勝、通称は平吉。因幡国(イナバノクニ)生
れ。
おかの かおる
岡野 馨
1893. 2.20(明治26)
1941.12.12(昭和16)
◇フランス文学者。岡野知十(チジュウ)の子。
おかの かねひで
岡野 包秀
1680(延宝 8)
1703(元禄16. 2. 4)
◇江戸中期の赤穂浪士。初名は九十郎(クジュウロウ)、通称は金右
衛門(キンエモン)、俳号は放水(ホウスイ)、戒名は刃回逸剣信士。浅野
内匠頭(タクミノカミ)長矩(ナガノリ)の刃傷事件のときは、まだ父金右
衛門包住(カネズミ)が健在で部屋住。父は小野寺(オノデラ)家の出身
で、小野寺十内(ジュウナイ)・貞立尼(テイリュウニ)(大高源五<オオタカ・ゲン
ゴ>・小野寺幸右衛門<コウエモン>の母)との兄弟。
吉良家討ち入りでは表門隊。伊予国松山藩主松平隠岐守(オキノ
カミ)の江戸屋敷に預けられ、翌年、加藤斧右衛門(オノエモン)の介錯
(カイシャク)で切腹。
辞世の句は「そのにほひ雪のあさちの野梅かな」。
おかの きんえもん
岡野 金右衛門
⇒おかの かねひで(岡野 包秀)
おかの さかえ
岡野 栄
1880(明治13)
1942(昭和17)
◇漫画家。東京生れ。白馬会研究所で黒田清輝に師事、のち東
京美術学校卒業。
おかの ちじゅう
岡野 知十
1860(安政 7. 2.19)
1932. 8.13(昭和 7)
◇俳人。本名は敬胤、通称は正之助、別号は正味、旧姓は木川。
北海道日高生れ。岡野馨(カオル)の父。
おかの なおしちろう
岡野 直七郎
1896. 2.16(明治29)
1986. 4.27(昭和61)
◇歌人。岡山県赤磐郡西山村生れ。東京大学法科卒業。日本勧
業証券会社不動産部長を経て、物価庁附属物価調査事務局次長
兼調査部長。
おかの はんぼく
岡野 半牧
1848(嘉永元. 5. 2)
1896. 1.11(明治29)
◇小説家。本名は武平、別号は桐廼舎鳳居。
おかべ ふゆひこ《をかべ ふゆひこ》
岡部 冬彦
1922.12.27(大正11)
2005. 5.16(平成17)
◇漫画家。東京生れ。長男は軍事評論家岡部いさく、長女は漫
画家おかべりか、次女はイラストレーター水玉螢之丞(ケイノジョウ)。
東京美術学校(現:東京芸術大学)図案科、卒業。
写真専門通信社サンニュース社の記者となるが、胃病で2年
後に退社。療養中に見た外国漫画に刺激され、漫画を描き始め
る。
1955〜1968(昭和30〜昭和43)「週刊朝日」に『アッちゃん』を
連載。
心筋梗塞(シンキンコウソク)で死去。
作品は『ベビーギャング』・『アツカマ氏』・『オヤカマ氏』
など。
おかむら しこう
岡村 柿紅
1881. 9.14(明治14)
1925. 5. 6(大正14)
◇劇作家。本名は久寿治。高知県高知市生れ、東京育ち。
おかむら ちあき
岡村 千秋
1884. 5.17(明治17)
1941.10.21(昭和16)
◇出版・編集者。「炉辺叢書」など民俗学関係を出版。
おかむら ちびき
岡村 千曳
1882.12. 1(明治15)
1964. 5. 5(昭和39)
◇英文学者。
おかもと いっぺい
岡本 一平
1886. 6.11(明治19)
1948.10.11(昭和23)
◇大正・昭和前半期の漫画家。岡本かの子の夫、岡本太郎の父。
函館生れ。
東京美術学校(現:東京芸術大学)西洋画科に在学中、藤島武
二に師事し、卒業。恩師和田英作のもとで帝国劇場の天井画・
舞台装置などに携わる。
1910(明治43)大貫カノ(岡本かの子)と結婚。1912(明治45)東
京朝日新聞に入社し、漫画を描く。
一平塾(のち漫画自由研究会)をつくり、門下に清水崑(コン)・
近藤日出造・宮尾しげを・杉浦幸雄・横山隆一らがいる。
おかもと かのこ《をかもと かのこ》
岡本 かの子
1889. 3. 1(明治22)
1939. 2.18(昭和14)
◇小説家・詩人・仏教研究家。本名はカノ、旧姓は大貫。筆名
は大貫加能子。東京赤坂青山南町の大貫家別荘で生れる。大貫
家は幕府御用商「大和屋」で、神奈川県二子(フタコ)多摩川の大地
主。岡本太郎の母、大貫晶川(雪之助)の妹。
跡見女学校卒業。与謝野晶子に師事し新詩社に入る。『明星』
に投稿、廃刊後は『スバル』同人。
1910(明治43)岡本一平と結婚。1911. 2.26(明治44)岡本太郎
を出産。一平との個性の対立から強度の神経衰弱となり、仏教
に救いを求める。
小石川の東大病院で死去。
◆かの子忌[ 2.18]。
おかもと きいち
岡本 帰一
1888(明治21)
1930.12.29(昭和 5)
◇画家。兵庫県生れ。
黒田清輝に師事。
おかもと きせん
岡本 起泉
1853(嘉永 6)
1882. 7.20(明治15)
◇江戸前期の戯作者・新聞記者。本名は勘造、別称は貴泉。江
戸深川生れ。肺患で死去。
おかもと きどう《をかもと きどう》
岡本 綺堂
1872.11.15(明治 5.10.15)
1939. 3. 1(昭和14)
◇大正・昭和前期の劇作家・小説家・演劇評論家。本名は敬二、
号は狂綺堂・甲字楼主人。東京芝高輪生れ。旧幕臣岡本敬之助
の子、出版社青蛙房(セイアボウ)社主岡本経一の養父。
府立第一中学校卒業。
1890(明治23)東京日日新聞に入社。各紙の劇評を書き、岡鬼
太郎との合作1902(明治35)『金鯱噂高浪』で劇作家となる。
1904(明治37)東京日日新聞の記者として日露戦争に従軍。1911
(明治44)『修禅寺物語』が明治座で初演、出世作となる。
1913(大正 2)記者生活をやめ、作家活動に専念。
1915(大正 4)『鳥辺山(トリベヤマ)心中』東京本郷座で初演。
1937(昭和12)劇界初の芸術院会員。
代表作は、1916(大正 5)から『半七捕物帳』。
おかもと きはち《をかもと きはち》
岡本 喜八
1924. 2.17(大正13)
2005. 2.19(平成17)
◇映画監督。本名は喜八郎(キハチロウ)。鳥取県米子市生れ。
1943(昭和18)明治大学を卒業し、東宝に入社。
すぐに戦時徴用され、豊橋陸軍予備士官学校で終戦を迎える。
1958(昭和33)『結婚のすべて』で初監督。
1959(昭和34)『独立愚連隊』。
1963(昭和38)『江分利満氏の優雅な生活』。
1967(昭和42)『日本のいちばん長い日』。
1968(昭和43)『肉弾』で人間魚雷を命じられた特攻隊学徒兵
を描く。
食道ガンで死去。
おかもと けいがく《をかもと けいがく》
岡本 圭岳
1884. 4. 1(明治17)
1970.12.15(昭和45)
◇俳人。本名は鹿太郎。
おかもと こうせき《をかもと くわうせき》
岡本 黄石
1811(文化 8.11.21)
1898. 4.12(明治31)
◇漢詩人。名は迪、字は吉甫、通称は半助、号は黄石、旧姓は
宇津木。
おかもと さくら
岡本 桜
1878(明治11)
1935(昭和10)
◇大正・昭和初期の実業家。岡本貞の次男。兵庫県生れ。東京
大学卒業。
1917(大正 6)名古屋瓦斯会社社長。
おかもと さんえもん
岡本 三右衛門
1602(慶長 7)
1685(貞享 2)
◇江戸前期のイエズス会司祭。本名はキアリ(キアラ,キャラ:
Giuseppe Chiari)。イタリアのシシリア島生れ。
1643(寛永20)他の神父・従者と筑前大島に潜入、逮捕される。
江戸小石川の牢で拷問を受け、改宗し日本婦人を妻にし改名の
うえで宗門改役御用となり、キリシタン屋敷にとどめられる。
(2)生年は1601(慶長 6)。
(6)生年は1602。
おかもと じゅん
岡本 潤
1901. 7. 5(明治34)
1978. 2.16(昭和53)
◇詩人。本名は保太郎。埼玉県本庄町生れ。東洋大学中退。
(5)誕生日は 7. 5。
(13)誕生日は 7. 1。
(21)誕生日は 7. 5。
おかもと しょうひん
岡本 松浜
1879.12.17(明治12)
1939. 8.16(昭和14)
◇俳人。本名は信(シン)、別号は寒菊堂。大阪生れ。
おかもと だいはち
岡本 大八
生年不詳
1612(慶長17)
◇江戸前期のキリシタン武士。譜代大名本多正純の家臣。
1609(慶長14)肥前国の有馬晴信がポルトガル船マードレ・デ
・デウス号を長崎港外で撃沈させ、幕府から恩賞として領地回
復を望んだ晴信より賄賂を受け取ったことが発覚、晴信の長崎
奉行暗殺未遂を獄中から上書、大八は駿府で火刑、晴信は除封
のうえ甲斐国都留郡に流配されて切腹(岡本大八事件)。
◎岡本大八事件は晴信・大八の両者ともキリシタンであったた
め、幕府のキリシタン禁制の発端となる。
おかもと だいむ
岡本 大夢
1877. 2.17(明治10)
1963. 7.22(昭和38)
◇歌人。本名は経厚、別号は大無。
(?)岡本 大無(おかもと たいむ)。
おかもと ぶんや《をかもと ぶんや》
岡本 文弥
1634(寛永11)
1694(元禄 7)
◇江戸前期の浄瑠璃太夫・文弥節の始祖。号は文寿。大坂の人。
初代岡本文弥と山本角太夫に師事、2代目文弥を継ぐ。
(2)生年は1633(寛永10)。
(4)生年は1634。
おかもと へきさんすい
岡本 癖三酔
1878. 9.16(明治11)
1942. 1.12(昭和17)
◇俳人。本名は簾太郎(レンタロウ)、初号は笛声。群馬県前橋市生
れ。慶応義塾大学卒業。
おかもと やすたか《をかもと やすたか》
岡本 保孝
1797(寛政 9)
1878(明治11)
◇江戸幕末・明治初期の国学者。号は況斎(マシテノヤ)。江戸の人。
おかもと やた
岡本 弥太
1899. 1.23(明治32)
1942. 3.25(昭和17)
◇詩人。本名は亀弥太。
おかもと よしお
岡本 良雄
1913. 6.10(大正 2)
1963. 2. 6(昭和38)
◇児童文学作家。大阪市生れ。早稲田大学卒業。
(1)生年は1913(大正 2):正。
(2)生年は1913(大正 2):正。
(5)生年は1913(大正 2):正。
(11)生年は1918(大正 2):誤。
おかもと れいか
岡本 霊華
1883.12.24(明治16)
1928.11.11(昭和 3)
◇小説家。本名は霊華(レイゲ)。愛知県生れ。明治義会中学校卒
業。
(5)誕生日は1883.12.24(明治16)。
(13)本名不詳。明治一六年一〇月愛知県碧海郡に生まる。
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