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                    PDD図書館管理番号       0001.0000.6641.02

                 人   名   辞   典    《む》       編集:獨  澄旻

-------- む ----------------------------------------------------
むかい きょらい
	向井 去来
	1651(慶安 4)
	1704(宝永元. 9.10)
	◇江戸前期の俳人。本名は兼時(カネトキ)、通称は平次郎、俳号は
	去来。庵号(アンゴウ)は落柿舎(ラクシシャ)。長崎生れ。
	 儒医元升(ゲンショウ)の次男、兄は元端(震軒)、弟は元成(魯町)。
	妻は向井可南(ナカ)女。
	 蕉門(ショウモン)の十哲の一人。
	◆去来忌[旧暦 9.10]。
むがく そげん
	無学 祖元
	1226(嘉禄 2)<宝慶 2>
	1286(弘安 9)
	◇鎌倉時代の臨済宗の帰化僧・無学派(仏光派)の祖。字は子元、
	道号は無学、諱(イミナ)は祖元、諡号(シゴウ)は仏光禅師・
	円満常照国師。南宋の明州慶元府(現:浙江省)の人。
	 杭州の浄慈寺(ジンズジ)で出家。径山(キンザン)の無準師範に参
	じ、その法を嗣(ツ)ぐ。
	 1279(弘安 2)執権北条時宗の招きに応じ、1280(弘安 3)来日
	し、蘭渓道隆(ランケイ・ドウリュウ)寂後の建長寺の住持となる。
	 時宗をはじめ鎌倉武士の帰依を受け、1281(弘安 4)弘安の役
	前後の政策に影響を与える。
	 1282(弘安 5)時宗は円覚寺を創建し、祖元は開山となる。
	 のち建長・円覚に兼住して日本臨済宗に大きな足跡を残す。
	 著書は『仏光国師語録』10巻。
むこうだ くにこ
	向田 邦子
	1929.11.28(昭和 4)
	1981. 8.22(昭和56)
	◇放送作家・小説家。東京生れ。実践女子専門学校国語科卒業。
	 飛行機事故死。
むこうやま こうそん
	向山 黄村
	1826(文政 9. 1.13)
	1897. 8.12(明治30)
	◇漢詩人。本姓は一色、名は栄、通称は栄五郎、字は欣夫・
	一履、別号は景蘇軒。1866(慶応 2)徳川昭武渡仏に従い全権公
	使としてパリに赴いた。
むさしぼう べんけい
	武蔵坊 弁慶
	生年不詳
	1189(文治 5.閏4.30)
	◇平安末期・鎌倉初期の荒法師。幼名は鬼若(オニワカ)。新宮別当
	弁証(ベンショウ)の子。
	 比叡山や書写山で修業し、書写山に火を放ち京を追われる。
	太刀千本を奪い取る悲願を立て、あと一本で千本になる時に牛
	若丸(ウシワカマル)(源義経)に出会い、降参して家来になる。
	 義経が源頼朝(ヨリトモ)と不和になり、奥州平泉に落ち延びて行
	くとき、如意(ニョイ)の渡りで渡し守に怪しまれ(歌舞伎では安宅
	<アタカ>の関)、義経を打ち据える。また、衣川(コロモガワ)の館で藤
	原泰衡(ヤスヒラ)に襲われたとき、立ち往生(オウジョウ)したと伝えら
	れている。
むしゃのこうじ さねあつ
	武者小路 実篤(實篤)
	1885. 5.12(明治18)
	1976. 4. 9(昭和51)
	◇小説家・劇作家・随想家・詩人・画家。号は無車・不倒翁。
	東京麹町区元園町に、子爵武者小路実世の第8子として生れる。
	 学習院を経て、1906(明治39)東京大学社会学科入学、翌年中
	退。太平洋戦争終戦直後、勅選議員に任命されて戦犯として公
	職追放にあう。
むじゅう
	無住
	1226(嘉禄 2.12.28)
	1312(正和元.10.10)
	◇鎌倉中期の説話集作者。法名は一円・道暁(ドウギョウ)。鎌倉
	生れ。
	 1546(天文15)後奈良天皇より大円国師の諡号を受ける。
むそう こくし《むさう こくし》
	夢窓 国師
	⇒むそう そせき(夢窓 疎石)
むそう そせき《むさう そせき》
	夢窓 疎石
	1275
	1351(<南>正平 6,<北>観応 2)
	◇鎌倉末期・南北朝時代の臨済宗の僧・夢窓派(嵯峨門派)の祖。
	諱(イミナ)は疎石、道号(ドウゴウ)は夢窓、諡号(シゴウ)は生前の
	夢窓国師・正覚国師・心宗国師のほか、普済国師・玄猷国師・
	仏統国師・大円国師。伊勢(現:三重県)の人。
	 9歳で出家し初め真言・天台(顕密)を学び、のち禅門に入り
	無隠円範(ムイン・エンパン)・一山一寧(イッサン・イチネイ)・高峰顕日(コウホウ・
	ケンニチ)(仏国国師)について臨済禅を修める。
	 のち人里離れた地の草庵を転々と移するが、絶えず人々が慕
	い集まる。南禅寺・鎌倉の浄智寺・円覚寺などに住持となる。
	 初め後醍醐天皇、のち足利尊氏(タカウジ)らの帰依を受け、南
	北七代の天皇から国師号を贈られる(七朝の帝師)。
	 甲斐(現:山梨県)の恵林寺(エリンジ)や京都の臨川寺を創建。ま
	た、天竜寺船による宋との貿易促進を建議し、1339(<南>延元
	 4,<北>暦応 2)足利尊氏が建立した天竜寺の開山となる。
	 尊氏にすすめて戦乱に落命した人々の菩提(ボダイ)を弔(トムラ)
	うため全国に安国寺(アンコクジ)利生塔(リショウトウ)を建てさせる。
	 造園術にすぐれ天竜寺・西芳寺・鎌倉瑞泉寺などに築庭。
	 著書は『夢中問答集』・『臨川寺家訓』・『夢窓国師語録』
	など。
	(*)1275(文永12,建治元)。
	(6)一山一寧・高峰顕目に師事。(誤)
	(25)高峰顕日(コウホウケンニチ)(仏国国師.1241-1316)の法を嗣(ツ)ぐ.
	◎宇多天皇の子孫と伝えられる。
	◎五山文学の中心をなした春屋妙葩(シュンオク・ミョウハ)らの師。
むたい りさく
	務台 理作
	1890. 8. 8(明治23)
	1974. 7. 5(昭和49)
	◇哲学者。
むつ むねみつ
	陸奥 宗光
	1844(天保15. 7. 7)
	1897. 8.24(明治30)
	◇明治の政治家。幼名は牛麿、のち陽之助。紀伊藩士(寺社・
	勘定奉行)伊達宗広の子。
	 14歳で脱藩し江戸の儒者安井息軒の門人となる。16歳くらい
	で女遊びをおぼえ破門。義理の兄伊達五郎の影響で坂本竜馬の
	海援隊に入る。
	 1875(明治 8)元老院議官。
	 1877(明治10)西南戦争の際、土佐立志社と挙兵を企てたとし
	て、1878(明治11)国事犯で下獄。
	 1891(明治24)衆議院議員。1892(明治25)枢密顧問官、第2次
	伊藤内閣の外相。
	 著書『蹇々録』。
むつひと しんのう《むつひと しんわう》
	睦仁 親王
	⇒めいじ てんのう(明治 天皇)
むとう なおはる
	武藤 直治
	1896. 1.27(明治29)
	1955. 2. 4(昭和30)
	◇評論家・劇作家。
むとう のぶよし
	武藤 信義
	1868
	1933. 7.27(昭和 8)
	◇明治〜昭和初期の陸軍軍人。佐賀藩士武藤信直の次男。
	 1892(明治25)陸軍士官学校を卒業。日清戦争に従軍。陸軍大
	学を主席で卒業。日露戦争に近衛師団参謀として従軍。
	 シベリア出兵に陸軍中将第三師団長として出征。1926(大正
	15)陸軍大将・関東軍司令官。
	 1927(昭和 2)教育総監、1932(昭和 7)五・一五事件で引責辞
	職。
	 同年満州国が建国されると、関東軍司令官兼駐満全権大使兼
	関東州長官として赴任し、任地で没する。
	(*)1868(慶応 4,明治元)。
むなかた しこう
	棟方 志功
	1903. 9. 5(明治36)
	1975. 9.13(昭和50)
	◇版画家・挿絵画家。青森市生れ。
	 1924(大正13)画家を志して上京。1928(昭和 3)版画を始める。
むねたか しんのう
	宗尊 親王
	1242(仁治 3.11.22)
	1274(文永11. 7.29)
	◇鎌倉中期の歌人。一品中務卿(イッポンナカツカサキョウ)。
	 1252(建長 4)十一歳で鎌倉幕府に迎えられ征夷大将軍となり、
	1266(文永 3. 7.)異図ありとして将軍を廃せられ帰京。1272
	(文永 9. 2.)父法皇の死を機に出家。
	(5)後嵯峨天(ゴサガ)皇の第二皇子。
	(11)後嵯峨(ゴサガ)天皇の第一皇子。
むねなが しんのう
	宗良 親王
	1311(応長元)
	没年不詳
	◇南北朝時代の歌人。初名は尊澄(ソンチョウ)法親王。父は後醍醐
	(ゴダイゴ)天皇、母は二条為世女(タメヨノムスメ)為子(イシ)。
	 1330(元徳 2)天台座主(ザス)。元弘の乱後、讃岐に配流、
	1331(元徳 3,元弘元)帰洛。のち還俗(ゲンゾク)して南朝方の驍
	将(ギョウショウ)。
	(5)あるいは「むねよし」か。
むらい げんさい
	村井 弦斎
	1863(文久 3.12.18)
	1927. 7.30(昭和 2)
	◇新聞記者・小説家。本名は寛、初号は楽水。三河国豊橋生れ。
	父は松平藩士。妻多嘉は尾崎宗作(大隈重信の従兄弟)の長女。
	 1874(明治 7)外国語学校ロシア語科入学、学費不足と健康を
	害し卒業にいたらず退学。
むらい たけお
	村井 武生
	1904.10.11(明治37)
	1946. 2. 1(昭和21)
	◇詩人。本名は邑井武雄。
むらい ともよし
	村井 知至
	1861(文久元)
	1944(昭和19)
	◇キリスト教社会主義者・英学者。
むらおか そいちろう
	村岡 素一郎
	1850(嘉永 5.10.18)
	1932. 5.25(昭和 7)
	◇民間史論家。徳川氏の出自に疑問を持ち1902(明治35)『史疑』
	を著す。
むらおか つねつぐ
	村岡 典嗣
	1884. 9.18(明治17)
	1946. 4.13(昭和21)
	◇国学者。号は「さすらへひと」。
むらおか はなこ
	村岡 花子
	1893. 6.21(明治26)
	1968.10.25(昭和43)
	◇児童文学作家・翻訳家・評論家。旧姓は安中。山梨県生れ。
	東洋英和女学院高等科卒業。
むらかみ あきお
	村上 昭夫
	1927. 1. 5(昭和 2)
	1968.10.11(昭和43)
	◇詩人。肺結核により死去。
むらかみ いちろう
	村上 一郎
	1920. 9.24(大正 9)
	1975. 3.29(昭和50)
	◇小説家・評論家・歌人。東京生れ。東京商科大学卒業。
	 海軍に入隊、主計大尉で終戦。
	 日本刀で自殺。
むらかみ かがく《むらかみ くわがく》
	村上 華岳
	1888. 7. 3(明治21)
	1939.11.11(昭和14)
	◇日本画家。本名は武田震一。大阪生れ。
	 京都絵画専門学校卒。
	 1918(大正 7)同期の土田麦僊(バクセン)・榊原紫峰(シホウ)・小野
	竹喬(チクキョウ)らと官展に反対して国画創作協会結成。
	 作品は『日高河清姫』・『裸婦』・『阿弥陀三尊』・『冬ば
	れの山』など。
	(2)生年は1888(明治21)。
	(10)生年は1888(明治31):誤。
むらかみ きじょう
	村上 鬼城
	1865(慶応元. 5.17)
	1938. 9.17(昭和13)
	◇俳人。本名は荘太郎(ショウタロウ)、実印は庄太郎。鳥取藩士小原
	平之進の長男として江戸藩邸に生れ、1875(明治 8)母方村上源
	兵衛の養子となる。初妻はスミ、後妻はハツ。
	(5)誕生日は 5.17。
	(10)誕生日は 5.17。
	(13)誕生日は 7.20。
	◆鬼城忌[ 9.17]。
むらかみ こうせい
	村上 光清
	1682(天和 2)
	1759(宝暦 9)
	◇江戸中期の富士講の指導者。つづら商。
むらかみ さんとう《むらかみ さんたう》
	村上 三島
	1912. 8.25(大正元)
	2005.11.20(平成17)
	◇書家。本名は正一(マサカズ)。愛媛県越智郡(オチグン)上浦町(カミウ
	ラチョウ)(現:今治市)生れ。
	 片山萬年や辻本史邑らに師事。
	 1985(昭和60)日本芸術院会員。
	 1998(平成10)文化勲章を受章。
むらかみ せいげつ
	村上 霽月
	1869(明治 2. 8. 8)
	1946. 2.15(昭和21)
	◇俳人。本名は半太郎、別号は南陲野郎・養堂処士。伊予国松
	山在今出生れ。第一高等中学学校卒業。愛媛銀行頭取・愛媛県
	信用組合連合会長。
	(5)一高中退。
むらかみ せんじょう
	村上 専精
	1851(嘉永 4. 4. 1)
	1929.11.31(昭和 4)		????
	◇仏教史学者。号は不住。
	(10)村上 専精(むらかみ せんしょう)。没日は1928.10.31
	(昭和 3)。
むらかみ なみろく
	村上 浪六
	1865(慶応元.11. 1)
	1944.12. 1(昭和19)
	◇小説家。本名は信(マコト)、幼名は亀太郎(カメタロウ)、旧姓は兼松、
	別号は「ちぬの浦浪六」・眠獅庵(ミンシアン)。和泉国堺(サカイ)生れ。
	父は兼松又助、母は清。
	 1867(慶応 3)父を失い、母一人子一人となる。
	 1873(明治 6)堺の錦小路学校に入学。1881. 9.(明治14)上京。
	 1890.10.(明治23)森田思軒の紹介で報知新聞の校正係、1891.
	12.23(明治24)退社。1892(明治25)大阪朝日新聞に入社、1896.
	 5.(明治29)退社。
	 1899(明治32)みずから太平洋新聞を創刊。
	(5)三○年には独立して「太平新聞」を創刊、四○年ごろには「国
	民新聞」に関係しながら……。
むらかみ ひでとし
	村上 英俊
	1811(文化 8. 4. 8)
	1890. 1.10(明治23)
	◇フランス語学者。
むらかみ まつじろう
	村上 松次郎
	1897.11.27(明治30)
	1962. 4.27(昭和37)
	◇画家。
むらかみ よしてる
	村上 義光
	生年不詳
	1333
	◇鎌倉末期の武将。信濃の人。子義隆とともに護良親王に仕え、
	1331〜1333(元弘元〜元弘 3)元弘の変で吉野陥落に際し親王の
	身替りとなって自刃した。
	(4)没年は1331?。
	(*)1333(<南>元弘 3,<北>正慶 2)
むらさき しきぶ
	紫 式部
	生年不詳
	没年不詳
	◇平安中期の物語作者・歌人。越前守藤原為時(タメトキ)の次女。
	『源氏物語』・『紫式部日記』の作者。中古三十六歌仙の一。
	生年は 978(天元元)が通説で、 970(天禄元)・ 973(天延元)の
	説もある。没年の説には1014(長和 3)・1031(長元 4. 1.)があ
	る。
	  996(長徳 2. 5.)越前守として赴任する父に随い越前の国府
	に赴き、翌年10月まで滞在。 999年正月ころ右衛門権佐藤原宣
	孝の本妻(第二夫人)となり、翌年賢子を生む。1001(長保 3. 4.)
	夫と死別。
	 1006(寛弘 3. 1.)一条天皇の中宮藤原彰子の許に出仕、はじ
	め藤式部のち越後の弁と名乗る。
	◆名月紫式部祭[旧暦 8.15]滋賀県大津市の石山寺源氏の間(マ)
	で紫式部の伝説にちなむ観月会が催される。
	(4)源氏物語の「紫の上」と父の官位「式部丞」による名という説
	が有力。
	(*) 999(長徳 5,長保元)。
むらさめ たいじろう
	村雨 退二郎
	1903. 3.21(明治36)
	1959. 6.22(昭和34)
	◇小説家。本名は坂本俊一郎。鳥取県生れ。
	 日本農民組合書記をつとめ、1928(昭和 3)三・一五事件で投
	獄。
	 直腸ガンの苦痛のため服毒自殺。
	(1)誕生日は 3. 2。
	(5)誕生日は 3.21。
	(10)誕生日は 3.21。
むらた きよかぜ
	村田 清風
	⇒むらた せいふう(村田 清風)
むらた しゅうこ
	村田 修子
	1908.12.10(明治41)
	1976. 9. 5(昭和51)
	◇劇作家。本名は篠原雪枝。
むらた しゅこう《むらた しゆくわう》
	村田 珠光
	1422(応永29)
	1502(文亀 2. 5.15)
	◇室町時代の茶人・僧侶。名は茂吉。奈良の人。
	 奈良称名寺の僧となる。
	 のち還俗して大徳寺の一休宗純に参禅し、禅旨を茶湯(チャトウ)
	に加味した点茶法を始める。
	 第8代将軍足利義政に仕え茶道師範したと伝えられるが不祥。
	 のち京都に住む。
	(4)「じゅこう」。生年は1422。
	(6)「しゅこう」。生年は1422。
	(16)「じゅこう」。生年不祥。
	(19)「しゅこう」。生年は1422。
	◎後世、「侘茶(ワビチャ)の祖」・「茶の湯の開山」と称される。
むらた じゅこう《むらた じゆくわう》
	村田 珠光
	⇒むらた しゅこう(村田 珠光)
むらた しんぱち
	村田 新八
	1836(天保 7)
	1877(明治10)
	◇江戸幕末の志士・鹿児島藩士。
	 西郷隆盛の腹心として国事に奔走。
	 1871(明治 4)宮内大丞。岩倉遣外使節の随員を勤める。
	 征韓論で敗れ、私学校の創立に尽力、砲隊学校を受け持つ。
	 西南戦争で大隊長として木留(キドメ)方面を守備、田原坂(タバ
	ルザカ)を死守、城山で切腹。
むらた せいふう
	村田 清風
	1783(天明 3)
	1855(安政 2. 5.25)
	◇江戸後期の長州藩士。名は順之のち清風(「きよかぜ」とも)、
	通称は亀之助・織部・四郎左衛門、号は松斎。
	 明倫館に学ぶ。
	 1831(天保 2)紙・塩・ロウ(蝋)などの藩専売制反対の大一揆
	が勃発し、以降一揆が続き、1838(天保 9)招かれて藩政改革を
	行なう。1840(天保11)当役相談役となり、士民救済の借金37ヶ
	年賦皆済方式を採用し財政を確立。殖産興業・兵制改革・士風
	の作興など長州藩改革派の基盤を固める。
	 反対派のため数年で失脚。
	◎高杉晋作らの尊敬を集める。
	 長州藩の討幕運動の基礎となった。
むらた せいみん
	村田 整(「王」偏+「民」)
	1761(宝暦11)
	1837(天保 8)
	◇江戸後期の鋳金家。姓は木村のち村田、通称は総次郎、晩年
	の号は北玉叟。江戸生れ。
	 仏具鋳物師田川(「王」偏+「民」)武に鋳金を学び、蝋型鋳造の
	名手となり、銅の置物・仏具などを作る。
むらた そうしゅ
	村田 宗珠
	生年不詳
	没年不詳
	◇戦国初期の茶人。
むらた ぞうろく
	村田 蔵六
	⇒おおむら ますじろう(大村 益次郎)
むらた つねみつ
	村田 恒光
	生年不詳
	没年不詳
	◇江戸後期の数学者。伊賀の人。伊勢国津藩士。
	 1834(天保 5)楕円に関する『算法側円詳解』を著す。
	 1835(天保 6)『六分円器量地手引草』を著す。
むらた つねよし
	村田 経芳
	1839(天保10)
	1921(大正10)
	◇明治・大正時代の陸軍軍人・村田銃の発明者。薩摩藩士村田
	蘭斎(ランサイ)の子。
	 戊辰戦争に従軍。
	 1871(明治 4)陸軍大尉。
	 西南戦争に従軍し、小銃射撃の名手として知られる。
	 欧米視察に派遣され、帰国して東京工廠で国産の銃剣製造に
	努力。
	 フランスのグラー銃やオランダのボーモン銃などを参考に、
	1880(明治13)村田式単発小銃(十三年式)を完成、3月30日陸軍
	に採用。
	 1885(明治18)改造(十八年式)。
	 1889(明治22)連発銃(二十二年式)に改良。
	 1890(明治23)少将に昇進。
	◎村田式単発銃は1884(明治17)秩父事件で初めて使用される。
[1]むらた はるみ
	村田 春海
	1746(延享 3)
	1811(文化 8. 2.13)
	◇江戸後期の国学者・歌人。字は士観(サチマロ)、通称は平四郎・
	伝蔵、別号は漁長・錦織斎(ニシゴリノヤノアルジ)・琴後翁(コトジリノオキナ)。
	江戸日本橋の豪商に生れる。
	 一時、阪昌周(サカ・ショウシュウ)の養子となり、阪大学・昌和を名
	乗る。兄春郷の若死により家業を継ぐが破産。
	 賀茂真淵の門に入って仮名遣の研究、縣門十二大家の一人。
	 古辞書『新撰字鏡』を発見。
	 著書は家集『琴後集』や『竺志船物語』・『歌がたり』・
	『和学大概』など。
	(4)号は琴後翁(コトジリノオキナ)・錦織斎(ニシゴリノヤノアルジ)。
	(5)号にまた錦織斎(ニシゴリノヤノアルジ)、琴後翁(コトジリノオキナ)。
	(11)別号は錦織斎(ニシゴリノヤノアルジ)。
	◎加藤千蔭(チカゲ)とともに江戸派歌風の双璧と称される。
[2]むらた はるみ
	村田 春海
	1903. 1.30(明治36)
	1937. 3.26(昭和12)
	◇詩人・ロシア文学者。小宮山明敏(コミヤマ・アキトシ)の妹庚(カノエ)の
	夫。
むらた ひでお《むらた ひでを》
	村田 英雄
	1929(昭和 4)
	2002. 6.13(平成14)
	◇演歌歌手。本名は梶山勇(カジヤマ・イサム)。佐賀県東松浦郡(ヒガシ
	マツウラグン)相知町(オウチチョウ)生れ。
	 浪曲師の家に生れる。
	 4歳で浪曲界入り、13歳の時に酒井雲坊を名乗る。
	 1958(昭和33)『無法松の一生』で歌謡界へデビュー。
	 ヒット曲は『無法松の一生』・1959(昭和34)『人生劇場』・
	1961(昭和36)『王将』・『姿三四郎』・『皆の衆』・『花と竜』
	など。
むらた ふみお
	村田 文夫
	⇒のむら ふみお(野村 文夫)
むらた みのる
	村田 実
	1894. 3. 2(明治27)
	1937. 6.26(昭和12)
	◇俳優・映画監督。
むらた りょうあ《むらた れうあ》
	村田 了阿
	1772(明和 9)
	1843(天保14)
	◇江戸後期の国学者。名は直温、字(アザナ)は春山、法号は了阿。
	 著書は『事物類字』・『考証千典』など。
むらなか たかじ
	村中 孝次
	1903(明治36)
	1937(昭和12)
	◇昭和前期の陸軍軍人(大尉)。
	 1936(昭和11)二・二六事件の首謀者として、翌年銃殺。
むらの しろう《むらの しらう》
	村野 四郎
	1901.10. 7(明治34)
	1975. 3. 2(昭和50)
	◇昭和期の詩人。東京多摩(タマ)生れ。父は儀右衛門(俳号寒翠)、
	次兄は次郎(歌人)、三兄は三郎(詩人)。
	 1927(昭和 2)慶応義塾大学理財科卒業。理研コンツェルン本
	社に入社。
	◆亡羊忌[ 3. 2]詩集『亡羊記』にちなむ。
むらまつ きへえ
	村松 喜兵衛
	⇒むらまつ ひでなお(村松 秀直)
むらまつ しげきよ
	村松 茂清
	生年不詳
	没年不詳
	◇江戸初期の和算家。
	 平賀保秀に算学を学ぶ。
	 1663(寛文 3)『算爼』(5巻)を著す。球の体積を求める方法
	なども示されている。
むらまつ しょうふう《むらまつ せうふう》
	村松 梢風
	1889. 9.21(明治22)
	1961. 2.13(昭和36)
	◇小説家・随筆家。本名は義一。静岡県周知郡飯田村生れ。
	 静岡中学校を経て、慶応義塾大学文科中退。
	 評伝や実録風の作品が多い。
	 『正伝清水次郎長』・『本朝画人伝』・『近世名勝負物語』
	・『残菊物語』など。
むらまつ ひでなお
	村松 秀直
	1642(寛永19)
	1703(元禄16. 2. 4)
	◇江戸中期の赤穂浪士。赤穂藩士、扶持奉行、江戸詰め。通称
	は喜兵衛(キヘエ)、戒名は刃有梅剣信士、吉良家の探索中の変名
	は町医者荻野降円(オギノ・コウエン)。
	 吉良家討ち入りでは表門隊。毛利(モウリ)甲斐守の麻布(アザブ)
	屋敷に預けられ、翌年、田上五左衛門(タガミ・ゴザエモン)の介錯(カ
	イシャク)で切腹。
	 赤穂藩士松村九太夫(キュウダユウ)の養子。父はもと武士の町人
	堀江九右衛門(キュウエモン)。松村三太夫(サンダユウ)高直(タカナオ)の父。
	高直の弟政右衛門(マサエモン)は幕府の小姓頭小笠原長門守長定(ナガ
	サダ)に仕えていたが、遺族として連座、1703(元禄16. 4.)伊豆
	大島へ流罪となり、のち赦免となり小笠原家に復帰。
むらまつ まさとし
	村松 正俊
	1895. 4.10(明治28)
	1981. 9.20(昭和56)
	◇評論家・翻訳家・詩人。東京生れ。
	 東京大学美学科卒業。
むらやま かいた《むらやま くわいた》
	村山 槐多
	1896. 9.15(明治29)
	1919. 2.20(大正 8)
	◇洋画家・詩人。横浜市生れ。画家山本鼎(カナエ)の従弟。
	 1914(大正 3)京都府立第一中学校卒業。同年、上京して日本
	美術院研究生。
	 1918. 4.(大正 7)結核性肺炎に罹る。翌年、流行性感冒によ
	り死去。
	 作品は『湖水と女』・『少女とカンナ』、詩集『槐多の歌へ
	る』など。
むらやま かずこ
	村山 籌子
	1903.11. 7(明治36)
	1946. 8. 4(昭和21)
	◇児童文学者。旧姓は岡内。村山知義(トモヨシ)の妻。
むらやま こきょう
	村山 古郷
	1909. 6.19(明治42)
	1986. 8. 1(昭和61)
	◇俳人。本名は正三。京都生れ。国学院大学国文科卒業。
むらやま ちょうけい
	村山 鳥逕
	1877(明治10)
	没年不詳
	◇小説家・牧師。本名は敏雄。
むらやま ともよし
	村山 知義
	1901. 1.18(明治34)
	1977. 3.22(昭和52)
	◇劇作家・演出家・舞台装置家・小説家。画号はTOM。東京
	神田末広町生れ。
	 第一高等学校を経て、1921(大正10)東京大学哲学科入学。半
	年で退学し渡欧、1923(大正12)帰国。プロレタリア演劇運動に
	参加し、1930(昭和 5)・1932(昭和 7)の二度治安維持法違反で
	検挙、1934(昭和 9)転向を表明して出獄。1926(大正15)前衛座
	を結成。
	 1937. 9.(昭和12)新協劇団を創立。1940. 8.19(昭和15)検挙
	・投獄、新協劇団は強制解散、1943(昭和18)出獄・執筆禁止。
	 1946(昭和21)第二次新協劇団を再建。同年、妻村山籌子(カズ
	コ)を失い、翌年、女優清洲(キヨス)すみ子と再婚。
	 1959(昭和34)薄田(ススキダ)研二主宰の中央芸術劇場と合同し、
	東京芸術座をつくる。
	(1)誕生日は 1. 6。
	(3)誕生日は 1.18。
	(5)誕生日は 1.18。
	(10)誕生日は 1.18。
	(11)誕生日は 1.18。
	(13)誕生日は 1.18。
むらやま りゅうへい
	村山 龍平
	1850(嘉永 3. 4. 3)
	1933.11.24(昭和 8)
	◇新聞経営者・衆議院議員。三重県出身。
	 1871(明治 4)大阪で西洋雑貨商を営む。
	 1879(明治12)大阪で「朝日新聞」を創立。1888(明治21)「めざ
	まし新聞」を買収し、「東京朝日新聞」を創刊して東京に進出、
	上野理一と共同経営をする。
	 1918(大正 7)白虹(ハッコウ)事件の責任で一時社長を退くが、
	1919(大正 8)社長に復帰、死去するまで社長。
むろ きゅうそう
	室 鳩巣
	1658(万治元)
	1734(享保19. 8.12)
	◇江戸前期の儒学者。名は直清、字は師礼(シレイ)、通称は新助。
	武蔵国に医者の子として生れる。
	 木下順庵(ジュンアン)に学ぶ。徳川家宣(イエノブ)・家継・吉宗の
	三代の将軍に仕える。
むろう さいせい
	室生 犀星
	1889. 8. 1(明治22)
	1962. 3.26(昭和37)
	◇詩人・小説家。本名は照道。石川県金沢市裏千日町生れ。父
	は加賀藩士足軽組頭(クミガシラ)小畠(コバタケ)彌左衛門で、母佐部
	ステは婢(ハシタメ)(女中,ハルと呼ばれる)で、室生真乗の内縁の
	妻ハツの私生児として届けらける。
	 3歳のとき赤井姓を継いだが8歳で父が死に母と生別。13歳
	で室生寺雨宝院の住職室生真乗の養嗣子となる。
	 経済的理由で4年生高等小学校を3年で退学、金沢地方裁判
	所の給仕となる。
	(3)別号は魚眠堂。
	(5)別号は魚眠洞(ギョミンドウ)。年七つで、真乗の養嗣子室生照
	道となった。
	(10)別号は魚眠洞。
	(11)別号は魚眠洞(ギョミンドウ)。
	(13)別号は魚眠洞。
	◆犀星忌[ 3.26]石川県金沢市犀川の文学碑前で、石川近代文
	学館主催の追悼行事。
むろずみ そしゅん
	室積 徂春
	⇒むろづみ そしゅん(室積 徂春)
むろづみ そしゅん
	室積 徂春
	1886.12.17(明治19)
	1956.12. 4(昭和31)
	◇俳人。本名は尚(タカシ)、旧姓は増永、別号は平明居主人・
	碌々子(ロクロクシ)。滋賀県大津市生れ。早稲田大学中退。
むろぶせ こうしん
	室伏 高信
	1892. 5.10(明治25)
	1970. 6.28(昭和45)
	◇評論家。
	 1939. 2.22(昭和14)杉森孝次郎・清沢洌・三木清らと評論家
	協会設立を設立。
	 訳書は1940(昭和15)『我が闘争』(ヒトラー著)、1945(昭和
	20)『新生の書』など。
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