フレーム版に戻る ノンフレーム版に戻る ホームページに戻る

                    PDD図書館管理番号       0001.0000.6541.03

                 人   名   辞   典    《ふ》       編集:獨  澄旻

-------- ふ ----------------------------------------------------
ふう ぎょくしょう《ふう ぎよくしやう》
	馮 玉祥
	1880(明治13)
	1949(昭和24)
	◇中華民国の軍閥政治家・西北軍閥の首領。Feng Yu-xiang。
	クリスチャン・ゼネラルと呼ばれる。安徽(アンキ)省巣県の人。
	李徳全はその妻。
	 軍閥安徽派の段祺瑞(ダン・キズイ)に従い、のち呉佩孚(ゴ・ハイフ)
	の直隷(チョクレイ)派に接近、さらに1924年第2次奉直戦争では張
	作霖(チョウ・サクリン)の奉天派と結んで北京でクーデタを断行。奉天
	派は段祺瑞を擁して臨時政府を組織。のち奉天を攻めて失敗し、
	1926年下野してソビエトを訪問。
	 帰国後、国民党に入って、蒋介石の北伐軍に呼応したが、や
	がて蒋と対立。
	 日中戦争後、内戦反対を声明し反蒋介石運動を起したが失敗。
	 アメリカからの帰途に事故死。
	(19)没年は1948。
	(26)没年は1949。
	◎日本読みでは「ひょう ぎょくしょう」とも。
	◎クーデタの際、紫禁城に幽閉されていた宣統帝(溥儀)は脱出
	し、日本の保護を受け、後に満州皇帝となる。
ふぇのろさ
	フェノロサ
	1853. 2.18(嘉永 6)
	1908. 9.21(明治41)
	◇哲学者・美術研究家。本名はErnest Francisco Fenollosa。
	マサチューセッツ州セーレム生れのアメリカ人。1878(明治11)
	東京大学に招かれ来日、1890(明治23)帰国。
	(1)誕生日は 2.18。
	(3)誕生日は 2.19。
	(5)誕生日は 2.18。
	(10)誕生日は 2.18。
	(11)誕生日は 2.18。
ふかい えいご
	深井 英五
	1871(明治 4.11.20)
	1944.10.21(昭和19)
	◇新聞雑誌記者・銀行家。
ふかお すまこ
	深尾 須磨子
	1888.11.28(明治21)
	1974. 3.31(昭和49)
	◇大正・昭和期の詩人。兵庫県丹波生れ。
	 京都師範学校を経て、京都菊花高等女学校卒業。1912(明治
	45)深尾賛之丞と結婚、1920(大正 9)夫が病死。1925〜1927(大
	正14〜昭和 2)渡欧。
	(2)生年はは1888(明治21)。
	(10)誕生日は1888.11.18(明治21)。
	(11)誕生日は1888.11.28(明治21)。
	(13)誕生日は1893.11.28(明治26)。
ふかさく きんじ
	深作 欣二
	1930(昭和 5)
	2003. 1.12(平成15)
	◇映画監督。茨城県水戸市生れ。女優中原早苗(サナエ)の夫。
	 1953(昭和28)日本大学芸術学部、卒業。同年、東映に入社し、
	マキノ雅弘・佐々木康監督らに師事。
	 1961(昭和36)中編『風来坊探偵・赤い谷の惨劇』で監督デビュ
	ー。
	 1969(昭和44)黒沢明監督が日本側の監督を降板した日米合作
	映画『トラ・トラ・トラ!』を舛田利雄とともに監督。
	 1973(昭和48)広島の暴力団抗争をモデルにした菅原文太(ブン
	タ)主演の実録仁侠(ニンキョウ)映画『仁義なき戦い』はシリーズ化
	される。
	 1982(昭和57)『蒲田行進曲』で毎日映画コンクール賞・キネ
	マ旬報監督賞、受賞。
	 1996(平成 8)日本映画監督協会理事長。
	 1997(平成 9)紫綬褒章、受章。
	 死因は前立腺ガン。
	 監督作品は、1964(昭和39)『ジャコ萬と鉄』(再映画化)・同
	年『狠と豚と人間』・1986(昭和61)『火宅の人』・1994(平成
	 6)『忠臣蔵外伝・四谷怪談』など。
ふかざわ しちろう
	深沢 七郎
	1914. 1.29(大正 3)
	1987. 8.18(昭和62)
	◇小説家・ギター奏者。芸名は桃原青二。山梨県東八代郡石和
	(イサワ)町生れ。自伝によると四月生れだが、早生れとするため
	一月生れで届けた。県立日川中学校卒業。
	 著書『楢山節考(ナラヤマブシコウ)』など。
ふかざわ しょうさく
	深沢 正策
	1889. 2.22(明治22)
	没年不詳
	◇翻訳家。
ふかせ もとひろ
	深瀬 基寛
	1895.10.12(明治28)
	1966. 8.21(昭和41)
	◇英文学者・評論家・随筆家。高知県生れ。1919(大正 8)東京
	大学英文科卒業。
ふかだ きゅうや《ふかだ きうや》
	深田 久弥(深田 久彌)
	1903. 3.11(明治36)
	1971. 3.21(昭和46)
	◇小説家・山岳紀行家。石川県大聖寺町生れ。一時、北畠八穂
	の夫。
	 福井中学校・第一高等学校を経て、1930(昭和 5)東京大学哲
	学科中退。
	 茅ヶ岳(カヤガタケ)を登山中、脳卒中で死亡。
	 著書は小説『オロッコの娘』・『あすならう』などや紀行
	『日本百名山』・『ヒマラヤの高峰』など。
ふかだ やすかず
	深田 康算
	1878.10.19(明治11)
	1928.11.12(昭和 3)
	◇美学者。ラファエル・ケーベル博士に学ぶ。
ふぎ
	溥儀
	⇒あいしんかくら ふぎ(愛新覚羅 溥儀)
ふきや こうじ
	蕗谷 虹児
	1898(明治31)
	1979(昭和54)
	◇挿絵画家。本名は一男。新潟県新発田市生れ。
	 1912、14歳のとき同郷の日本画尾竹竹坡(チクハ)に弟子入りす
	るため上京。父の失職により帰郷し映画の絵看板を描いて生計
	を立てる。地方記者の父を追って、1915(大正 4)樺太に渡り、
	5年間放浪する。竹久夢二の紹介で「少女画報」に挿絵を描く。
	「令女界」で活躍。
	 急性心不全により死去。
	 「きんらんどんすの帯しめながら」の『花嫁人形』を作詩。
	 妻竜子は松本かつぢの妹。
	(*)1912(明治45,大正元)。
ふくい がくほ
	福井 学圃
	1868(慶応 4)
	1918.10.30(大正 7)
	◇漢詩人。名は繁、通称は繁太郎、字は公簡、号は学圃。
ふくい きゅうぞう《ふくゐ きうざう》
	福井 久蔵
	1867(慶応 3.11.18)
	1951.10.23(昭和26)
	◇国文学者。
	 学習院大学・駒沢大学・東洋大学教授。
	 著書は『連歌の史的研究』・『大日本歌書綜覧』・『犬筑波
	集研究と諸本』・『日本文法史』など。
ふくい こうじゅん《ふくゐ かうじゆん》
	福井 康順
	1898(明治31)
	1991. 1.21(平成 3)
	◇中国哲学者・僧侶(天台宗)。
	 大正大学教授。
	 1972〜1975(昭和47〜昭和50)大正大学学長。
	 急性心不全により死去。
ふくい としお《ふくゐ としを》
	福井 敏雄
	1921. 3.11(大正10)
	2005. 4.27(平成17)
	◇気象予報士・気象評論家。徳島県出身。
	 1944(昭和19)気象技術官養成所(現:気象大学校)を卒業し、
	陸軍気象部に配属。
	 徳島地方気象台などを経て、1964(昭和39)大阪管区気象台の
	予報官となる。
	 1971(昭和46)ラジオ番組に初出演。
	 1980(昭和55)退官。その後、関西テレビなどの天気予報コー
	ナーを担当。
ふくおか たかちか《ふくをか たかちか》
	福岡 孝弟
	1835(天保 6. 2. 6)
	1919. 3. 5(大正 8)
	◇江戸幕末・江戸時代の政治家。通称は藤次(トウジ)。
	 土佐藩家老福岡家の支族に生れる。
	 1863(文久 3)藩主側役(ソバヤク)。
	 1867(慶応 3)土佐藩の参政。同年10月、藩主山内容堂(ヨウドウ)
	の意を受けて藩士後藤象二郎(ショウジロウ)らとともに二条城で将軍
	徳川慶喜(ヨシノブ)に謁見し、大政奉還の理を建議。
	 王政復古直後の1867(慶応 3.12.12)参与に任じられ、由利公
	正(キミマサ)と『五箇条の御誓文』を起草。また、『政体書』の起
	草にも参画。
	 1870(明治 3)土佐藩大参事として板垣退助ととともに藩政改
	革を断行。
	 1872(明治 5)文部大輔(タイフ)ついで司法大輔を歴任。
	 1875(明治 8)元老院議官、1881(明治14)参議兼文部卿(キョウ)、
	1884(明治17)子爵、1888(明治21)枢密顧問官などを歴任。
ふくおか とおる
	福岡 徹
	1924. 3.30(大正13)
	1974. 8. 2(昭和49)
	◇小説家。本名は富安徹太郎。
ふくおか ますお
	福岡 益雄
	1894. 9.17(明治27)
	1969.12.24(昭和44)
	◇出版人。1918(大正 7)金星堂を創業。
ふくざわ ゆきち《ふくざは ゆきち》
	福沢 諭吉(福澤 諭吉)
	1835(天保 5.12.12)
	1901. 2. 3(明治34)
	◇明治時代の啓蒙思想家・教育家・評論家。幼名は範(ハン)、字
	(アザナ)は子囲(シイ)、号は雪池(セッチ)・卅一谷人、一時期は中村
	姓。豊前国中津の奥平藩の下級武士として大阪蔵屋敷に生れる。
	 1855(安政 2)大坂の緒方洪庵の適々斎塾で蘭学を学び、塾頭
	となる。のち独学で英学を修める。
	 1858(安政 5)藩命により江戸に出て築地鉄砲州の奥平家中屋
	敷に蘭学塾を開く。
	 1860(万延元)咸臨丸(カンリンマル)で軍艦奉行木村図書摂津守の従
	僕として渡米。1861(文久元)翻訳方として幕府遣欧使節に随行。
	1867(慶応 3)幕府の軍艦購入使節に加わり渡米。
	 芝の新銭座の有馬家中屋敷を買い、1868. 4.(慶応 4)蘭学塾
	(のち英学塾,現:慶応義塾)を鉄砲洲に創設、のち1871(明治 4)
	三田に移す。
	 1882(明治15)「時事新報」を創刊。
	 脱亜入欧・官民協調・国会開設を主張した。日清戦争では主
	戦論を展開。
	 著書は1866〜1870(慶応 2〜明治 3)『西洋事情』・『世界国
	尽』・1872〜1876(明治 5〜明治 9)『学問のすゝめ』・1875
	(明治 8)『文明論之概略』・1878(明治11)『通俗民権論』・
	1878(明治11)『通俗国権論』・1882(明治15)『帝室論』・1885
	(明治18)『日本婦人論』・1893(明治26)『実業論』・『脱亜論』
	・1897(明治30)『福翁自伝(福翁百話)』など。
	◎『学問のすゝめ』:天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ、人ノ下ニ人ヲ
	造ラズ。
	 『福翁自伝』:封建制度は親の敵でござる。
	◎田口卯吉(ウキチ)・天野為之(タメユキ)とともに明治の三大経済学
	者と称される。
	◎過激な征韓論者であった。
	◎1984.11. 1(昭和59)発行の新札1万円の肖像に採用。
ふくし こうじろう
	福士 幸次郎
	1889.11. 5(明治22)
	1946.10.11(昭和21)
	◇詩人。筆名は黄雨(初期)。青森県弘前市本町生れ。中学中退。
ふくしま しげたろう
	福島 繁太郎
	1895. 2.29(明治28)
	1960.11.10(昭和35)
	◇美術評論家。
ふくしま しょうらい
	福島 小蕾
	1891. 7.15(明治24)
	1969. 2. 2(昭和44)
	◇俳人。本名は亮。
ふくしま つなしげ
	福島 綱成
	⇒ほうじょう つなしげ(北条 綱成)
ふくしま まさのり
	福島 正則
	1561(永禄 4)
	1624(寛永元. 7.13)
	◇安土桃山・江戸初期の武将。幼名は市松、のち羽柴正則、通
	称は左衛門大夫・羽柴清州侍従。福島正光の養子、母は豊臣秀
	吉の叔母(大政所の妹)。
	 1578(天正 6)秀吉の軍に従い、播磨三木城を攻める。1583
	(天正11)賤ヶ岳の戦で戦功をあげ、賤ヶ岳七本槍の一人に数え
	られ、近江栗太郡2,900石・河内八上郡2,036石を賜る。1585
	(天正13)伊予今治城主、10万石。1592(天正20)文禄の役で朝鮮
	に出兵。1595(文禄 4)断罪された豊臣秀次に替って尾張清州城
	主24万石・羽柴姓を賜る。
	 秀吉の死後は石田三成との不和から徳川家康の東軍に属し、
	安芸一国・備後49万8千石を賜る。1614(慶長19)大坂冬の陣で
	は家康に疑われ江戸の留守を命ぜられる。1619(元和 5)洪水で
	広島城の破損した箇所を直したのを口実に、無届けで城を修築
	したとして改易、福島家は越後魚沼郡25千石・信濃川中島45千
	石、正則は高井野村に蟄居。剃髪し馬斎と号し、同地で病死。
ふくしま まさみ
	福島 正実
	1929. 2.18(昭和 4)
	1976. 4. 9(昭和51)
	◇翻訳家・SF作家。本姓は加藤。
ふくしま やすまさ
	福島 安正
	1852(嘉永 5)
	1919(大正 8)
	◇陸軍軍人・大将。信州松本生れ。
	 1892(明治25)ドイツから帰国するに当り(当時中佐)、シベリ
	ア事情探査のため、単騎ベルリンを発してシベリアを横断し成
	功。
	 情報将校として参謀本部に勤務。日露戦争(1904〜1905)では
	満州軍参謀。次長にいたる。
ふくだ えいいち
	福田 栄一
	1909. 4.30(明治42)
	1975. 2. 9(昭和50)
	◇歌人。東京生れ。東洋大学中退。
ふくだ ぎょうかい
	福田 行誡
	1806(文化 3)
	1888. 4.25(明治21)
	◇江戸幕末・明治前期の歌人・僧侶(浄土宗)。通称は高徳、号
	は建蓮社立誉(ケンレンシャリュウヨ)。武蔵国生れ。
	 幼く仏門に入り、増上寺などをへて知恩院門主、浄土宗管長。
	(2)生年は1809(文化 6)。
	(10)生年は1809(文化 6. 4. 9)。
	(11)生年は1806(文化 3)。
ふくだ きんげつ
	福田 琴月
	1875. 7.22(明治 8)
	1914. 6.13(大正 3)
	◇小説家・児童文学者。本名は喜八。
ふくだ すまこ
	福田 須磨子
	1922. 3.23(大正11)
	1974. 4. 2(昭和49)
	◇詩人。長崎で被爆。
ふくだ とくぞう《ふくだ とくざう》
	福田 徳三
	1874.12. 2(明治 7)
	1930. 5. 8(昭和 5)
	◇明治・大正時代の経済学者。東京生れ。
	 ドイツに留学。
	 東京高等商業学校(のち東京商科大学、現在の一橋大学)教授。
	 日本の経済学を開拓し、西欧経済学の導入・定着に貢献。
	 1918(大正 7)吉野作造(サクゾウ)らと黎明会(レイメイカイ)を組織し、
	雑誌「解放」を編集。
	 著書は『日本経済史論』・『社会政策と階級闘争』など。
ふくだ とよしろう《ふくだ とよしらう》
	福田 豊四郎
	1904.11.27(明治37)
	1970. 9.27(昭和45)
	◇画家。本名は豊城。
ふくだ はりつ
	福田 把栗
	1865(慶応元)
	1944. 9.10(昭和19)
	◇僧侶・漢詩人・俳人。名は世耕、号は静処(詩)・古山人(絵)。
ふくだ ひでこ
	福田 英子
	1865(慶応元.10. 5)
	1927. 5. 2(昭和 2)
	◇明治・大正時代の婦人解放運動家。旧姓は景山。岡山藩の下
	級武士景山確(カタシ)の三女。備前国岡山生れ。
	 小学校を卒業し、1880(明治13)母校の助教諭。
	 1882(明治15)岸田俊子(トシコ)の岡山遊説を機会に自由民権運
	動に参加。
	 1883(明治16)母とともに私塾蒸紅学舎(ジョウコウガクシャ)を設立
	し、女子教育にも従事。また岡山女子懇談会を結成し婦権の覚
	醒を促(ウナガ)したが県令で禁止。
	 上京して自由党に入る。自由党解党後、同志大井憲太郎らと
	とともに朝鮮改革運動に加わる。
	 1885(明治18)自由民権左派の計画に連座して大井らと入獄
	(大阪事件)。
	 1889(明治22)出獄し、大井と結婚し1子をもうけるが離別。
	 東京で女子実業学校を設立するが、まもなく廃校。
	 1893(明治26)社会運動家福田友作(トモサク)と結婚し3子をもう
	けたが、1900(明治33)死別。
	 1901(明治34)角筈(ツノハズ)女子工芸学校を設立。
	 石川三四郎の影響で社会主義に近づき、平民社に入る。
	 1907(明治40)石川らと雑誌「世界婦人」を創刊し主筆。翌年、
	弾圧で廃刊。また、「青鞜(セイトウ)」にも寄稿するなど、婦権拡張
	に努めた。
	 著書は1904(明治37)自叙伝『妾(ワラワ)の半生涯』・『婦人問
	題の解決』など。
	(1)没日は 5. 2。
	(3)没日は 5.20。
	(5)没日は 5. 2。
	(10)没日は 5. 2。
	(11)没日は 5. 2。
ふくだ まさお
	福田 正夫
	1893. 3.26(明治26)
	1952. 6.26(昭和27)
	◇詩人。俳号は愚明、旧姓は堀川。神奈川県小田原生れ。
	 小田原師範学校を経て東京高等師範学校中退。
ふくだ ゆうさく
	福田 夕咲
	1886. 3.12(明治19)
	1948. 4.26(昭和23)
	◇詩人。本名は有作。岐阜県生れ。
	 早稲田大学英文科卒業。
	(1)没日は 3.26。
	(3)没日は 4.26。
	(5)没日は 4.26。
	(10)没日は 4.26。
	(11)没日は 4.26。
ふくだ らんどう
	福田 蘭童
	1905. 5.15(明治38)
	1976.10. 8(昭和51)
	◇随筆家。本名は幸彦。洋画家青木繁(シゲル)の息子。
	 『笛吹童子』などの作曲もする。
ふくだ りつろう
	福田 律郎
	1922. 2.11(大正11)
	1965. 6.30(昭和40)
	◇詩人。本名は佃八郎。
ふくち おうち《ふくち あうち》
	福地 桜痴(福地 櫻痴)
	1841(天保12. 3.23)
	1906. 1. 4(明治39)
	◇明治時代の新聞記者・劇作家・小説家。本名は源一郎(ゲンイチ
	ロウ)、幼名は八十吉(ヤソキチ)、字は尚甫(ショウホ)。初号は星泓(セイオウ)、
	別号は夢の屋、諱は万世(ツムヨ)。桜痴は愛妓の名に由来すると
	いう。「池の端御前」と呼ばれる。福地信世(ノブヨ)の父。
	 備前国長崎新石灰町に儒医苟庵の末子として生れる。
	 漢学・蘭学を学び、江戸に上る。
	 1859(安政 6)森山多吉郎の塾で英学を修める。同年、幕府外
	国方に出仕。
	 1861(文久元)・1865(慶応元)遣欧使節に通訳として2度随行。
	 明治維新の大政奉還に反対を建言。
	 1868(慶応 4)戊辰戦争で「江湖新聞」を発刊して薩長討幕軍を
	非難し幕軍勝利の報せを宣伝し、明治政府により発行禁止を受
	け入獄したが、短期日で釈放。
	 1869(明治 2)英・仏語学校日新舎を中江兆民と経営。
	1870〜1874(明治 3〜明治 7)大蔵省に出仕。1870(明治 3)伊藤
	博文に従い渡米、また1871(明治 4)岩倉遣外使節に一等書記官
	としも洋行。
	 1874〜1887(明治 7〜明治20)太政官記事御用の「東京日日新
	聞」主筆から社長になる。御用記者と非難されながらも政府系
	の論陣を張り、自由民権論に対抗して主権在君論を展開。
	 株式取引所理事長・東京府会議長などを歴任。
	 1882(明治15)御用政党の立憲帝政党を結成し、「東京日日新
	聞」を機関紙とするが、国民の支持を得られず翌年解散。
	 1883(明治16)「官報」の発行後、東京日日新聞は経営不振とな
	り、1884(明治17)退社。
	 のち、劇作家・小説家として活躍。
	 歌舞伎役者としても活躍し、歌舞伎の改良運動に尽力、歌舞
	伎座の創設を提唱し、1889(明治22)歌舞伎座の設立に参画。
	 1904(明治37)衆院議員。
	 著書は『幕府衰亡論』・『幕末政治家』・『懐往事談・附新
	聞紙実歴』、小説『もしや草紙』・『伏魔殿』、戯曲『春日局』
	など。
	◆墓は東京都台東区の谷中霊園。
ふくち きがい《ふくち きぐわい》
	福内 鬼外
	⇒ひらが げんない(平賀 源内)
ふくち げんいちろう《ふくち げんいちらう》
	福地 源一郎
	⇒ふくち おうち(福地 桜痴)
ふくち のぶよ
	福地 信世
	1877. 7.15(明治10)
	1934. 5.22(昭和 9)
	◇舞踊作家。福地桜痴(オウチ)の五男。
ふくなが たけひこ
	福永 武彦
	1918. 3.19(大正 7)
	1979. 8.13(昭和54)
	◇小説家・詩人。筆名は加田伶太郎(探偵小説)。福岡県筑紫郡
	(ツクシグン)二日市町生れ。
	 第一高等学校を経て、1941(昭和16)東京大学仏文科卒業。
	 著書は小説『風土』・『草の花』・『廃市』・『海市』・
	『死の島』、評論『ゴーギャンの世界』など。
ふくなが ばんか
	福永 挽歌
	1886. 3.22(明治19)
	1936. 5. 5(昭和11)
	◇詩人・小説家・翻訳家。本名は渙、別号は冬浦。
ふくば よししず
	福羽 美静
	1831(天保 2. 7.17)
	1907. 8.14(明治40)
	◇国学者・歌人。通称は文三郎、号は木園・硯堂。
	(10)福羽 美静(ふくわ よししず)。
ふくはら りんたろう
	福原 麟太郎
	1894.10.23(明治27)
	1981. 1.18(昭和56)
	◇英文学者・随筆家。広島県沼隈郡神村生れ。東京高等師範学
	校卒業。
ふくむら ひさし
	福村 久
	1914. 6.29(大正 3)
	1946. 5.19(昭和21)
	◇小説家。
ふくもと かずお《ふくもと かずを》
	福本 和夫
	1894(明治27)
	1983(昭和58)
	◇大正末期〜昭和期の共産主義運動の理論的指導者。鳥取県生
	れ。
	 東京帝国大学卒業。山口高等商業学校教授。
	 1924(大正13)山川均(ヒトシ)の山川イズムを批判し、福本イズ
	ムを提唱して1926(大正15)日本共産党再建大会の指導原理となっ
	たが、1927(昭和 2)二十七年テーゼでは山川イズムとともに批
	判され、影響力を失う。
	 1928(昭和 3)から14年間在獄。
ふくもと にちなん
	福本 日南
	1857(安政 4. 6.14)
	1921. 9. 2(大正10)
	◇明治時代の新聞記者・政論家・史論家。本名は巴(トモエ)のち
	誠(マコト)、別号は赤日南緯之人(セキジツナンイノヒト)(略して日南)・
	誠巴(セイハ)・利鎌の舎(トカマノヤ)。筑前国(福岡県)福岡藩士出身。
	 1874(明治 7)上京し司法省法学校に学び、中退。
	 政教社同人となり、1889(明治22)陸羯南(クガ・カツナン)の新聞
	「日本」の記者。
	 アジア問題に関心を持ち、1890(明治23)フィリピン経略の
	志を抱いてルソン島に渡る。
	 のち「九州日報」・「新潟新聞」の主筆。
	 国民党の代議士。
	 著書は「九州日報」連載の『元禄快挙録』や『直江山城守』など。
	(10)別号利鎌舎など。
	(11)別号利鎌の舎。
ふくろ いっぺい
	袋 一平
	1897.10.27(明治30)
	1971. 7. 2(昭和46)
	◇ソ連映画・文化研究者。
ふじ まさはる
	富士 正晴
	1913.10.30(大正 2)
	1987. 7.15(昭和62)
	◇詩人・小説家。本名は正明、戸籍吏の書き違いで戸籍に
	「正晴」と記されたが、1932. 9(昭和 7)「正明」と訂正。徳島県
	生れ。
ふじい うもん《ふぢゐ うもん》
	藤井 右門
	1720(享保 5)
	1767(明和 4. 8.)
	◇江戸中期の尊王論者・兵学者。名は直明。越中国小杉の人。
	富山藩士の養子。
	 16歳の時、富山藩の前田民部をたより京都に出て正親町三条
	(オオギマチサンジョウ)家に仕官。まもなく竹内式部に入門。皇学所教
	授を務め、竹内式部とともに尊王思想を公卿に説き、幕府に忌
	まれ宝暦事件に連座するが、京都を逃亡。
	 故郷小杉に帰るが、売薬行商人に扮(フン)して京都に入るなど、
	各地の勤王と連絡するうち、甲斐で山県大弐(ダイニ)の兄山県市
	右衛門と知り合う。市右衛門の紹介で江戸に出て山県大弐を頼
	る。
	 のち、大弐とともに謀反の疑い(明和事件)で鈴ヶ森で獄門。
	◎竹内式部・山県大弐とともに三尊王家(サンソンオウカ)の一人。
	 明治になって正四位を追贈。
	◎越中富山はふるくから売薬行商人の地であった。
ふじい しえい
	藤井 紫影
	1868(明治元. 7.16)
	1945. 5.23(昭和20)
	◇国文学者・俳人。本名は乙男。
ふじい しげお
	藤井 重夫
	1916. 2.10(大正 5)
	1979. 1.17(昭和54)
	◇小説家。
ふじい じんたろう
	藤井 甚太郎
	1883(明治16)
	1958(昭和33)
	◇昭和期の歴史学者。福岡県生れ。東京大学卒業。
ふじい たけし
	藤井 武
	1888. 1.15(明治21)
	1930. 7.14(昭和 5)
	◇聖書学者・伝道者。
ふじい ちあき
	藤井 千秋
	1923(大正12)
	1985. 5.(昭和60)
	◇挿絵画家。岐阜県生れ。
	 1939(昭和14)京都絵画専門学校(現:京都芸術大学)に入学、
	20歳のとき学徒出陣。入隊中に入院。
	 1947(昭和22)新制中学校の教師となるが、「少女の友」編集長
	の勧めで1年半で退職、1955(昭和30)「少女の友」の廃刊まで作
	品を描く。その後、「少女」・「女学生の友」・「少女ジュニア」・
	「美しい十代」などに執筆。
	 療養生活の末、京都洛北で病没。
ふじい ていさ
	藤井 鼎左
	1802(享和 2)
	1869(明治 2)
	◇俳人。号は鳳棲舎・桃の本・大黒庵・花屋庵。
ふじい ひとし《ふぢゐ ひとし》
	藤井 斉
	調査中
	1932. 2.(昭和 7)
	◇海軍軍人。
	 1928(昭和 3)海軍青年将校らと王師会を結成。
	 1930(昭和 5)井上日召(ニッショウ)と知り合い、王師会と提携。
	 上海事変で戦死。
	◎血盟団事件に使用されたピストルの出所とされる。
ふじい ますみ
	藤井 真澄
	1889. 2. 5(明治22)
	1962. 1.10(昭和37)
	◇劇作家・評論家。岡山県生れ。
	(1)誕生日は 2. 5。
	(3)誕生日は 2.25。
	(5)誕生日は 2. 5。
	(10)誕生日は 2. 5。
	(11)誕生日は 2. 5。
ふじい れいたろう
	藤井 令太郎
	1913(大正 2)
	1980(昭和55)
	◇洋画家。長野県生れ。
ふじおか さくたろう
	藤岡 作太郎
	1870(明治 3. 7.19)
	1910. 3. 3(明治43)
	◇国文学者。号は東圃(トウホ)・李花亭・枇杷園。加賀・金沢生
	れ。1894(明治27)東京大学国文科卒業。
	(3)誕生日は 7.19、没日は 3. 3。
	(5)誕生日は 9.19、没日は 2. 3。
	(10)誕生日は 7.19、没日は 2. 3。
	(11)誕生日は 9.19、没日は 2. 3。
ふじかげ しずえ
	藤蔭 静枝
	1880.10.20(明治13)
	1966. 1. 2(昭和41)
	◇舞踊家。本名は内田ヤイ、別名は市川静枝・藤間静枝・
	巴家八重次(芸妓)・藤蔭静樹。1914. 8.(大正 3)〜1915. 2.
	(大正 4)永井荷風の妻。1931(昭和 6)藤蔭流を創設。
ふじかけ しずや
	藤懸 静也
	1881. 2.25(明治14)
	1957. 8. 5(昭和32)
	◇美術史家(浮世絵)。
ふじかわ ちゅうじ
	藤川 忠治
	1901. 2.20(明治34)
	1974. 4. 3(昭和49)
	◇歌人・近代文学研究者。新潟県生れ。東京大学国文科卒業。
ふじき くぞう
	藤木 九三
	1887. 9.30(明治20)
	1970.12.11(昭和45)
	◇登山家・ジャーナリスト。
ふじき ゆう《ふじき いう》
	藤木 悠
	1931. 3. 2(昭和 6)
	2005.12.19(平成17)
	◇俳優。本名は鈴木悠蔵(スズキ・ユウゾウ)。
	 同志社大学を卒業。
	 多臓器不全で死去。
ふじぐち とうご
	藤口 透吾
	1909.10.28(明治42)
	1970.12.20(昭和45)
	◇小説家。本名は藤吉。
ふじさわ あさじろう《あぢさは あさじらう》
	藤沢 浅二郎
	1866(慶応 2. 4.25)
	1917. 3. 3(大正 6)
	◇新派俳優・作者。筆名は紫水(シスイ)。京都生れ。
	 新聞記者から転じて、1891(明治24)川上音二郎(オトジロウ)の一
	座に作者兼俳優として参加。
	 1905〜1906(明治38〜明治39)本郷座時代幹部俳優として活躍
	し、伊井蓉峰(ヨウホウ)・高田実らと共演し新派全盛時代を築く。
	 1908.11.(明治41)私費を投じて東京俳優養成所を創設。1910
	(明治43)東京俳優学校と改称し、1911(明治44)経営難のため閉
	校。
	 晩年は映画に転じる。
	 浅草今戸で死去。
ふじさわ こせつ
	藤沢 古雪
	生年不詳
	没年不詳
	◇明治後期〜大正初期の劇作家。本名は周次。
ふじさわ しゅうへい《ふぢさは しうへい》
	藤沢 周平
	1927.12.26(昭和 2)
	1997. 1.26(平成 9)
	◇小説家。本名は小菅留治(コスゲ・トメジ)、俳号は小菅留次のち
	北邨。山形県東田川郡黄金村生れ。
	 1949(昭和24)旧制山形師範学校、卒業。
	 中学校教員を経て肺結核の療養生活。
	 業界紙の編集者。
	 1959(昭和34)三浦悦子と結婚。
	 1963.10.(昭和38)妻悦子、死去(28歳)。
	 1969(昭和44)高澤和子と再婚。
	 1971(昭和46)『溟い海(クライウミ)』でオール読物新人賞を受賞。
	 1973(昭和48)『暗殺の年輪』で第69回直木賞を受賞。
	 一躍、新しい時代小説の人気作家となる。
	 1983(昭和58)長塚節の伝記『白き瓶』で吉川英治文学賞を受
	賞。
	 1992(平成 4)芸術選奨文部大臣賞を受賞(『市塵』)。
	 1995(平成 7)紫綬褒章を受賞。
	 著書は『隠し剣孤影抄』・1974(昭和49)『闇の梯子』・1976
	(昭和51)『用心棒日月抄』・1977(昭和52)『一茶』・1984(昭
	和59)『海鳴り』・1987(昭和62)『本所しぐれ町物語』・1988
	(昭和63)『蝉しぐれ』・1989(平成元)『市塵』・1989(平成元)
	『三屋清左衛門残日録』1997(平成 9)『漆の実のみのる国』な
	ど。
	◎「藤沢」は妻悦子の出身地。
ふじさわ せいぞう
	藤沢 清造(藤澤 清造)
	1889.10.28(明治22)
	1932. 1.29(昭和 7)
	◇小説家・劇作家・演劇評論家。石川県七尾市藤橋生れ。小学
	校尋常科(4年制)卒業。放蕩により精神病となり、精神病院か
	ら失踪し芝公園内で凍死体になって発見される。
	(1)誕生日は 10.28。
	(3)誕生日は 10.22。
	(5)誕生日は 10.28か。
	(10)誕生日は 10.28。
	(11)誕生日は 10.22。
	(13)誕生日は 10.22。
ふじさわ ふるみ
	藤沢 古実
	1897. 2.28(明治30)
	1967. 3.15(昭和42)
	◇歌人・彫刻家。本名は実(ミノル)、別号は葉山雫(ハヤマシズク)・
	天田平三・木曾馬吉(キソ・ウマキチ)(島木赤彦の命名)。長野県生れ。
ふじさわ もりひこ
	藤沢 衛彦
	1885. 8. 2(明治18)
	1967. 5. 7(昭和42)
	◇民俗学者・児童文芸研究家。
ふじさわ りきたろう《ふぢさは りきたらう》
	藤沢 利喜太郎
	1861
	1933(昭和 8)
	◇明治〜昭和期の数学者。佐渡(現:新潟県)出身。
	 東京開成学校卒業。
	 東京帝国大学で物理学を専攻し、1882(明治15)理科大学(理
	学部)を卒業。翌年、イギリス・ドイツに留学。
	 1887(明治20)帰国して同年東京帝国大学理科大学教授となり、
	初めて関数論を講義。
	 1891(明治24)理学博士。
	 1906(明治39)帝国学士院会員。
	 1920.12.25(大正 9)勲一等瑞宝章、受章。
	 1925.10.〜1933.12.(大正14〜昭和 8)貴族院議員(帝国学士
	院会員議員)。
	 ヨーロッパの近代数学を紹介。数学教育に力を注ぎ、数学の
	高等教育の改革や、小・中学校の算術教科書を執筆。
	(*)1861(万延 2,文久元)。
ふじしま たけじ《ふぢしま たけじ》
	藤島 武二
	1867(慶応 3. 9.18)
	1943. 3.19(昭和18)
	◇洋画家。鹿児島生れ。
	 東京美術学校教授。
	 文化勲章。受章。
	 作品は『蝶』・『大王岬の怒濤』・『ヨット』・『黒扇』な
	ど。
ふじしま としお
	藤島 敏男
	1896. 7.12(明治29)
	1976. 9. 9(昭和51)
	◇登山家。
ふじしろ そじん
	藤代 素人
	1868(慶応 4. 7.24)
	1927. 4.18(昭和 2)
	◇ドイツ文学者。本名は禎輔(テイスケ)。千葉県生れ。東京大学独
	文科卒業。
ふじた こしろう
	藤田 小四郎
	1842(天保13)
	1865(元治 2)
	◇江戸幕末期の志士。藤田東湖(トウコ)の4男、藤田幽谷(ユウコク)
	の孫。
	 1864(元治元. 3.)尊王攘夷の同志を集め、筑波山で天狗党を
	挙兵。武田耕雲斎を盟主として中山道(木曾路)を経て上洛の途
	中、加賀藩に降伏、同志とともに越前国敦賀で斬られる。
	 1891(明治24)贈正四位。
ふじた しょうし《ふじた しやうし》
	藤田 湘子
	1926. 1.11(大正15)
	2005. 4.15(平成17)
	◇俳人。本名は藤田良久(ヨシヒサ)。神奈川県生れ。
	 10代で水原秋桜子(シュウオウシ)に師事。
	 1957(昭和32)石田波郷(ハキョウ)の後を継ぎ俳誌「馬酔木(アシビ)」
	の編集長となる。
	 国鉄に勤務を経て専業俳人。
	 1964(昭和39)俳誌「鷹」を創刊・主宰。
	 胃ガンで死去。
ふじた つぐじ
	藤田 嗣治
	1886.11.27(明治19)
	1968. 1.29(昭和43)
	◇画家。1955(昭和30)レオナルド・フジタを名乗り、フランス
	に帰化。チューリヒに没。
ふじた でんざぶろう
	藤田 伝三郎
	1841(天保12. 6.)
	1912. 3.30(明治45)
	◇明治期の実業家。長州萩の豪商の子。
	 1882(明治15)大阪紡績会社(のち東洋紡績)の頭取。
ふじた とうこ
	藤田 東湖
	1806(文化 3)
	1855(安政 2)
	◇江戸幕末の政治家・思想家。藤田幽谷(ユウコク)の次男、小四郎
	(コシロウ)の父。
	 安政大地震のため江戸小石川の藩邸で圧死。
ふじた もきち
	藤田 茂吉
	1852(嘉永 5. 6.25)
	1892. 8.19(明治25)
	◇評論家・翻訳家・政治家(立憲改進党)。旧姓は林、号は
	鶴谷山人・九皐外史・鳴鶴(メイカク)居士・聞天楼主人・翠嵐生。
	豊後国佐伯藩士林家に生れる。
ふじた ゆうこく
	藤田 幽谷
	1774(安永 3)
	1826(文政 9)
	◇江戸後期の儒学者。古衣商与右衛門の次男、藤田東湖(トウコ)
	の父。
ふじたに みつえ
	富士谷 御杖
	1768(明和 5)
	1823(文政 6.12.16)
	◇江戸後期の国学者・歌人。初名は成寿(ナリノブ)のち成元(ナリハル)
	さらに御杖。
ふじの こはく
	藤野 古白
	1871(明治 4. 8. 8)
	1895. 4.12(明治28)
	◇俳人・劇作家・小説家。本名は潔(キヨシ)、通称は久万夫、別
	号は湖泊堂・壺伯。伊予国浮穴郡久万町生れ。正岡子規の従弟
	(母十重は正岡子規の母八重の妹)。1891(明治24)東京専門学校
	(現:早稲田大学)文科入学。1895. 4. 7(明治28)湯島の下宿で
	ピストル自殺をはかり、人事不省に陥り大学病院で死去。
ふしみ てんのう
	伏見 天皇
	1265(文永 2)
	1317(文保元. 9. 3)
	◇鎌倉後期の第92代天皇。諱(イミナ)は煕仁(ヒロヒト)、持明院殿と
	も称する。後深草天皇の第二皇子。中宮は永福門院(エイフクモンイン)。
	 1287(弘安10)即位、在位十一年。
ふしみいんのなかつかさのないし
	伏見院 中務内侍
	生年不詳
	没年不詳
	◇鎌倉後期の日記作者・歌人。本名は藤原経子。父は中務大輔
	(タイフ)藤原永経(ナガツネ)。
ふじむら しょうた
	藤村 正太
	1924. 1. 9(大正13)
	1977. 3.15(昭和52)
	◇小説家。筆名は川島郁夫。
ふじむら つくる
	藤村 作
	1875. 5. 6(明治 8)
	1953.12. 1(昭和28)
	◇国文学者。
ふじむら みさお
	藤村 操
	1886. 7.(明治19)
	1903. 5.22(明治36)
	◇第一高等学校(一高)生徒。那珂通世(ナカ・ミチヨ)の甥。日光華厳
	の滝に投身自殺し、文学に影響を与えた。
	◎華厳滝のそばの大樹に「厳頭の感」が刻まれていた。
	 「悠々たる哉天壊、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以て此大
	をはからむとす……曰く"不可解"……」。
ふじむら よしかず
	藤村 義一
	1907. 2.24(明治40)
	没年調査中
	◇海軍軍人(中佐)。戦後、義郎と改名。
	 1927. 3.(昭和 2)海軍兵学校卒業。
	 1938.12.(昭和13)海軍大学(甲種三十七期生)進学、1940. 4.
	24(昭和15)卒業、海軍少佐。
	 1940.10.26(昭和15)在独海軍武官補佐官。1941. 8.15(昭和
	16)在フィンランド武官補佐官を兼務。1944. 6. 5(昭和19)フィ
	ンランド兼務を解かれ、フランス兼務となり日本から派遣され
	てくる潜水艦の受け入れを担当。
	 1951. 5.(昭和26)月刊誌「文芸春秋」に手記『痛恨!ダレス第
	一電』を発表。
ふじもと とういん
	藤本 藤陰
	生年不詳
	没年不詳
	◇小説家。本名は真。1888(明治21)〜1903(明治36)に作品を発
	表。
ふじもり せいきち
	藤森 成吉
	1892. 8.28(明治25)
	1977. 5.26(昭和52)
	◇小説家・劇作家。長野県諏訪郡上諏訪町角間生れ。岡倉由三
	郎(ヨシサブロウ)の長女のぶ子の夫。
	 3歳時に母が自殺し継母に育てられる。諏訪中学校・第一高
	等学校独法科を経て、1916(大正 5)東京大学独文科卒業。
	 プロレタリア作家同盟の主要メンバーで、1930〜1932(昭和
	 5〜昭和 7)渡欧、帰国とともに検挙され、その後転向。
ふじもり ともお
	藤森 朋夫
	1898. 7.18(明治31)
	1969. 8.29(昭和44)
	◇歌人・国文学者。長野県生れ。東北大学国文科卒業。
ふじもり ひでお
	藤森 秀夫
	1894. 3. 1(明治27)
	1962.12.20(昭和37)
	◇ドイツ文学者・詩人・童謡作家。別名は藤太彦。
ふじやま あいいちろう
	藤山 愛一郎
	1897. 5.22(明治30)
	1985. 2.22(昭和60)
	◇昭和期の実業家・政治家。藤山雷太の長男、実業家伊吹震(イ
	ブキ・シン)の異母弟。東京生れ。
	 1918(大正 7)慶応義塾大学中退。
ふじやま らいた
	藤山 雷太
	1863. 9.13(文久 3. 8. 1)
	1938.12.19(昭和13)
	◇明治〜昭和初期の実業家。佐賀藩士藤山覚右衛門の三男、実
	業家伊吹震(イブキ・シン)・政治家藤山愛一郎の父。肥前国西松浦
	郡二里村生れ。
	 長崎師範学校卒業。小学校教員。1887(明治20)慶応義塾卒業。
	佐賀県会議員・同議長。
	 1892(明治25)三井銀行に入社し、芝浦製作所(現:東芝)所長。
	 中上川彦次郎(ナカミガワ・ヒコジロウ)の命により王子製紙の乗っ取
	りに成功。1909(明治42)日糖疑獄事件で社長酒匂が自殺した後
	を襲い社長に就任。
	 糖業・パルプ業で台湾・南洋に進出・発展。三十四銀行など
	の重役を兼任、藤山コンツェルンの基礎を築く。1933(昭和 8)
	大日本製糖社長を伊吹震に譲り、さらに1934(昭和 9)同社社長
	を愛一郎に渡し、相談役。藤山同族社長・東京商工会議所会頭
	・大日本製氷会長・日印協会理事。
----------------------------------------------------------------