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                    PDD図書館管理番号       0001.0000.6028.02

                 人   名   辞   典   《いた》      編集:獨  澄旻

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いだ げんせい
	井田 絃声
	1886. 2.(明治19)
	没年不詳
	◇小説家。本名は秀明。
いたがき せいしろう《いたがき せいしらう》
	板垣 征四郎
	1885(明治18)
	1948(昭和23)
	◇陸軍大将。岩手県の出身。
	 石原莞爾(カンジ)とともに満州事変を計画、実行・拡大の責任
	者の一人。1937(昭和12)第1次近衛文麿内閣の陸軍大臣。支那
	派遣軍参謀長・朝鮮軍司令官・軍事参議官などを歴任。
	 第二次世界大戦後、極東国際軍事裁判でA級戦犯として絞首
	刑。
いたがき たいすけ
	板垣 退助
	1837(天保 8. 4.17)
	1919. 7.16(大正 8)
	◇明治期の政治家。名は猪之助・正形、号は無形、旧姓は乾(イ
	ヌイ)。土佐藩の出身。板垣守正(モリマサ)の祖父。
	 討幕運動に参加。鳥羽伏見の戦で藩の大隊司令として出征、
	東山道総督府参謀・大総督府参謀補助として転戦。会津戦争の
	功績で藩政改革を主導。
	 1869(明治 2)明治政府の参与・1870(明治 3)高知藩大参事・
	1871(明治 4)参議。1874(明治 7)愛国公党を組織、民撰議院設
	立建白書を建議。1875(明治 8)大阪会議で参議となるが、下野
	して民権運動を推進。1881(明治14)自由党を創設し党主(日本
	最初の政党の一つ)。1884(明治17)運動の激化で解党、事実上
	の政治生命を終える。
	 1890(明治23)帝国議会開設後、大井憲太郎を中心とした立憲
	自由党の総理。1898(明治31)対立していた進歩党と合同して憲
	政党が組織され、隈板(ワイハン)内閣と呼ばれた大隈重信内閣の内
	相を勤める(日本初の政党内閣)。
	 旧自由党系が伊藤博文の傘下に入り、政友会創立とともに隠
	退。
いたがき たかほ
	板垣 鷹穂
	1894.10.15(明治27)
	1966. 7. 3(昭和41)
	◇西洋美術史家・美術評論家。板垣直子の夫。
いたがき なおこ
	板垣 直子
	1896.11.18(明治29)
	1977. 1.21(昭和52)
	◇文芸評論家。旧姓は平山。青森県生れ。板垣鷹穂(タカホ)の妻。
	 日本女子大学英文科卒業、のち東京大学文学部で美学・哲学
	を聴講。
いたがき もりまさ
	板垣 守正
	1900. 3.15(明治33)
	1951. 7.16(昭和26)
	◇政治家・劇作家。板垣退助の嫡孫(家督は弟に譲る)。
いたくら かつあき
	板倉 勝明
	1809(文化 6.11.11)
	1857(安政 4. 4.10)
	◇江戸後期の上野国安中藩主。勝尚の庶子。
いたくら かつしげ
	板倉 勝重
	1545(天文14)
	1624(寛永元. 4.29)
	◇江戸初期の幕政家。初名は甚平、通称は四郎右衛門・伊賀守。
	三河国額田郡小美村生れ。板倉好重の次男、母は本多光次の娘。
	板倉重宗(シゲムネ)・島原の乱で戦死した重昌(シゲマサ)の父。
	 幼時禅門に入り香峰宗哲と号したが、徳川家康に仕えた父・
	長兄が戦死、家康の命を受けて1581(天正 9)還俗し家を継ぐ。
	1586(天正14)家康が駿府に移り、駿府(スンプ)町奉行となる。
	1590(天正18)家康の関東入封に際し、武蔵国1,000石を領して
	江戸町奉行となり関東代官を兼ねる。1601(慶長 6)京都町奉行、
	のち京都所司代。1609(慶長14)山城・近江などに16,600石を知
	行。1620(元和 6)老齢のため致仕、子の重宗が京都所司代を継
	ぐ。
	 関ヶ原の戦の直後、豊臣方に傾いていた京都で治績をあげる。
	またキリシタン弾圧に努めている。
いたくら かつずみ
	板倉 勝澄
	1716
	1769(明和 6)
	◇下総(シモウサ)国関宿の第七代城主。幼名は新平のち新十郎、初
	名は重規、通称は周防守(スオウノカミ)。重治の長男。
	(*)1716(正徳 6,享保元)。
いたくら しきぶ
	板倉 式部
	生年調査中
	1766(明和 3)
	◇陸奥国福島の城主。名は勝承。
いたくら しげのり
	板倉 重矩
	1617(元和 3)
	1673(寛文13. 5.20)
	◇江戸中期の下野国烏山藩主。重昌の子。
いたくら しげまさ
	板倉 重昌
	1588(天正16)
	1638(寛永15. 1. 1)
	◇江戸前期の武将。通称は宇右衛門・主水・内膳正。駿府生れ。
	板倉勝重(カツシゲ)の次子、母は粟生筑前守永勝の娘、板倉重宗
	(シゲムネ)の弟、重矩(シゲノリ)の父。三河(ミカワ)国深溝の領主。徳
	川家康・秀忠・家光に仕える。
	 1603(慶長 8)徳川家康に仕え、駿府の近習筆頭人。1605(慶
	長10)内膳正。1614(慶長19)大坂冬の陣で天王寺口を守り、講
	和の軍使となる。1633(寛永10)父の遺領に三河国3郡を加え15,
	000石。
	 1637(寛永14.10.)島原の乱に追討使(将軍名代)となり、11.
	10江戸を立ち、11.27小倉に到着。佐賀の鍋島・熊本の細川な
	ど諸大名に出兵せしめ、12. 8島原に到着。幕府はさらに12. 3
	老中松平伊豆守信綱(ノブツナ)を援兵に派遣。12.203万余で島原
	の原城を総攻撃し、幕府方に多数の死傷者を出す。12.28援兵
	を知った重昌は面目を失い、信綱到着( 1. 4)前に島原城を強
	襲し銃弾に当り戦死。
	(2)板倉勝重の3男,……。
	(4)勝重の次子。
	(16)勝重の次子.
いたくら しげむね
	板倉 重宗
	1586(天正14)
	1656(明暦 2.12. 1)
	◇江戸前期の幕政家。名は重統のち十三郎・五郎八、通称は二
	代又左衛門・周防守(スオウノカミ)。駿府生れ。板倉勝重(カツシゲ)の
	長子、板倉重昌(シゲマサ)の兄。母は粟生筑前守永勝の娘。
	 徳川秀忠に仕える。1609(慶長14)従五位下・周防守に叙任。
	大坂冬の陣に従軍。御書院番頭を兼ね、1620(元和 6)老齢の父
	の後を襲い京都所司代を勤める。1623(元和 9)従四位下に叙せ
	られ、のち従四位上。1654(承応 3. 7.)辞職。1656(明暦 2)下
	総(シモウサ)四ヶ国5万石と関宿城を賜る。
	(2)生年は1587(天正14)、没年は1656(明暦2)。
	(4)生年は1587、没年は1656。
	(6)「板倉勝重」の項。生年は1586、没年は1656/57。
	(16)生年は1587(天正14)、没年は1656(明暦2.12.1)。
いたくら ふくけん
	板倉 復軒
	1665(寛文 5)
	1728(享保13. 4.23)
	◇江戸時代の儒学者(古学派)。
いたみ まんさく
	伊丹 万作
	1900. 1. 2(明治33)
	1946. 9.21(昭和21)
	◇映画監督・脚本家。本名は池内義豊。松山市生れ。
	 1917(大正 6)松山中学校卒業。1928(昭和 3)より千恵蔵ブロ
	で監督・脚本家として活躍。
いたや はざん
	板谷 波山
	1872(明治 5)
	1963(昭和38)
	◇陶芸家。本名は嘉七。茨城県下館の出身。東京美術学校卒業。
	 1903(明治36)東京田端に開窯。1953(昭和28)文化勲章を受章。
いちうじ よしなが
	一氏 義良
	1888. 6.11(明治21)
	1952. 2.21(昭和27)
	◇美術評論家。
いちかわ えびぞう
	市川 蝦蔵
	⇒いちかわ だんじゅうろう(市川 団十郎)[5]
いちかわ えんのすけ《いちかは ゑんのすけ》
	市川 猿之助(二世)
	1888. 5.10(明治21)
	1963. 6.12(昭和38)
	◇歌舞伎俳優。本名は喜熨斗(キノシ)政泰。屋号は沢瀉屋(オモダカヤ)。
	初世猿之助(二世市川段四郎)の長男、三世段四郎の父、三世猿
	之助の祖父、木村富子(トミコ)の従兄。
	 死の直前、初世猿翁を名乗る。
いちかわ かくめい
	市川 鶴鳴
	1740(元文 5)
	1795(寛政 7)
	◇江戸後期の儒学(古学)者。名は匡、字は子人、通称は多聞。
	 大内熊耳に学び、高崎藩儒となる。1790(寛政 2)寛政異学の
	禁のとき、これに反対し山本北山(ホクザン)・亀田鵬斎(ホウサイ)・
	塚田大峰(タイホウ)・泉豊洲とともに五鬼と称される。
	(2)(生)武蔵国河越。
	(6)上野(コウズケ)の人。
いちかわ かんさい《いちかは くわんさい》
	市河 寛斎
	1749(寛延 2)
	1820(文政 3. 7.10)
	◇江戸後期の儒者・漢詩人。市河米庵(ベイアン)の父。上野(コウズ
	ケ)の人。昌平坂学問所員長。
	(4)生年は1749。
	(5)「市河米庵」の項:生年は1748。
	(16)生年は1749(寛延 2)。
	(19)生年は1749。
いちかわ けんぎょう《いちかは けんげう》
	市川 検校
	生年不詳
	没年不詳
	◇江戸初期の邦楽家。
	 作品は『春風』など。
いちかわ こだんじ
	市川 小団次(四世)
	1812(文化 9)
	1866(慶応 2. 5. 8)
	◇江戸後期の歌舞伎役者。屋号は高島屋。初世市川左団次の養
	父。
[1]いちかわ さだんじ《いちかは さだんじ》
	市川 左団次(初世)
	1842(天保13.10.28)
	1904. 8. 7(明治37)
	◇歌舞伎俳優。屋号は高島屋。二世左団次の父、四世市川小団
	次の養子。
	 明治座を創設・経営。
	 九世市川団十郎・五世尾上菊五郎とともに明治の三名優と称
	せられる。
[2]いちかわ さだんじ《いちかは さだんじ》
	市川 左団次(二世)
	1880.10.19(明治13)
	1940. 2.23(昭和15)
	◇歌舞伎俳優。本名は高橋栄次郎。屋号は高島屋。初世左団次
	の長男。
	 1906(明治39)左団次を襲名。
	 1909(明治42)小山内薫とともに自由劇場を創立。
[3]いちかわ さだんじ《いちかは さだんじ》
	市川 左団次(三世)
	1898(明治31)
	1969(昭和44)
	◇歌舞伎俳優。前名は市川男女蔵(オメゾウ)。六世市川門之助の
	子。
	 1952(昭和27)三世左団次を襲名。人間国宝。
いちかわ さんき
	市河 三喜
	1886. 2.18(明治19)
	1970. 3.17(昭和45)
	◇英語学者。書家市河米庵(ベイアン)の孫。
いちかわ じゅかい
	市川 寿海(三世)
	1886(明治19)
	1971(昭和46)
	◇歌舞伎俳優。屋号は成田屋。五世市川寿美蔵(スミゾウ)の養子。
	1949(昭和24)襲名。人間国宝。
いちかわ しょういち《いちかは しやういち》
	市川 正一
	1892. 3.20(明治25)
	1945. 3.15(昭和20)
	◇社会運動家。山口県宇部市の人。早稲田大学卒業。
	 1921(大正10)「無産階級」を創刊。
	 渡辺政之輔・佐野学らと日本共産党創立に参加。党機関誌
	「赤旗」を編集。1928(昭和 3)三・一五事件以後の共産党を再建。
	1929(昭和 4)治安維持法適用による共産党党員の大量検挙(四
	・一六事件)で逮捕され、非転向のまま獄死。
	 著書は『日本共産党小史』など。
いちかわ ぜんかい
	市川 禅海
	1883. 9.24(明治16)
	1954. 4.21(昭和29)
	◇海軍軍人・僧侶。本名は恵治。日露海戦で片足切断、のち剃
	髪。
[1]いちかわ だんじゅうろう《いちかは だんじふらう》
	市川 団十郎(初世)(市川 團十郎)
	1660(万治 3. 5.)
	1704(宝永元. 2.19)
	◇江戸元禄期の歌舞伎役者。本名は堀越十蔵、幼名は海老蔵(エ
	ビゾウ)、はじめは段十郎のち団十郎、俳名は才牛、脚色として
	は三升屋兵庫(ミマスヤヒョウゴ)。屋号は成田屋。
	 荒事(アラゴト)芸を創始。坂田藤十郎と並称される。
	 役者生島半六に市村座の舞台で刺され死去。
[2]いちかわ だんじゅうろう《いちかは だんじふらう》
	市川 団十郎(二世)(市川 團十郎)
	1688(元禄元)
	1759(宝暦 9)
	◇江戸時代の歌舞伎役者。初世の子。はじめ九蔵、1704(宝永
	元)襲名、晩年は海老蔵、俳名は柏筵(ハクエン)。屋号は成田屋。
	市川家の基礎を確立。
	(4)没年は1758。俳名栢莚。
	(6)没年は1758。
	(17)没年は1758(宝暦 8. 9.24)。
[3]いちかわ だんじゅうろう《いちかは だんじふらう》
	市川 団十郎(三世)(市川 團十郎)
	1721(享保 6)
	1742(寛保 2)
	◇江戸時代の歌舞伎役者。屋号は成田屋。二世の子。
[4]いちかわ だんじゅうろう《いちかは だんじふらう》
	市川 団十郎(四世)(市川 團十郎)
	1711(正徳元)
	1778(安永 7)
	◇江戸時代の歌舞伎役者。初世松本幸四郎の養子。はじめ松本
	七蔵のち二世幸四郎、1754(宝暦 4)襲名、晩年は海老蔵。屋号
	は成田屋。
[5]いちかわ だんじゅうろう《いちかは だんじふらう》
	市川 団十郎(五世)(市川 團十郎)
	1741
	1806(文化 3.10.29)
	◇江戸寛政期の歌舞伎役者。四世の子。三世松本幸四郎、1770
	(明和 7)襲名、のち蝦蔵(エビゾウ)、俳名は三升・白猿・反古庵、
	狂歌名は花道のつらね。屋号は成田屋。
	(*)1741(元文 6,寛保元)。
[6]いちかわ だんじゅうろう《いちかは だんじふらう》
	市川 団十郎(六世)(市川 團十郎)
	1778(安永 7)
	1799(寛政11)
	◇江戸時代の歌舞伎役者。五世の養子。はじめ海老蔵、1791
	(寛政 3)襲名。屋号は成田屋。
[7]いちかわ だんじゅうろう《いちかは だんじふらう》
	市川 団十郎(七世)(市川 團十郎)
	1791(寛政 3)
	1859(安政 6. 3.27)
	◇江戸時代の歌舞伎役者。五世の孫。はじめ新之助、1799(寛
	政11)襲名、晩年は海老蔵、俳名は三升・寿海(ジュカイ)(初世)。
	屋号は成田屋。
	 歌舞伎十八番を制定。天保の改革のとき奢侈(シャシ)のかどで
	江戸追放。
[8]いちかわ だんじゅうろう《いちかは だんじふらう》
	市川 団十郎(八世)(市川 團十郎)
	1823(文政 6)
	1854(嘉永 7. 8. 6)
	◇江戸時代の歌舞伎役者。七世の長男。はじめ海老蔵、1832
	(天保 3)襲名。屋号は成田屋。
	 大阪で自殺。
[9]いちかわ だんじゅうろう《いちかは だんじふらう》
	市川 団十郎(九世)(市川 團十郎)
	1838(天保 9.10.13)
	1903. 9.13(明治36)
	◇明治の歌舞伎役者。七世の5男、八世の弟。本名は堀越秀、
	河原崎家へ養子となり、長十郎・権十郎・権之助を経て、1874
	(明治 7)襲名。俳名は寿海(ジュカイ)(二世)。屋号は成田屋。
	 「活歴(カツレキ)」という新史劇を創始。新歌舞伎十八番を制定。
	五世尾上菊五郎(オノエ・キクゴロウ)と並称される。
	◎浅草寺の裏に「九代目市川團十郎・暫の像」がある。
[10]いちかわ だんじゅうろう《いちかは だんじふらう》
	市川 団十郎(十世)(市川 團十郎)
	1882(明治15)
	1952(昭和27)
	◇歌舞伎俳優。屋号は成田屋。九世の女婿。十世を死後に追贈。
[11]いちかわ だんじゅうろう《いちかは だんじふらう》
	市川 団十郎(十一世)(市川 團十郎)
	1909(明治42)
	1965(昭和40)
	◇歌舞伎俳優。本名は堀越治雄、九世高麗蔵(コマゾウ)・九世海
	老蔵。1962(昭和37)襲名。屋号は成田屋。七世市川幸四郎の長
	男、十世の養子。
[1]いちかわ だんしろう《いちかは だんしらう》
	市川 段四郎(二世)
	1855(安政 2)
	1922(大正11)
	◇歌舞伎俳優。前名は初世猿之助。二世猿之助の父、三世段四
	郎の祖父。九世市川団十郎の門弟で、下級俳優からの出世。
[2]いちかわ だんしろう《いちかは だんしらう》
	市川 段四郎(三世)
	1908(明治41)
	1963(昭和38)
	◇歌舞伎俳優。二世猿之助の長男、四世段四郎の父、二世段四
	郎の孫。
いちかわ ふさえ《いちかは ふさえ》
	市川 房枝
	1893. 5.15(明治26)
	1981. 2.11(昭和56)
	◇婦人運動家・政治家。愛知県の出身。愛知女子師範学校卒業。
	 小学校教員・新聞記者を経て、1920(大正 9)平塚らいてうと
	新婦人協会を設立。
	 1953(昭和28)以降、参議院3期連続当選。1971(昭和46)落選
	し、1974(昭和49)再度出馬し全国区上位当選する。
いちかわ べいあん《いちかは べいあん》
	市河 米庵
	1779(安永 8)
	1858(安政 5. 7.18)
	◇江戸幕末の書家。名は三亥、字は孔陽。市河寛斎(カンサイ)の子、
	英語学者市河三喜(サンキ)の祖父。
	 貫名海屋(ヌキナ・カイオク)・巻菱湖(マキ・リョウコ)とともに幕末の三筆
	の一人。
いちかわ まさよし
	市川 正好
	1675(延宝 3)
	1757(宝暦 7)
	◇江戸中期の尾張藩木曽山奉行。
いちかわ やおぞう
	市川 八百蔵(九世)
	1906(明治39)
	没年調査中
	◇歌舞伎俳優。
	 幸四郎(七世)に入門。のち猿之助劇団を経て、八百蔵を襲名。
いちかわ ゆきひで
	市川 行英
	生年不詳
	没年不詳
	◇江戸時代の和算家。
	 1836(天保 7)『合類算法』を著し、方陣布列法などを説く。
いちき きとくろう《いちき きとくらう》
	一木 喜徳郎
	1867(慶応 3. 4. 4)
	1944.12.17(昭和19)
	◇明治〜昭和前期の法学者・内務官僚・宮中政治家・「天皇機
	関説」の創始者。掛川藩士岡田良一郎の次男、岡田良平の弟、
	一木家の養子。
	 1887(明治20)帝国大学法科大学(現:東京大学)卒業し、同年
	内務省に入る。
	 1890(明治23)地方制度研究のためドイツに留学し、行政法学
	を専攻。帰国後、1894(明治27)東京大学教授兼内務書記官。
	 1900(明治33)貴族院議員。法制局長官・内務次官などを歴任。
	 1914(大正 3)第二次大隈内閣の文部大臣、1915(大正 4)内務
	大臣。
	 1917(大正 6)枢密顧問官。1924(大正13)枢密院副議長。1925
	〜1933(大正14〜昭和 8)宮内大臣。
	 1934(昭和 9)枢密院議長、在任中に天皇機関説論者として攻
	撃の矢面に立たされて、1936(昭和11)の二・二六事件後に辞任。
	 のち大日本報徳社社長。
	 著書は『行政法』・『行政学』など。
いちじま しゅんじょう
	市島 春城
	1860(安政 7. 2.17)
	1944. 4.21(昭和19)
	◇随筆家。本名は謙吉、幼名は雄之助。
いちじょう かねよし
	一条 兼良
	1402(応永 9. 5. 7)
	1481(文明13. 4. 2)
	◇室町中期の歌人・古典学者・公卿。「かねら」,「かねなが」と
	も。通称は一条禅閤(ゼンコウ)・後成恩寺(ゴジョウオンジ)(関白)、
	別号は桃華野人・桃華老人・三関老人・東斎、法号は覚恵。関
	白一条経嗣(ツネツグ)の6男、摂政関白二条良基(ヨシモト)の孫。教
	房・冬良(フユラ)の父。雲章一慶(ウンショウ・イッケイ)の弟。
	 1412(応永19)兄の権大納言経輔が病弱で退隠し、元服して家
	督を継ぎ兼良(カネヨシ)と名乗る。12歳で従四位下権中将、19歳で
	左近衛大将、20歳で内大臣、23歳で右大臣、31歳で摂政太政大
	臣。1446(文安 3)太政大臣となり、1447(文安 4)46歳で関白氏
	長者(ウジノチョウジャ)・准后とも呼ばれ、1453(享徳 2)辞職。
	 1467(応仁元. 5.)66歳で再び関白となるが、応仁の乱(1467
	〜1477)で一家は離散する。1470(文明 2)関白を辞職。1473(文
	明 5)72歳で出家し、覚恵と改める。1477(文明 9)帰京。
	 当代随一の学者といわれたが、晩年は日野富子に迎合する。
	 著書『尺素往来(セキソオウライ)』・『公事根源(クジコンゲン)』・
	『花鳥余情』・『樵談治要(ショウダンチヨウ)』・『文明一統記』。
	◎『耳底記(ジテイキ)』に「かねよし」と振り仮名している。
	(26)誕生日は応永九年五月二十七日。
いちじょう かねら《いちでう かねら》
	一条 兼良
	⇒いちじょう かねよし(一条 兼良)
いちじょう ただより
	一条 忠頼
	生年不詳
	1184. 7.25(元暦元. 6.16)
	◇平安末期・鎌倉前期の武将。武田信義の子で、甲斐源氏の嫡
	流。
	 1184(寿永 3. 1.)木曽義仲追討などで活躍するが、源頼朝は
	甲斐源氏の勢力拡大を恐れ、同年1184(元暦元. 6.)幕府御所に
	て頼朝の密命を受けた小山田有重・天野遠景らにより誅殺。
いちじょう てんのう《いちでう てんわう》
	一条 天皇
	 980(天元 3. 6.)
	1011(寛弘 8. 6.22)
	◇第66代天皇。名は懐仁(ヤスヒト)。第64代円融天皇の第1皇子、
	母は藤原兼家の娘東三条院詮子。
	 即位: 986(寛和 2. 7.22)、譲位:1011(寛弘 8. 6.13)。
いちじょう なるみ
	一条 成美
	1877. 9.25(明治10)
	1910. 8.12(明治43)
	◇画家。
いちじょう ふゆら《いちでう ふゆら》
	一条 冬良
	1464(寛正 5)
	1514(永正11. 3.27)
	◇室町後期の公卿・古典学者。「ふゆなが」,「ふゆよし」とも。
	兼良の次子、兄教房の嗣子。
	 1479(文明11)右大正に昇任し、一条家を継ぐ。関白太政大臣
	となる。
	 宗祇に『新撰菟玖波集(シンセンツクバシュウ)』を撰せしめる。著書
	『世諺問答』。
いちのみや いきちろう
	一宮 豬吉郎
	生年不詳
	1882. 2. 7(明治15)
	◇新聞記者・小説家。号は嘯風子。正楽寺住職安満勝了のこと
	を書き讒謗律に問われ自殺(二十歳に満たなかったらしい)。
いちのみや ながつね
	一宮 長常
	1722(享保 7)
	1786(天明 6)
	◇江戸中期の京都の金工。通称は粕屋忠八、号は雪山・蟻行子
	・含章子。
	 絵を石田幽汀に学ぶ。
[1]いちむら うざえもん《いちむら うざゑもん》
	市村 羽左衛門(初世)(市村 宇左衛門)
	1605(慶長10)
	1652
	◇歌舞伎の座元。本名は村山又三郎。泉州堺の人。江戸に村山
	座(のち市村座)を創設。
	(*)1652(慶安 5,承応元)。
[2]いちむら うざえもん《いちむら うざゑもん》
	市村 羽左衛門(三世)(市村 宇左衛門)
	生年不詳
	1686(貞享 3)
	◇歌舞伎の座元。初めて市村宇左衛門と称する。村山座を市村
	座と改名。
[3]いちむら うざえもん《いちむら うざゑもん》
	市村 羽左衛門(八世)(市村 宇左衛門)
	1689(元禄 2)
	1762(宝暦12)
	◇歌舞伎俳優・座元。屋号は菊屋。七世の弟。宇左衛門を羽左
	衛門と改める。
[4]いちむら うざえもん《いちむら うざゑもん》
	市村 羽左衛門(十三世)
	⇒[3]おのえ きくごろう(尾上 菊五郎)
[5]いちむら うざえもん《いちむら うざゑもん》
	市村 羽左衛門(十四世)
	1847(弘化 4)
	1893(明治26)
	◇歌舞伎俳優。十二世の三男。のち坂東家橘と改名。
[6]いちむら うざえもん《いちむら うざゑもん》
	市村 羽左衛門(十五世)
	1874(明治 7)
	1945(昭和20)
	◇歌舞伎俳優。屋号は橘屋。十四世の養子。生世話(キゼワ)の名
	人。
いちむら さんじろう《いちむら さんじらう》
	市村 (「王」偏+「贊」)次郎
	1864(元治元. 8. 9)
	1947. 2.23(昭和22)
	◇中国史学者。号は器堂。東京大学教授。
[1]いちりゅうさい ていざん
	一竜斎 貞山(五世)(一龍斎 貞山)
	1863(文久 3)
	1935(昭和10)
	◇講談師。本名は青山岳次郎。のち錦城斎典山を襲名。
[2]いちりゅうさい ていざん
	一竜斎 貞山(六世)(一龍斎 貞山)
	1876(明治 9)
	1945(昭和20)
	◇大正・昭和期の講談師。本名は桝井長四郎。
[1]いちりゅうさい ていじょう《いちりゆうさい ていぢやう》
	一竜斎 貞丈(五世)(一龍斎 貞丈)
	1906. 8.13(明治39)
	1968. 7.27(昭和43)
	◇講談師。貞丈(六世)の父。
[2]いちりゅうさい ていじょう《いちりゆうさい ていぢやう》
	一竜斎 貞丈(六世)(一龍斎 貞丈)
	1926. 9. 2(大正15)
	2003.10. 1(平成15)
	◇講談師。本名は柳下基一(ヤナギシタ・キイチ)。貞丈(五世)の子。
	 1949(昭和24)父貞丈に師事。
	 1956(昭和31)真打となる。
	 1969(昭和44)貞丈を襲名。
	 2001(平成13)講談協会会長。
いつき せいさい
	斎宮 静斎
	1727(享保12)
	1778(安永 7)
	◇江戸中期の漢学(古学)者・医者。名は必簡。安芸の人。
	 服部南郭(ハットリ・ナンカク)に学ぶ。
いっきゅう そうじゅん《いつきう そうじゆん》
	一休 宗純
	1394(応永元. 1. 1)
	1481(文明13.11.21)
	◇室町中期の漢詩人・禅僧(臨済宗)。幼名は周建のち宗純、字
	は一休、号は狂雲子・夢閨(ムケイ)。京都生れ。後小松天皇の落
	胤といわれる。
	 6歳で出家。21歳のとき琵琶湖で投身自殺を図る。華叟和尚
	に師事。
	 諸国を漫遊し、1474(文明 6)以降京都大徳寺に住持。応仁の
	乱で荒廃した同寺を、堺の豪商の援助を受けて再興。性洒脱、
	奇行に富み、狂歌を多く詠んだ。
いっしき せいせん
	一色 醒川
	1877. 7. 7(明治10)
	1910.12. 2(明治43)
	◇詩人。本名は義朗、別号は白浪・夢涯。
いっぴつさい ぶんちょう
	一筆斎 文調
	生年不詳
	没年不詳
	◇江戸中期の浮世絵師。春信風の美人画を描く。
いっぺん
	一遍
	1239
	1289(正応 2. 8.23)
	◇鎌倉中期の僧。時宗(ジシュウ)の開祖。幼名は松寿丸、諱(イミナ)
	は智真(チシン)、通称は遊行上人(ユギョウショウニン)・捨聖(ステヒジリ)、
	諡号(シゴウ)は円照大師・証誠大師。伊予国風早郡河野郷別府の
	河野七郎通広入道如仏の子。道後の宝厳寺(現:松山市道後湯月
	町)生れ。
	 1248(宝治 2)母と死別して天台宗継教寺で出家し、隋縁と名
	乗る。1251(建長 3)九州に赴き、聖達(ショウダツ)(法然の門弟証
	空の弟子)・華台(ケダイ)に師事し、智真と改名。
	 1263(弘長 3)父が亡くなり、還俗して家督を継ぎ武士となる。
	 1271(文永 8)再び出家し信濃国善光寺に参籠。1274(文永11.
	 2. 8)紀伊国熊野に参籠し霊験を得て、念仏弘通の大願を発し、
	勧進帳・念仏札を携え諸国遊行(ユギョウ)の途につく。このとき
	は妻と娘・従者を連れている。
	 一遍と改名し、単独で遊行。1277(建治 3)他阿(タア)が入門、
	同行者となる。中国地方・京都・信州・奥州と遊行、従者も増
	えて時衆と呼ばれる。1279(弘安 2)信濃国佐久郡伴野(トモノ)で
	念仏踊(ネンブツオドリ)を民衆に勧めた。
	 兵庫の観音堂で没する。
	(*)1239(暦仁 2,延応元)。
	◆遊行忌(一遍忌)[旧暦 8.23]。
	◆墓所は神戸市真光寺。
	◎『絵詞伝』は前4巻が一遍上人、後6巻が他阿の事績に当て
	られている。
いで だいすい
	井出 台水
	1865(慶応元. 4. 5)
	没年不詳
	◇陸軍主計中将・俳人。本名は治、別号は彭洋。
いで はっせい
	井出 八井
	1887. 1.29(明治20)
	1940. 9.27(昭和15)
	◇歌人。本名は重儀(シゲノリ)。
いでみつ さぞう
	出光 佐三
	1885(明治18)
	1981(昭和56)
	◇昭和期の実業家。福岡県生れ。
	 1940(昭和15)出光興産を設立、1966(昭和41)会長。
	 貴族院議員。出光美術館を開設。
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